2004-10-31
‡ 十五 かくして博士は語りき ‡
その後、夢で別れを言いにきた美夜子に驚いて跳び起きた真砂子とジョンも現場に立ち会うこととなた。まさに消える瞬間に間に合った二人は美夜子であった人物が麻衣に戻る瞬間にも立ち会った事になる。そして、事件が解決したことと関係が有るのか、ジーンもまた同時に眠りについて、事情が飲み込めない克美と、何があったのか知らないジョンや真砂子にジーンのことをどう説明すれば良いのか分からない滝川だけが取り残され、1人右往左往する羽目に陥ってしまった。もちろん、リンはさりげなく滝川の苦境に気付かない振りをしていた。それよりも正気に戻ったときのナルの機嫌の方が彼にとっては頭痛の種だったから。
夜が明けると、卸堂邸はさらに人数が増えて混乱を極める。電話が切れた時点で取って返しそうになった綾子を「せめて、明るくなってからと」説得して引き留めたのは意外にも広田正義だ。頭は固いが言ってることは正論なので、これ幸いと安原がその言葉を利用して丸め込んだ。何かがあったとしても、移動時間を考えればどれほど急いでも起こってしまった事は取り消せない。それよりも、何も知らないで飛び込んで行く方がかえって迷惑になるかもしれないからと。そうして明け方着いた面々は気を失ったままの麻衣と、やはり寝たままのナルに何が起こったのかが知りたくて滝川に詰め寄ったのが朝の事。それぞれが勝手に喋り出すものだから滝川が「俺は聖徳太子じやねぇ〜!」と切れてだんまりを決め込んだ所為で、結局、全ての謎はナルと麻衣が起きてくるまでお預け状態になっていた。
「結局、どうだったのよ?」
昼過ぎに優雅に食事を取っているナルを綾子は腕組みをして睨みつけた。ナルはつい先程目を覚ましたはずなのに、邸内に溢れる人員を見ても驚きもしなかった。それ所か、行きより一人増えている事すら当然予測してしかるべくだったらしく、一瞥だけで済まされてしまう。
目が覚めて、彼が一番初めにしたのは麻衣をたたき起こし、麻衣と美夜子の間で交わされた会話を確認することだった。このとき、何故か二人だけで話しがしたいからと全員が部屋から追い出されてしまった。だから中で二人がどんな会話をしていたのか誰も知らない。次いでリンと滝川が呼ばれて今度は三人だけで密談をする。
ナルが昨夜の出来事を全て聞き終えて、整理が着いたのか説明を始めたのは皆がしびれを切らし始めた昼下がりの事だった。
今回の調査が終了したと全員が感じているため、雰囲気だけは、けだるい優雅なお茶の時間だ。麻衣がいつもの通り、お茶の用意をして部屋中に紅茶の香りが漂う。ここでは流石にいつもの飲み物を要求する訳にも行かなくて、全員に紅茶が供される。
「まずは、事件の全貌から。
発端は半年前、御堂美夜子が事故に遭ったことから始まります。安原さんと松崎さんが調べてきて頂いたとおり、彼女はこの時点で死亡が確認されている。だが御堂辰巳氏は納得しなかった。彼女を連れ帰り、持ち前の知識を利用して蘇生術を試みる。そのとき使用されたのが紫苑の人形だ。
ここで、ひとつ付け加えておくことがある。三矢紫苑は能力者だった。彼は自分の製作した人形の目を通してものを視る能力があった。先天性の弱視だった彼の視力を補う力だったようだが、彼はこの力を通して美夜子のことも辰巳のことも全てお見通しだった。その上で、三人は共通の秘密を持ったんだ。それぞれが誰かに固執していて引き留めようとしあっていたから、そのうちバラバラだった意志が一つに縒り合わさってこの事態を引き起こすことになった。巨大化した意志は個人の思いとは別の方へ向く。そこへ辰巳氏が事故で死んで、肉体を失うことにより、精神面での力が増大していった。
一つ一つは些細な事だった筈だ。それが積み重なるごとに力が蓄積される形になったのは、もともと黒魔術に興味のあった辰巳氏の功罪だな。後で調べれば分かると思うが、屋敷全体に配置された壁の飾りや柱などに儀式用のデザインが隠されているはずだ。後は皆も知っている通り、意志を持たない力が暴走して屋敷に有ったものを引き寄せる現象がはじまった。結束した力が崩壊したのはそれぞれが欲しかったものが手に入ったからだ。
───結論から言えば、彼らは『家族』である事に執着していたんだ。もともと全員が他人から構成された家族だっただけに───」
「え? ちょっと待ってよ。全員が他人って、克美と美夜子は……?」
綾子が驚いてナルの弁舌を中断させると、真砂子と麻衣が両方から腕を押さえて首を振った。
「松崎さん」
「お願い、綾子」
───黙っていてあげて。
その様子から二人ともが美夜子の気持ちを知っていたのだと悟った綾子は、次の言葉を飲込んだ。
「やだなぁ、松崎さん。僕の資料にちゃんと書いてありますよ。二人ともほぼ同時に養子になってますが、美夜子さんについては迷子だった彼女が辰巳氏と克美さんになついていたのでそのまま引き取る事になったって」
