”いつからこんなに・・・先生に惹かれたのだろう・・・?”
初めて庸介と出逢ったのは、倫子が行田病院に赴任し、次郎が急患で運ばれてきたあの夜だった。
あの時の庸介は自身の当直にもかかわらず、病院を離れて酒を飲み、急患で運ばれてきた次郎をトイレに押し込めるなど、今まで倫子が見てきた医者からはとても想像出来ない行動の庸介だった。
次郎の友人達にどれだけ非難されても、冷ややかに醒めた目で歯牙にもかけない超然とした態度。
その氷のような無表情の裏側で、一体何を考えているのかまるでわからない庸介だった。
とても医者とは思えない態度の彼に、倫子が最初に感じた感情は反感だった。
しかし、石倉由蔵という末期癌の患者と出会い、その治療を通して庸介の由蔵への嘘が、次第に理解できるようになったときから、倫子の中で彼への思いが少しづつ変わっていった。
宇佐美繭子の時もそうだった。彼女のために主治医としての守秘義務から、嘘の記者会見まで開いた庸介だった。
そして院長と小橋から非難の矢面に立たされた時でさえ、彼の患者を庇い、保護しつづける医師としての強い態度は揺ぎ無いものであった。
繭子の我儘な行動から辛い立場に陥った庸介を見て、そこまで医者は患者の犠牲にならなければいけないのかと、疑問にさえ感じた倫子だった。辛辣に責任を追及する院長に対しても、一言の弁解も言い訳もしなかった庸介・・・。
しかし、いくら主治医とは言っても、あの我が身の犠牲などまるでいとわない庸介の、患者に対する思い入れの強さは一体どこからくるのだろうか・・・?
繭子を庇いつづける彼の言葉の中に、医師の、そして人間としての優しさを感じた時、倫子は言いようの無い熱い感動を憶えたのだ。
石倉に対して庸介のつきとおす嘘の中の真実に、同じ患者への優しさと深いいたわりがあることを心から理解した。
それが彼の医師としての強い信念なのだと、そう倫子に理解出来るようになった時から、彼を尊敬し、愛しはじめていたのかもしれない・・・。
庸介に対する尊敬の気持が、次第に愛情に変わってゆくまで、倫子がそう確信するまで長い時間はかからなかった。
自分自身の心の中に芽生えた、彼へのこの熱い想いは確かなものであった。
それからの倫子には庸介しか見えない。彼への尊敬の気持が次第に愛情へと変わっていった時から、倫子はいつも庸介の姿を追っていた。
庸介の心の裏側に哀しい孤独があることを知った時から、彼へのこの想いはさらに強くなっていったのだ。
庸介を慕い、追い求めて、たとえそれがかなわぬ恋で終わったとしても、彼を愛することを決して後悔することは無いと倫子は思う。
庸介にその気持が無い以上、拒絶されても仕方がないが、自分の愛情が彼自身の負担になることはあまりに辛い。
庸介に拒絶されたあの夜から、庸介の側にいられるだけでいい・・・と、そう思っていた倫子だった。同じ病棟で、庸介を見つめつづける幸せで満足しなければと、そう自分にいい聞かせていた。
そう思っていたのに、石倉由蔵の容態が急変した時、気が動転して冷静さを失ってしまった自分は、庸介の姿を見てどんなにほっとしたことだろう。
あの時深夜にもかかわらず、倫子の知らせに病院に戻って来てくれた彼の姿に、どんなに自分は安堵したことだろうか・・・。
庸介が側にいてくれたからこそ、倫子も落ち着いて由蔵の処置に対応できたと思う。
”私はこんなに先生を頼ってる・・・”
いつからか自分はこんなにも庸介を求め、頼っていたのだ。そう思った時、倫子は庸介への自分の愛情の強さを感じた。あの深夜の医局で、小橋に対して語った庸介の言葉は、今も倫子の心の中にはっきりと残っている。
もう延命治療さえ限界にきている哀しい老人に対して、納得した死に導くのも医者の務めだと、庸介は静かに語った。あの患者への慈愛の心と、いたわりの強さこそが彼の、庸介の人間としての限りなく深い愛情なのだ。一見、醒めたように冷ややかで、あまり多くを語らない彼こそが、誰よりも医師としての強い信念と優しさを持っている。
彼の深い愛情と、心の裏側に秘めた哀しい孤独を知った今、さらにつのる庸介へのこの想いを、自分は諦めることができるだろうか・・・?
”自分の心に嘘はつきたくない。先生についてゆきたい。ずっと先生に・・・”
今倫子の心は、庸介と一緒にいることで満たされている。彼の側にいられるだけで、こんなにも自分の心は熱くときめく心に満ちている。そのほのかな満足感が、倫子の心の奥底に優しい潤いをあたえていた・・・。
”今はそれだけでいい・・・。先生の側にいられるだけで・・・”