お題10『首輪』          
 
 

 
 
 
 

『帰ることだけ知っている』6 

 
 

「ファルマン!」 
ハボックは自分の銃器類の最終チェックをしながら知識量豊富な同僚を呼んだ。 
「何か?」 
「セントラル市街地の地図は頭に入っているか?」 
「もちろんです」 
もちろんなどといえるような広さではないはずなのだがこの男にとっては造作もないこと。 
二人はざっと備品おきに立てかけられていたセントラル市街地の大きな地図を机の上に広げる。 
「イーストシティまでの大佐の取りそうなルートは分かるか?」 
「…町をでればイーストシティまでは砂漠を抜けますから、当然エベル街道を通ることになります。 
しかしそこへ行くルートとなると…」 
「そこでいい。エベル街道の入り口までの最短距離を。バイクを使ってだ」 
「では歩道、公園、その辺まで入れて」 
「階段、庭もありだ」 
そんな変則的な条件でもファルマンはさっとルートをはじき出し、小さい地図に書き写し、ハボックに手渡した。 
「さんきゅー!」 
その地図を片手にハボックは司令部を飛び出した。 

「なんなんでしょうね…」 
尻に火のつく勢いで飛び出したハボックを窓からフュリーが目を丸くして見送る。 
「……フュリー…軍曹…」 
「はいっ、なんでしょうか」 
防水の対策もとらずにバイクを走らせる後ろ姿を見送ってホークアイはしばらく何かを考えるような素振りを見せた後、小声でフュリーの名を呼んだ。 
「無線傍受おねがいできるかしら?」 
「はい、すぐできますが?周波数帯域は?」 
通信するためには周波数を合わせる必要があるが、固定ではばれてしまう。 
軍もある一定の周波数帯域を持つように、テロリストもグループによってある程度の周波数領域を持つ。 
「通常領域ではたぶん無いわね…。ここからイーストシティまで確実に飛ばすとなると…」 
「分かりました、ラジオ周波数帯の短波領域で」 
「発信源はなるべくこの近くで」 
「もう一カ所観測場所をとらないと距離や位置までは…」 
「なんでもいいわ。出力だけで判断して」 
「はい」 
フュリーは机の下に潜ると、他者の理解できなさそうな機械類を引っぱり出して電源を繋ぎなにやら操作を始める。 
「ホークアイ中尉…」 
「何?ファルマン准尉」 
「…危険なんですか?」 
危険といえばいつでも危険と隣り合わせの人だけどそれだけに普通の危険など彼らも歯牙にかけない。 
それでも司令部に糸を張ったような緊張感が漂いファルマンの声も自然と潜めるようなものになる。 
「さぁ…ただ…ハボック少尉の態度がどうしてもね…」 
ひっかかるのよ。ちょっとやそっとじゃ動じない人だから。 
そうホークアイがつぶやくとファルマンもそれに同意して頷いた。 
「そうですね、自分が記憶喪失でもなんとなくあっけらかんとしていた人ですからね」 

「中尉…」 
うつむいて一生懸命チャンネルを回していたフュリーが顔を上げいぶかしげな声をあげた。 
「何か引っかかって?」 
「いえ、そういうのかどうか分からないんですけど…さっきから同じ歌を繰り返しやっているチャンネルがあるんですけど」 
「出力は?」 
「高いです。相当近いですね。これだと半径1km以内で通信法規定値ぎりぎりだとおもいます」 
「かけて」 
「はい」 
フュリーはイヤホンで確認していたチャンネルをスイッチ一つで外部スピーカーに流す。 
それと同時にスピーカーから雑音混じりのテノールが流れる。 
楽器はない。 
 

