お題10『首輪』          
 
 

 
 
 
 

『帰ることだけ知っている』5 

 
 

次の日の朝はハボックにとっては実に気持ちのいい目覚めだった。 
起きたときに隣にロイがいないという以外は。 
しかしそれは仕方がない。ハボックの出勤は昼からだったし、ロイはふつうに朝からだったから。 
 

「でも…起こしてくれたっていいのにな…」 
 

いろいろ思うところはあるが、何よりも精神的に色々満ち足りた朝だった。 
記憶を失ってから目の前にちらちら見える記憶の糸を追いかけて捕まえられず、砂漠に水の蜃気楼を追うような日々を過ごしていたハボックにとって、ようやっと手にすることのできたものは記憶ではなかったがそれ以上に渇望していた形あるなにかであったわけで…。 
ハボックにとってはだが。 
ロイにとってはそうはいかなかっただろうが…。
なんせさんざんいいように翻弄されたのだうえに朝一番の出勤。 
おまけに今日は結構な土砂降りと来れば機嫌も相当悪かったろう。 
しかしロイは特に何もいわずにそっと一人出勤をした。
それはロイの優しさだったのだろうか醜態を見せたくないという意地だったか。 
それで、ベッドに残されたハボックは満足のいく惰眠と一抹の寂寥を抱えてベッドの上でつまらない文句を口にすることになったわけで。 
今日ならばいつもみたいの叩き起こされてメシ要求をされたって笑っておはようのキスをねだれただろうに…。 
ハボックはちょっと実現しなかった光景を思い描いてため息を吐く。 
夕べの無茶を一方的に責められたってそんな照れ隠しいくらでも腕の中に閉じこめて独り占めしてやろう。

「いつもみたいに?」 

はて? 

ここで自分の思考に疑問を覚えてハボックは首を傾げた。 
いつもみたいにと自分は思ったか?いつもこうなのか? 

「だめだ、わかんねぇ」 

とりあえずハボックはその糸を辿ろうとしたが、またその先にたどり着かないことに舌打ちをして考えることを放棄した。 
大概この感覚も慣れた。思い出せそうで、記憶の糸が見えているのにその先がぼんやり。 
慣れたとはいえ昨日までのようにイライラしなかったり、頭をかきむしりたくなるような思いをしないで済むのはもちろん確かなものをくれたあの人のおかげだろうけど。 

「あ、そうそう」 
ハボックは仕事に行くために起きあがり、そして何かに気づいてベッドサイドテーブルの引き出しをあさりだした。 
「…無い…」 
無い。
銀のプレート。

ハボックはがっくりと肩をおとした。 
恋人の証。
自分のきっと宝物。
取り上げることはないのに。

でも考えようによっては自分のものを大切に持っていてくれっているわけで。 
それはハボックにとっては少しうれしいことだったりするから気分としては複雑である。 
「いや!今はアレを返してもらえる努力をすべきだよな。アレは俺のものだし」 
そういえば昨日もすぐにポケットからでてきた。だからきっとずっと持っていてくれるんだろう。 

「いやでも返してもらうぞ」 
絶対に。 
なんでだか分からないけどハボックはそう思った。 
大切なもの。絶対に手放してはいけないもの。 
感覚での確信。 
記憶を失ってから繰り返すやたら馴染んでしまった感覚にハボックはうんうんと一人頷いた。 
この感覚は大事なことに関係している。 
ずっとそうだった。 
だから従った方がいいのだ。 
ハボックはさっさと支度をすると、午後出勤には少し早い時間に家を出た。 
大丈夫。
今はダメでもずっと頼んでいれば。
なんたって同じ職場同じ家。 
 
 

ずっと一緒にいるのだから…。 
 
 

しかし…

「出張?」 

そんなこと聞いてねぇ。 
空っぽの机を前にハボックはそんな台詞を煙草の煙とともに忌々しげに吐き捨てた。 
「今朝急に決まったのよ」 
ホークアイ中尉が書類の束を相手に何かあわただしく処理しながら顔も上げずに教えてくれる。 
「今朝?」 
「ほら、あなたが行くはずだった東方のテロの話があったでしょう?」 
「ああ、ブレダに行ってもらった奴ですね」 
確か昨日ブレダが帰ってきて報告を聞いた。 
なんでもブレダが東方にいたときの部下をまとめて展開したときはすでに連中は影も形もいなくなっていたとか。 
「それがね、またいきなり活動を始めたのよ」 
それもかなり大がかりに。 
「それはまた…」 
ハボックはうなった。 
確かにロイがあそこにいたときはロイ以下司令部直属どの部隊も実に手強い相手だっただろう、それは 
検挙率にも犯罪発生率にも如実に現れている。 
だからってロイの部隊がいないときをねらうとなると… 
「でね、ハクロ将軍がかんかんに怒って怒鳴り込んできたのよ」 
電話でだけれどもね、とホークアイは書類から顔を上げ面白くもなく付け加える。 
「お前たちはうちの管轄に来ていながら何を見ていた。あんなにテロがいるではないか。 
いないなどと嘘の報告はしていないだろうな。何の役にも立たないのか…」 
無表情で並べられた文句の数々にその場にいなかったハボックもその時の状況が目に見えるような気がしていやーな気持ちになる。 
「うっわ…」 
自分ですらそうなんだからあの妙に短気な上司がどんな気持ちでそれを受けたのやら怖くて聞く気にもなれない。 
「ブレダ少尉の報告書を見たけど、べつに何の落ち度もないのよ。むしろよくこれだけ短時間でちゃんと確認を取ってきたといえるほどね。だけれどもこうなってしまった以上責任を取らなければいけない。相手も悪いし。 
だから上司である大佐が謝罪と事態の収拾に乗り出さなければならなかったというわけ」