ひどいわと言いた気に安原が『しな』を作れば、茶化すなと滝川にはたかれる。
「……では続けます。彼らは全員が血の繋がらない他人で構成された家族だった。そして誰もが不安を隠し持っていた。一見幸せそうにしていても、本当は不満があるんじゃないか、この家から出て行きたいんじゃないかとね。それは杞憂だった訳だが、至って本人には大事なことだった。それを聞くのが怖くて聞けずにいた為に不安は解消されなかった。
───不安が解消されればここに居る理由は無い。
それぞれ満足する答えを得ることによって彼らは昇華されたんだ。生きているが故にこの場に残ってしまった人物を除いて」
ナルはそこで一旦、息を継ぐ。
「大体の所に間違いは無いと思うが? 麻衣、リン、ぼーさん?」
「合っていると思う」
滝川が答え、リンと麻衣が無言で頷きかえした。
「以上です」
ナルが言い切ってこの事件は終了を告げられた。
説明会がお開きになると、今度は撤収が待っている。それぞれに席を立ち、割り当てられた仕事へ戻るために部屋を出て行く。その際、絶対口を挟まない事を前提に、立ち会う事を許された広田も話は終りだとさり気なく帰ろうとしたが、安原と綾子に見付かって連行されて行く。ナルが一人、優雅に残ったお茶を口に運んでいると、部屋を出て行きかけた麻衣が戻ってきた。
「ナル! あのね、黙っててくれてありがとう」
何事かとナルが顔を上げる。
「美夜子さんの本当の所。隠しててくれたでしょ」
どうやら美夜子が妹としてではなく。一人の少女として克美が好きだったこと───愛していたことを伏せて説明したことのようだと思い当たる。
「今更表に出したところで、どうしようも無いだろう? それに、それを言うのなら一番割りの会わない人物が他に居る」
「誰?」
真顔で聞かれてナルの眉間に深い皺が刻まれた。
「どうしようもなく鈍い奴だな」
深く息を吐き出して麻衣に視線を合わせる。
「三矢紫苑ははじめ、辰巳の為とか、奴に思を売りたいとか思っていたようだが、本当はもっと単純な事だったんだ。彼は美夜子のことが好きだったんだ。それこそ親友の娘とかいうレベルで無く。だから辰巳のために美夜子の人形を作っても本物には敵わないからいつまでも完成しない。だのに辰巳は復顔の技術を持って美夜子のデスマスクを作り上げている。生前の彼女を思い起こさせるほど完成度の高いものを。
余程悔しかったのか、紫苑の作った人形に付けられた首を外してそれをその人形の中に封じている。
そして美夜子は克美のことが好きだから、どんなに頑張ったところで自分のものにはならない。それでも破女の望をかなえてやりたいと願うのは惚れた弱みという奴だろうな。
まったく、こんな非生産的な事をよくやる……」
ナルが説明している横で麻衣が笑いをこらえるように口元を押さえた。不審に思って問いただすと麻衣が答える。
「だって、ナルの口から『惚れた弱み』とかって単語聞くとは思ってなかったんだもん」
それを聞いてナルは不機嫌になった。何故、自分がそういう単語を口にするとおかしいのか。
「笑っておられますが、谷山さん。原さんと谷山さんを襲おうとしたのは彼なんですが」
麻衣の顎がかくんと落ちる。
「紫苑は美夜子の為に、克美に近づこうとする女性を無意識に排除しようとしていたんだ。人形のモデルを探していたのも本当だが、場合によっては辰巳の霊に首を渡して美夜子のために新しいボディを作る気だったようだぞ?」
「うそぉ」
「首さえ無事ならデスマスクが出来る。美夜子に対する恋慕の情と芸術家としての性と混在した意識のまま中途半端にお前達を傷つけようとして失敗したんだ。美夜子が言っていたろう。お前達が傷つかないように気を使っていたと」
今度こそ麻衣はショックを受けて黙り込んでしまう。そこへなかなかベースに現れない二人を探してリンと滝川が戻ってきた。
「いたいた。二人とも何やってんだ。上行くぞ。それから依頼人をこき使うな」
のんびりお茶をすすり続けるナルに呆れながら滝川が回りこんでくる。リンはいつものようにナルの後ろに無言で立って、威圧しはじめた。どうやら上では克美が設営の時のように撤収まで手伝っているらしいと聞いて、麻衣は慌てて部屋を出て行こうとした。その麻衣が何を思ったかドアのところでもう一度、くるりと後ろを振り返る。
「忘れてた。あのね、あの後ジーンが伝言おいていったんだけど、意味分かるかなぁ?」
三人分の視線が麻衣に注がれてほんの少し、居心地の悪さを感じつつ、麻衣はジーンの伝言を口にする。
「えーっと、『ナイトじやなくて、ロードだったら良かったんだよね』って。何のことだか分かんないんだけど、そういえば伝わるからって―――え?」