波は引く、ゴンドラを乗せて 
水底に映える無数の石は黄金の砂の道 
波は寄せる。君の所へ、町のはずれ 
道を辿りたゆとうように船は進む 
愛しき君を迎えるために 

歌はここで最初に戻った。 
「これは?」 
「ゴンドラの歌ですね」 
ホークアイが首を傾げるのにファルマンがすかさず答えた。 
「ゴンドラ?」 
「例の水に沈む街でゴンドラ乗り達がよく歌う歌です。船に乗って君を迎えに行こう。そういう歌ですよ。かなり昔からある有名な歌ですね…でも歌詞が変ですね」 
「正しい歌詞は覚えていて?」 
「はい、こんな感じです」 
ファルマンがゆっくりと言葉を切りながらそれでもメロディに合わせて正しい歌詞を口ずさんだ。 

波は揺れる、ゴンドラをのせて 
水面に映る無数の月は黄金の光の道。 
波は寄せる。寄せては返す、街を抜けて 
道を通りたゆとうように船は進む 
麗しき君を迎えるために 

「………」 
「これが1番です。5番までありますが…迎えに行くのは1番ですが…」 
「確かに変ですね。それも繰り返し」 
「2番以降も歌いますか?」 
「必要ないわ………そういうことなの?…きっとそうなのね…」 
歌を聴きながら眉をひそめて考え事を聞いていた中尉の表情が変わっていく。 
怒りとも焦りともつかない表情に。 
「中尉…?」 
「ファルマン准尉…。今動かせる人員はどれくらい?」 
「どれくらいというと?」 
「私たちの権限で秘密裏に動かせる小隊は?」 
「は、我々の隊、あとハボックの副官が先ほど詰めていましたからたぶんそれも。直属だけで3つほどかと」 
「十分ね。急いで。私たちもでるわよ」 
「…!やはりこれはそういうことで…?」 
「たぶんそうね。ばかばかしい話だわ…」 
茶番といっていいかも知れない。しかしその茶番で何人人が死んだのか。 
ホークアイ中尉はそんな言葉など言いたくもないといった風な渋い面持ちでつぶやいた。

「この一連の事件のねらいは最初から大佐だったんだわ!」 
 
 
 
 
 
 
 
 

バイクは爆音をあげて疾走する。 

雨の中、ぬかるんだ泥を跳ね上げ、泥だらけになり、びしょぬれになって冷えていくのもかまわずバイクは町中を抜けていく。 
中央司令部から周囲は繁華街。そこを抜けるとスラムのような一角と広がる住宅街。 
そこをぬけて工場の多いエリア。最後は街道沿いに立ち並ぶ倉庫街へとつづく。 
交易の盛んなセントラルだから、街道の入り口や長距離列車の駅周辺には必ず大きな 倉庫街が立ち並ぶ。 
そこを抜ければもう一本道の大きな街道だ。 
ハボックはその道目指してほぼ一直線に走っていく。
空は暗く、昼前だというのにすでにライトをつけないと路面の状態も確認できない有様だ。 
もっとも見るまでもなくそこはぬかるんだ泥の道で、ハボックはその道路をえぐるようにまた強くアクセルを踏んだ。 
あのとき踊りだした心臓は今になっても静まらず相変わらず警鐘を鳴らし続けている。 
この警鐘が正しいのか間違っているのか…。そのことを考えるのはもうとうに放棄している。 
正しければ駆けつけなければいけない。自分は彼を守るためにいるのだから。 
正しくなければいい。こんな不安間違いであって欲しい。 
ならばあの人に会わなければ。 
あって何ばかばかしい、私は大丈夫に決まっているだろう、そんなのお前の勘違いだ。 
むしろそう怒って欲しい。 
どちらにしても自分は行くのだ。あの人の所に。 
…そう思っていたのに。 

ハボックが工場の多い郊外のエリアに入ろうとしたときだった。 
いきなり大きく地面が揺れた。 

「なっ!」 
強い閃光と大きな爆発音。 
「…!!」 
ハボックの目の前でその爆発は起きた。 
そこは倉庫街…明らかにハボックの目指す先で人為的としか思えない周囲を吹き飛ばすほどの爆発が起きたのだ。
小さな爆発から大きな爆発へ。 
「大佐!!」 
その爆発の閃光はハボックの目を灼く。 
「!!」 