「大佐が…東方に?」 

どきん… 

ハボックの心臓がいきなり跳ね上がった。 

「え…?」 

なぜだろう。東方と聞いてこれほど心臓が暴れ出すのは。 
ハボックは冷静に自体をまとめようと頭を巡らせて、深呼吸をする。 
大丈夫。べつに何かあるというわけではない…はず。 
「どうしたの?」 
「いえ…」 
司令部自体はざわざわしているが、中尉だって落ち着いているし、事はハクロ将軍が騒いでいるだけのような雰囲気すら感じるのに。 
それなのにどうしたのだろう。このどうしようもなく不安というか感覚は。 
警鐘のような心臓の音は収まらない。 
「大丈夫?顔色青いわよ?」 

バクダン…ハ…スデニ…。 

キンと耳鳴りとともに混じって妙な言葉が頭の後ろに響く。 

爆弾?
爆弾って? 

「…中尉…」 
「なぁに?」 
「大佐…どのルートで東方に行くんですか?」 
この間爆破された線路と汽車はすでに復旧している。アレが一番東方に行くには早いルートだ…が。 
「ああ、そのことを心配しているのね」 
ホークアイはハボックの様子をどう取ったのか軽く息を吐いて安心させるように笑顔を見せる。 
「確かにあのときのテロの犯人はまだ捕まっていないものね。 
でも大丈夫よ。向こうにはセントラルの部隊をまとめて汽車でイーストシティに乗り込むと連絡して置いたけれども大佐はそのルートは使わないわ」 
「使わない?」 
「ええ、ちょっと大変だけれどもね。車で街道を行くわ」 
「部隊で?」 
「そんなの無理よ。大佐とブレダ少尉。運転要員2名ともう一台護衛用ジープでブレダ少尉の隊員4名。こんなところね」 
その方が小回りも利くし、なによりもまだ慣れていないセントラルの兵をまとめるよりも今までずっとロイについていてそれなりに言うことをきくイーストシティに残してきた兵士達の方がよっぽで使いやすいのでわざわざセントラルの兵など連れていく必要など無い。
事は早く動いて機先を制した方が勝ち。 
前回はブレダの到着は知らされていた。
そのせいでテロが引いてしまったのかも知れない。 
朝出発したのもそのためだ。部隊の準備をしているとイーストシティに大々的に連絡を入れて、その裏で少人数でイーストシティに入り込み事態を見極める。 
「だから大佐が出かけたのはこのセントラルの司令部とその周りの人間しか知らないわ」 
「………」 
それならば大丈夫だろう。ハボックはホークアイの話を聞いて納得…したはずだった。 
大体その辺の抜かりなど作るような人でもないし。 
それなのにハボックの心臓の音は収まらない。 

なんで? 

バクダンハ…アシドメ…。ルートハ… 

なんだ?この記憶は! 
ハボックはちらちら見える記憶の糸をたぐり寄せようと必死になる。 
しかしそれはいつものように手元で絡まるだけで 
「ああ…くそっ!」 
意味も分からず指先まで震えが来る。 
ハボックはその指で髪の毛をかきむしる。 

「……不安?」 
「…ええ…」 

 不安。
不安なんだろうか?なにが?イヤもちろん不安なのだこの感情は。 
「そういえば記憶を失ってからあなたが大佐のそばを離れるのは初めてだものね」 
…そういうことなんだろうか。そうかも知れない。しかし… 
ハボックは何とか落ち着こうと大佐の机を振り返る。 
そこはあわただしくでていったことが実によく見て取れる有様で、いつもの未処理の山の間に、半端に処理された書類が 
斜めに折り重なって机の隙間を埋めている。 
「…」 
ハボックはそれをそっとかき分けて…書類の下から細い銀の光を見つけた。 
「…これ…」 
「あら?それ大佐のドッグタグ?」 
例のプレートかと思った銀の光は大佐のドッグタグだった。 
まぁ大佐ぐらいになると付ける必要もないものなのかも知れないが。 
「あら?でも大佐ちゃんと銀のチェーン付けていらっしゃったような?」 
朝、出かけるときにわざわざ何か首にかけていたのを見ていたホークアイが首を傾げる。 
「ああ、あれドッグタグではなかったですよ。なんかプレートがついていて」 
そういったのはやはり側で見ていたフュリーで。 
「おしゃれですねって言ったら『寂しがるから連れて行くんだ』って笑ってらして」 
恋人からもらったものでしょうかね〜。 
ロマンティックですね。なんてうっとりフュリ?が口にするのを何ともいえない顔でハボックは眺めた。 
どの女性?なんて言ったらフュリーもそのロマンティックな気分など持ってもいられないだろう 
そういう女性とのつきあいしか知らないような男の大事に持っていったものは…。 

