1998.08.15初出
SCENE.3 見えない三角
それから、以前程ではないものの、やはり夢を見る度に御機嫌なジーンだった。
相変わらず、あちらの声も届かなければ、こちらの声も届かない日々が続く。
だが、日本語を解するジーンは彼女の唇の動きを真似る事で少女の名前らしきものを知る事に成功していた。
『ま・い』
どうやらそれが少女の名前らしい。
ジーンにとっては、何故彼女の夢を見るのか、どうして日本などと云う遠い異国の少女を知る事が出来たのか等、そんな事はどうでも良かったらしい。彼の中では、原因も結果
もどうでも良かったのだろう。
現在が全てだった。
そのジーンは彼女の存在を感じてから何年目かにして、やっと日本へ行く機会を手にする事となった。現在の養父母に引き取られて以来、二人はこれ以上は無いと云うくらい、安定した生活をしている。いや、安定しているどころか
これ程充実した日々を過ごしている。彼等を異端として見る事無く、必要な人材であると認めてくれる人々と出逢った事、また、その場で自分にしか出来ぬ
事をとことんまで突き詰めていく事のできる環境。全てが理想的だった。
そんな生活をくれた両親に、さすがのジーンも我侭は言い出せなかったらしい。自分から夢の少女を探しに行きたいと言い出した事は無かった。
だが、日本のとある団体から降霊術の依頼がSPRにあったのだ。
本人の希望と、相手の「優秀な霊媒を期待している」と云う依頼内容から、人選はあっさり、決まった。
こうしてジーンは日本へ渡る口実を手に入れたのだ。
日本行きが決まってからのジーンは「そのついでに各地を回って、古いスタイルの霊媒が居るからそれを調べてくる」と日本の滞在期間の延長の申告までしていた。
だが、ナルは知っている。
まだ出立までに何日か有ると云う時から浮かれて「まい」に会えるかもしれないと口走っていた事実を。
ジーンの目的がどこら変にあるのか自ずと知れてくる。
「あれだけ大勢のガールフレンドが居て、まだ足りないのか?」
前に一度だけジーンにそう問うたことが有る。返すジーンは笑っては、おっとりと
「何言ってるの。自分が纏わり付かれて困ったものだから全員僕に紹介し(おしつけ)たんだろ?
前にも言ったと思うけど、ナルと僕の好みは良く似ているんだから」
そこで、一拍おいて付け加える。
「本命は今のところ居ないしね」
「……」
思わず、沈黙してしまうナルだった。
こいつの外面の良さは尋常じゃ無いと、この時程強く思った事は無いだろう。皆、騙されてる、とも。
大体、こいつは昔から何かを言いかけては止めると云う性癖があった。
相手が聞きたがっている話しの途中で勿体つけて、言葉を飲み込み「やっぱりいいや」なんてお預けにする。
言われた方はたまったもんじゃ無いだろう。
そうやって、気を引くのはジーンの常套手段だった。
ナルにしてみれば、今以上にその相手と親しくする気が無いのなら、余計な期待等持たせるべきでは無いと考えている。不確定要素で相手を縛るより、その方がまだ、親切だと思っていた。
ただ、人間関係に関する限り、できるだけかかわり合いになりたくは無かったので、結局知らぬ 存ぜぬを決め込むナルだった。
まあ色々ありはしたものの、こうしてジーンだけが機上の人となり、これがナルにとって生きている彼を見た最後の姿となったのだった。
◆
時間が時間だった所為だろうか、校内に人影は殆ど無かった。
それまで部活に望んだ者も帰宅時間をむかえ、あとは時間延長を申し込んでいる者ぐらいしか残っては居なかったのだが、それも先程降り出した雨の所為でグランドは水浸しとなり、あらかたの生徒は帰ってしまったものと見受けられた。
ナルは人気の無い建物と云うものには慣れているが、シンと静まり返った校舎と云うものが異質な世界である事をひしひしと感じていた。
いつもなら、何所かしらに人の気配が溢れ静寂とは無縁な建物は、今はひっそりと息を殺して招かざる客の動向を見つめているような錯覚を覚える。
まるで警鐘のようにナルの足音だけが響く廊下は何処までも単調で、時間と空間の枠を越えて常世では無い何所かに迷い込んでしまったようだ。
その所為だろうか。学校と名の付く所には七不思議だの怪談だのと言ったものが必ずと言って良い程存在する。だが、ナルが今まで行ってきた調査によれば、その殆どが噂から派生したものであり、そのスポットで「こんな事があった」と聞かされてから現場に赴いた者が、自己暗示により、幽霊を見たり心霊体験をするのだ。前もってその知識を植え付けられなかった者がその手の体験をする事は、まず、無い。
以上の事から、噂の通り実際に現場で事件があった例は限り無くゼロに近いと言って良いだろう。
