その後、謹慎の解けた庸介は、何事も無かったかのような平静さで倫子と接していた。
すべて忘れたような、そのいつもと変わりない庸介の態度は、倫子にとってはほっと安堵するものではあったけれど、どこか嘘があるように思えてならなかった。
ただ黙々と仕事をこなし、変わらない神経質そうな表情は、あの石倉 由蔵や他の患者達と接している時だけ和らいでいた。
”先生にとっては、あの時のことは大したことではなかったのだろうか・・・?”
それとも、自分がこだわり過ぎているのだろうか・・・?
そう思うとなぜかとても寂しく思えて、倫子は庸介の言葉のはしばしから、必死になって彼の気持を探り当てようとしていた。
思いあまって倫子が問い詰めた時でさえ、何もなかったんだ・・・と、渇いた声で静かに答えた庸介だった。
確かに自分よりも大人なのかもしれない、そう感じた反面、いや、そうではないと倫子は思う。
それは倫子を正面から見ようとしなかった庸介の、その素振りから痛いほど感じられた。
倫子に対して分別のある大人としての態度を、精一杯保っているだけに過ぎないように感じた。
今まで庸介は、仕事の時もプライベートの時も倫子に接する時、ふと心の感情をかいま見せる時はあっても、いつも自分が近づこうとしただけ離れるような、一線の距離を置くような、かたくなな心の堅さと拒絶が感じられていた。
それは彼が意識しているのか、そうではないのか、それは庸介が自然と身につけているもののようにさえ倫子には思えていた。
倫子は時折、彼の見せる寂しげな微笑みを思い浮かべる。彼がふと見せる微笑には、なぜか言い様の無い寂しさを感じる時があった。
一瞬、庸介の張り詰めた緊張感が溶けたように感じた時の、あの寂しい微笑み・・・。
何も感じていないのでは無い。大人だからでは無いと思う。
感情を押し殺してきただけに過ぎない。自分の心の中をすべて閉ざして・・・。
何があっても心の中だけで、誰に話すことも無く、自分の感情をすべて押し殺してきたに違いないと倫子は思う。
あの告白した夜でさえ・・・。
自分の心につのる想いをこらえきれず、倫子は自分の気持のすべてを庸介に伝えた。
自分の想いは、庸介には充分伝わっているはずなのに、それでも彼のかたくなな態度は変わらなかった。倫子への、庸介の容赦無い拒絶。
もう心に入る余地は無いのかと、そう思わざるをえない程の、冷たく厳しい彼の拒絶だった。
自分では駄目なのか・・・。どれほど想いつづけても、どうしてもあの人の心の中に入ってはゆけない・・・。
どんなに近くにいても、届かない彼の心の裏側・・・。
何があって庸介があれほど孤独でいるのか、倫子には解らない。
倫子の脳裏に、病院の屋上で一人、遠く空を見つめていた庸介の姿が想い浮かんだ。
”先生は、いつも遠い目をして空を見ていた・・・”
あの瞳に、遠く映るものはなんだったのだろうか。
そのときの庸介の孤独な心は、空の向こう側に一体何を見ていたのだろう・・・?
その心の裏側に隠されている、哀しみのわけがあるなら知りたい。
あの遠い瞳に映る哀しみのわけがあるなら教えて欲しい。心の底から倫子はそう想いつづける。