『イナイナラ…イミハ…』 

フラッシュバックされる光景。 
熱、
光。 

あのとき自分は。 
思い出せる。あのときのことを。 
あれは…。 
 

「なんだと?マスタングの奴が乗っていない?」 

ああ、そうだ…自分はあのとき暇を持て余して車内をぶらぶらしていたらあの男を見つけた。 
いきなりセントラル行きを告げられ、大した準備もできず、珍しく見送りに来てくれた大佐が餞別に貸してくれた本は訳が分からず、仕方なく列車の中を見回りと称して歩き回り、人間ウォッチなどをしゃれ込んでいた。 
たいして広くもない列車。客用車両。一番後ろの車両に入り周囲をのんびりと眺めていたときその後ろの貨物車両に入り込んでいく男が目に入ったのだ。 
本来貨物車両は鍵がかかっていて入れないはず。そこにするりと入っていく男。 
すわ泥棒か!
とこっそり後を付けてみれば先客がいて、おまけに会話にでてきたのは大佐の名前で… 

「マスタングが乗っていない?」 
「ああ、そのようだ」 
「そんな馬鹿な、確かに放送はこちらに向かったといっておったぞ」 
放送?何の話だ? 
「それなんだがな、客に紛れて近づいたもの話だと、駅でマスタングはお帰りらしい」 
「おじけずいたか!」 
「まぁ相手にする必要はないと思われたのだろうな。この辺は計算済みだっただろう? 
イーストシティに引きずり出すための作戦は終わっていない。とりあえず今回は引こう」 
(何?大佐?こいつら狙いは大佐なのか?) 
「だめだ、貨物に仕掛けた爆弾が…」 
「解除できないのか?」 
「もう間にあわん。列車に乗るものだと言われていたのでセット済みだ。時間もない」 
「仕方がないな、放っておけ。マスタングがいないなら意味はない。しばらく警戒されてしまうかも知れないが、犯行声明を出さなければ出所も知れるまい」 
「そうだな、…まだ作戦の途中だ。今は引こう」 
そういって二人はハボックが確保に飛び出したときには後ろの扉、走っている列車より飛び降りてしまった。 
「ちょっと…、待てよおい」 
いきなりのやばい展開にハボックの頭は必至に回転を始めた。 
「大佐が狙いって…連絡しなくちゃ…いやそれより爆弾!」 
今きいたことは急いで連絡しなければいけない。話からすればイーストシティの混乱はおとりだ。 
狙いはそこに向かう大佐なのだ。 
しかしさしあたっては爆弾を何とかしなければ。 
ハボックは貨物を見渡して爆弾を探し出すことをあきらめ、運転を止めてもらおうと機関車の方に走ったが 
すぐにその歩みを止める。 
とりあえず運転を止めてもらって乗客を逃がすか…いや時間がないといった。 
機関主に信じてもらえるかどうかも怪しい。 
とにかく乗客を爆弾から離さなければならない。
しかし爆弾だと告げればパニックは必至。 
いくら汽車の速度が60kmそこそこだとはいえ準備もなく飛び降りられるものでもない。

「………」 

ハボックはきびすを返して貨物車両に駆け込むと自分の荷物を見つけ手持ちの中で一番威力のある銃とそれ用の弾をありったけ引っぱり出し装填する。 
そして客用車両と貨物車両の間に立ち、その連結部分にありったけの弾をぶち込んだ。 
後ろから客の悲鳴やら怒号やらが聞こえたがこれは全く無視をする。 
十数発ぶち込んだところで連結部分のねじがぼろっと崩れる。それをおもいっきり蹴りつけて完全に切り離し、気持ちにしかならないが、貨物列車を後ろにけり出して動いている列車より切り離した。 