この学校のケースは珍しく、事実があってから噂が派生しているようだった。調査をする時は決まって過去に同じような事例が無かったか調べるのは基本中の基本になっている。結果
、幾つかの事件は確かに有ったようだが、どれも事故の範囲で説明の付くものだった。ただ、事故が続いて起きた為にこの場所は不吉な場所だと云う事になり、そして不吉な場所で解体作業などするから事故が多発するのだと、何時の間にか過程と結果
のすり替えが行われる。
それが真実。
その結果が「調査依頼」だ。
校内を見てまわるナルが何気なく雨の音に耳を澄ませていると、何処からか人の気配がただよってきた。気配を追っていくと、地下へ降りる階段の先に特別
教室が見える。ドアには「視聴覚室」とプレートがかかっていた。
どうやらこの中に誰か居るらしい。
明かり取りとしては全く役に立たないから、密室を作らない為の配慮と思われる窓から―――カーテンでも引いてあるのか中の様子は分からないが、そのカーテンの隙間から―――ごくごく小さな青い光がチラチラとのぞいている。
それを暫く見ていると、囁くような話声が途切れて明かりが消された。
ナルはこんなシチュエーションを良く知っている。
この部屋の中にいる人物は怪談を行っている可能性が高いと判断すると、次の行動は速かった。気配を殺してドアノブに手をかける。
身を滑り込ませた中では丁度、カウントをとっている所だった。
「いち……」
微かに震えるか細い声。
「にぃ……」
「さん」
「し……」
声はそこで途切れた。
確認できたのは女の子が4人。多くも無いが、少なくも無い。おまけに怪談が好きなタイプ。情報収集には丁度良い。
そこでナルはカウントの続きを口にした。
「ご」
途端に辺りは悲鳴の渦となり、少女達はお互いに抱き合うような形になった。何時までも騒がせておく必要も無いので、手元に有るであろうスイッチを探る。ナルが探し当てたスイッチは主電源では無かったようで、グリーンの薄暗い非常灯が教室の中を照らし出す。
教室の中には予想通り、女の子が4人。予想外だったのはその中の一人。
夢の中の少女、『まい』の存在だった。
―――どうしてここに彼女がいる?
息が止まるかと思う程の衝撃。
だが、ナルの動揺など少女達には伝わらない。彼女達はナルの登場に驚きはしたものの、相手が生きている人間だと分かった時の立ち直りの早さは目を見張る程だった。
ナルの顔を見て、先程とは別種の悲鳴を上げ、今度は何者かを問いただそうとし始める。なんとか、お近づきになれないかと感情の為せる技だろう。
これにはナルも慣れたもので、「転校生ですか?」と云う質問には「そんなもの」と云うあやふやな返事で通 した。
キャーキャーと騒ぐ女の子達の中で、ただ1人、例の少女だけが訝し気に様子を探っている。他の3人がそれぞれ質問を繰り出してくるのに対し、彼女は何か納得がいか無いと云う表情。
―――もしかしたら、すでにジーンと逢っていて奴と間違えているのだろうか?
ナルの中でそんな疑問がわいてくる。
「渋谷さんとやら、なんで、こんなところにいるんですか」
彼女の口調からは質問以外の意図は感じられなかった。
「ちょっと用事があって」
それとも、彼女も何等かの形で「こちら」の夢を見ていたのだろうか?
「では……それをすれば。あたし達は帰りますから」
警戒されていると思った。だが、心当たりが無い。今のところは……
「もー、麻衣ったらー。気にしないでくださいね、センパイ。
あ、用事ってなんですか? あたし達も手伝いまーす!」
『麻衣』……やはりこの少女が『まい』なのだ。
「いや、テープのダビングだから…… 本当は急いでやらないとまずいんだ。でも、今度怪談する時は仲間に入れて」
ナルは出来るだけ平静を装う。落ち着いて、大丈夫。表情には何も出なかったはず。ちゃんと自制出来ている。
「じゃ、明日の放課後!」
「うん、どこ?」
きっとこの後何度も会える。調査の間、話を聞きに行く機会ぐらい幾らでも作れる。
「あたし達の教室! 1−Fです!」
「じゃ、あたし達、失礼しまーす」
「気をつけて」
「はーい。」
そうして少女達は教室を後にする。ただ1人、麻衣だけが時々後ろを振り返りつつ。
知り得た事は彼女の名前と、クラスだけ。
ナルは4人の姿が見えなくなるまでその姿を追った。彼女達の姿が完全に見えなくなってから、ナルの口をついて出た言葉は「まぬ け」だった 。
結局、ジーンは彼女に会う事無く逝ったのだろうか?
では、夢を見ていたのはジーンの方では無かったのだろうか?
夢を見ていたのは自分だったのか……?
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