麻衣の言葉を聞いた滝川は大爆笑を始め、リンは複雑そうな顔をしている。そして伝言の当の相手、ナルは見た目にもはっきり分かる程動揺していた。
手に持っていたカップが滑り落ちるほどに。
「な・何? あたし変なこと言った?」
リンは毛足の深さに救われて、割れずに無事だったカップを拾い上げてテーブルに置き直す。滝川はまだ笑い続けている。
動揺から立ち直ったナルはがっくりと肩を落とし次の瞬間には不機嫌も露に麻衣を睨みつけた。
「……もう良い。さっさと行け」
「え〜なんで!。ろーどって、『道』のことでしょう? なんで道なの?」
麻衣は素直に聞いただけなのに、ナルは背後におどろ線を背負っていた。
「くどい!」
ナルは自分でカップを抱えて流しに消える。仕方なく麻衣は膨れっ面のまま階段を昇っていくが、残ったリンと滝川はお互いの顔を見合わせた。
「だから言ったろ?」
「まさか本当だとは思いませんでした。ナルにしては随分思い切ったことを言ったものです」
そう、昨夜二人は、リンは何があったのか、滝川はナルの台詞の意味が知りたくて、お互い聞きたかったことを確認しあっていたのだ。
「しかし、ナイト(騎士)っていやぁ、王子様(プリンス)ってイメージがあったんだがねぇ。そっちじゃ違うんだな」
「当然でしょう。ナイトというのは本来貴族などに与えられる称号の一つです。大抵の場合、貴族の末席に列せられ、そしてその場合、ナイトには使えるべき主人が居ることになります」
昨夜のリンの説明はこうだった。
一つ、ナイト───騎士とは主従関係を表す階級の一つであること。当然与える側と与えられる側が居る訳だから、与えられた側がそれを受けるということは、相手に対して主従関係を結ぶことを意味する。主は与える方の事である。
トランプにたとえるならば、Kはキングで、一国の王、項点に立つものだ。Qはクィーンで、キングの配偶者となる。続くJだが、俗にジャックと呼ばれる彼は二人の子供ではなく、彼の役職こそナイト(騎士)なのだそうだ。ナイトとは本来、王様を守るための捨て駒を示す。つまり、王子様が騎士の称号を持っている事は有り得るが、騎士の全てが王子様とイコールで結ばれる事は無いのだ。
プライドの高いナルなら確かに嫌うだろう。だが、それ以前に、ナイトには不文律が存在する。
───守るべき対象と同列に並んではいけない。
ひいては、守るべき相手とは恋愛関係になってはいけないと云う事なのだ。プリンセスと結ばれて良いのはバランスのとれたプリンス(王子様)かキング(王様)だけなのである。
付け加えるなら、ロードと云う言葉を翻訳すれば君主とでもなるだろうか。
相手の身分に関係なく、自分にとってただ一人、仕えるべき人物などにこう呼びかける。
───マイ・ロード……と
私だけの主君殿。我が君と。

昨夜、この説明を聞いた後の滝川の反応はご想像にお任せするとして、リンとしては篤くべきことばかりである。
ナルにも独占欲があったらしいこと、それも自覚があって。自覚があるのなら、態度も合わせてはっきりして欲しいものである。
これ以上、人間関係が拗れる前に……
それでもナルが自分から口にするとは、やはり精神的には相当追い詰められていたものらしい。少なくとも、克美の狙いは悪くなかったのだ。肝心の相手にその意志が伝わっていなかったとしても、あのナルにしては大した進歩だ。だが然し、相手があの麻衣では急速な進展は望めそうもない。その一点については同情してしまう。厄介な人物に難解な人物が惚れてくれたものだ。だが、悪いことではないし、むしろ歓迎すべき状況ではある。カップを流しにおいてきたナルが不機嫌も露にリン達を睨みつける。きっとナルの内側では色んな葛藤が渦巻いているのだと思うとおかしさが込み上げてくる。それをきれいに押し隠して、この年若い上司に表面上は何事も無かったかのように接した。滝川も余計なことを言ってナルの機嫌をこれ以上害うつもりは無いらしい。必死で笑いをこらえて「仕事、仕事」と口にしながらベースへ走って行った。
ナルが長い溜め息を吐き出す。
「笑いたかったら笑って良いんだぞ」
「笑うようなことでもありましたか?」
突き放して言うと、途端に困った顔を見せる。こんなときは出会ったばかりの頃のナルを思い出してしまう。非常に出来た人間ではあるか、自分よりは人生経験の少ない若人なのだ。
「いつまでもぐずぐずしていると、他の方々から逆襲にあいますよ。この頃では彼らも貴方のからかい方を研究なさっているようですし、自らネタを振るのも不本意でしょう?」
そう促して、リンが先に部屋を出ると、慌てたようにナルが続く。そして一歩だけリンの前に出て歩きだした。そこには、恋に戸惑う少年の姿は無く、かわりに渋谷サイキックリサーチの所長、渋谷一也の、または将来を期待される若き心霊学者オリヴァー・デイビスの姿があった。