動力を失った貨物部分は慣性で前にすすむだけなのでゆっくりと走り続ける列車より離れていった。 
「………」 
これで大丈夫。これで間に合ったか…。 
離れていく貨物列車を見送りながらハボックは大きく安堵の息をついた。これで大丈夫、あとはみんなに事情を説明して…。 
しかしそう思った瞬間すさまじい音を立てて貨物列車は爆発した。 
間に合ってはいなかった。距離は十分ではなかった。 
ロイが客車両どこにいても間違いなく吹き飛ばすつもりだったのだろう火薬の威力は桁外れで…… 
聴覚すべてを焼き切るような音とともに爆炎が周囲に拭きあがり、次に襲い来る衝撃波の前に、ハボックも汽車もなす統べなく吹き飛ばされてしまった…。 

「う…」 
次にハボックが見たのは自分の血の広がっていく地面だった。もうろうとする意識で自分がうつぶせに倒れていることを自覚する。 
「……」 
とっさに身体を丸めて防御したと思ったが衝撃波を受けないわけにはいかなかったらしい。 
全身が麻痺したように動かない。 
いやもう身体が死んでいて動かないのかも知れない。痛みもまともに感じない。 
動かないのに体がじわじわ重くなっていくのが分かる。 
「たいさ…」 
知らせなければ。おしえなければ。 
帰らなきゃ。
帰らなきゃ。
目の前に広がっていく自分の血を視界に入れながらハボックはそれだけを考えた。 
しかし手足は重くなる一方で、視界はだんだんと暗くなってくる。 
(このまま…死ぬのかな?) 
かすんでいく自分の意識にハボックはぼんやりとそのことを意識して、必至であたまを傾けて自分の右手首を眺める。 
右手首には銀のプレートと鎖…。 
それを見てハボックは少し安心して目を閉じる。 
よかった、失くして無くて。 
死んでしまうのは仕方がないとして、これがないと帰れないかも知れない。 
ああ、でも手首なんて危ないところに付けて置くんじゃなかった。これだと手なくしたら 
一緒になくなっちゃうじゃないか。今度はちゃんと首にかけておこう。面倒だとか思わずに。 
大佐に頼むとかけてくれたりしないだろうか?首輪だし。 
ばかばかしい考えかな。もうこの次があるとも分からないのに…。 
もうほとんど暗闇に閉ざされる前の意識のなかハボックはくすっと笑った。 
ああでも、大佐はこれを迷子札だといった。だからこれさえあれば帰れる。 
これだけは離さない。 

そう、帰れる。
何を失くしても、死んでも身体だけでも、自分はこれを持っていれば大佐の所に帰れるんだ。 
それだけで意識のかけらは暖かい幸せを感じることができた。 

血が流れる…。
その暖かさもそろそろ感じることができなくなり全身が鉛のように感じられるようになってくる。 
意識すらもだ。
何もかもが遠くになっていく。 

もうテロのことも爆弾のこともハボックの意識には残っていない。 
 

もう何も思い出せない。 

ただ 
 

「帰る…。あの人の所に…」 
 
 

その言葉をつぶやいて…ハボックは意識を失った。 
 
 
 

「…大佐」 
 爆炎を見上げてハボックは呆然とつぶやいた。 
そうだ、今なら思い出せる。 
爆弾に吹き飛ばされて死ぬかと思ったこと。 
そして… 

「ちっくしょう!!」 

バカだバカだバカだ。 
俺は持ち帰らなければいけなかったはずだ。あの人が危険だと言うことを。 
ちゃんときいたのに、伝えようと思ったのに愚かにも何もかも落としてしまったのだ。 
とんだ駄犬だ。
最悪だ。 
あのときも爆発を止めようとして、間に合わなかった。 

そして今も…また…。 

雨に濡れた寒さからではない震えがハボックの全身を包む。 

「大佐------------っ!!!」 
 

目の前に立ち上るもうもうとした煙を見上げてハボックは絶叫した。 

また…間に合わないのか? 
 
 
 

また落とすのか?今度こそ大事なものを…。 
 
 

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