ちゃり…

どう表現していいか分からない感情でパンクしそうになりながらハボックは手の中の鎖を握りしめる。 

「………」 

本当に何をどう言ったらいいのか分からない。理由も何もかも。 

「…行ったら…どう?」 
その様子を見ていたホークアイ中尉は大きくため息を吐くと、小さな声でそう言った。 
 

「行ったらどうなの?悩むことがあるのなら」 

凛とした声。 

突き放したような中尉の言い方はなぜかいつもやさしい印象がつきまとう。 
しかしそういわれても、ハボックはうろたえるしかない。 

「…でも、命令でもないのに勝手に動いたら」 
「あなたは何か不安要素があると思ったのでしょう?」 
それは理由にはならないの? 
「でも…」 
その不安要素とは自分の予感と…不安と…そういう証拠にもならないものばかり。 
決められない。決定には判断材料がいる。その判断材料があまりにも少ない。 
いや、判断材料からすると自分は動く必要など無い。 
自分は待っているべきなのだ。 
彼はただ東方にいる敵を征しにいっただけであり、東方でならいざしらず…… 

ルートハ 2ツ シカ…コッチダトキイタ… 

耳に響く声の出所だけでも分かれば…。 

「…でも…」 
でも、それでも思考の奥底が訴えているのは… 

ホカハ…ヒツヨウナイ… 

「じゃ一つきくわ。あなた…大佐の何なの?」 
ホークアイは大きくため息を吐くと人差し指を詰問するようにハボックに突きつけた。 
「えっ!」 
その言葉にとっさに夕べのことが頭に浮かんでハボックはあわてたが…。 
「関係って…」 
「別にプライベートのことをきいているのではないわ」 
しかしハボックのそんな様子を無かったようにさらりとかわして、追求するような態度の中尉の言葉はあくまで切り込むような鋭さを持つ。 
「え、ああ…と…護衛、ですけど…、でも今は…」 
待遇は副官であり、大佐の護衛である。 
書類上はそれは変わらない。 
が、今はその任務をとりあえずはずされている。記憶のない状態では任務を完遂できるとは思われないためであるが。 
それ以前に記憶をなくしてからは、記憶のリハビリと称してあらゆる仕事からはずされている。 
そしてあらゆる仕事を手伝い、経験させられていたりもするのだが。 
「確かに今は護衛ははずされているわね。でもそれであなた護衛をしないつもりなの?」 
「いえ!そんなことは!」 

「だからもう一度きくわ?あなたは大佐の何?」 

あなた何? 
大佐の? 

…俺は何? 
大佐にも言われた 
『お前は自分のことだけ落としてきてしまったんだな』 

自分は。 

俺は大佐の…護衛で…それだけでなくてきっと…。恋人で…でもきっとそれだけでもなくて…。 

ただ心を奪うほど鮮やかなあの人の…。 

…役職なんか考えたって思い出せるわけもない。 
でも自分は大佐を… 
所在なげにふらふら動いていて手がぴしりと身体の横でのばされる。 
ハボックはその手をぐっと握り込む。 

「行きます!」 
自分でも驚くほどはっきりと返事がでた。 
「わかったわ」 
ホークアイはほっとしたような表情であっさりと笑った。 
「少し人を動かしていいですか?」 
「いいわよ。勝手にして。それだけの権限は持っているでしょう?」 
権限はあるけど今は固定任務がないから動きやすい。 
意図したことではないけれどもありがたい自分の状況。 
もちろん許可もなく、命令も無い権限行使は後で厳罰ものだろうけれども。 
「大佐の忘れ物を届けに行かなければいけないですしね」 
「そうね、理由はそうしておくわ」 
飛び出す自分はいいとして、中尉はそれをフォローしなければいけない立場にあるのだから大変だろう。 
それでもむしろ安心したといわんばかりの表情を見せるこの人は、やっぱり優しい強さできっとあふれている人だ。 
「ありがとうございます」 
「礼を言われることではないわ」 
「でも背中押してくれて」 
「あたりまえよ。私たちは大佐の護衛。大佐の安全はすべてに置いて優先されるわ。そのためにはわずかな不安要素も無視してはならない」 
そして不安要素を取り除くためなら決まり事など二の次で。 
「はい!」 
今度は躊躇無く返事ができた。 
だって心ははっきりと答えを出している。俺はあの人を守りたい。 
曖昧な記憶も、決まられた役目も、この心の前にはくそくらえ、だ。 

自分はあの人を守るためにあるのだ。 
 
 

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