2004-10-31
‡ 十四 未必の恋 ‡
その日、夜遅く克美は聞き覚えのあるメロディーにベッドから身を起こした。どうせ眠れなかった所だ。まんじりともせず、過ごす夜は泳く耐え難い。この際、気を紛らわせられるものが有るなら何でも良かった。すぐに上着を取り出し、パジャマの上から羽織って部屋を出た。実は、メロディーの音源は心霊調査所のメンバーがベースと呼んでいる部屋だと克美は思っていた。夜の夜中に蓄音機なんてレトロな物に興味を抱くとしたら年長組のリンと滝川の二人ぐらいだと考えたからだが、実際に部屋から出てみれば全く逆の方向から聞こえていた。
音を辿ってみれば、それは美夜子の部屋から聞こえているように思われる。
克美は漸く何かが変だと思った。
どこか異常だと気が付いたのは、これだけの大音響にリンや滝川の姿が見られない事。ジョンや真砂子は言うに及ばず、静寂を好むナルの姿まで見えないと云うことだ。普通、これだけの大音量で真夜中に音楽が聞こえてきたら目を覚まさないだろうか?
不審に思って調べに来はしないだろうか?
振り返ればベースからは僅かに明かりが漏れていて、中の二人がまだ起きていることを告げていた。
こうもあからさまに怪しい昔がしているのに誰も来ないと言うことは、他の誰にもこの音は聞こえていないのかもしれない。
だとしたら、この音は人を選ぶのか?
克美は考える。この現象から導き出される答えは何か。
自分は呼ばれているのだ。
では誰に?
それもすぐに見当がついた。
意を決して克美は美夜子の部屋のノブに手をかけると、カチャリと音がしてドアが開く。ゆっくり開いたドアの向こうに美夜子が立っていた。
留学する前に見た時のままの姿で、美夜子は一人でダンスのステップを踏んでいた。大人になりきらない、まだあどけなさを残した少女はクルクルとスカートの裾を翻しながら踊っていた。
克美が言葉を失って立ち竦んでいると、美夜子はやっと侵入者の存在に気が付いて、振り返りながら花のようににっこりと微笑む。
「どうしたの? おにいちゃん」
ふわりと羽根が舞うような仕草。自分が覚えていたままの美夜子がそこにいた。
「変なお兄ちゃん。寒いでしょ、ドア、閉めて?」
何事もなかったような、普段そうするように話しかけてくる美夜子に克美は目眩を覚える。
違うと分かった。いや、分かってしまった。確かに目の前にいるのは美夜子に違いないのだが、ナルが彼に告げた事は真実なのだと悟らざるを得なかった。
ここにいるのは美夜子であって美夜子ではない存在だ。
「美夜子……みぃや?」
それでも愛しさは変わらない。腕を伸ばし、そっと頬に触れる。確かな温もりが哀しい。頬に差し出された手に自分の手せ重ねて美夜子は頬擦りをする。克美の存在を確かめるように、そっと。
「渋谷さんが……彼は───みぃやはもう死んでるって言った」
「うん、隠してて御免ね。お兄ちゃん、念願かなって留学してるの邪魔なんかしたくなかったし、もっと、ずっとここに居たかったの」
美夜子は克美の手を放すと、今度はじっくりと向き合う。それから美夜子はゆっくり歩み寄り、克美の胸に顔を埋めた。
息を潜めて克美の鼓動に耳を澄ませる。
「心臓の音って、優しいね。すごく安心する」
「産まれる前からずっと聞いていた音だから」
「温かい」
「美夜子も温かいよ?」
克実は泣きそうになる。美夜子は本当に温かかった。温もりと心音が密着した服の上からでも分かるくらいに。死人が温かい筈が無い。鼓動は生きている証し。ではこの温かさと、心音の主は誰か?
「あのね、谷山さんといっぱい、お話ししたの。聞いてくれる?」
克美の不安を嗅ぎ取ったのか、美夜子は自分から其の名を出した。
「惜しいことしたな。生きてるときに会っていたら絶対、親友になれたのに。一緒に街を歩いて、買い物するの。それで、ファーストフードの食べ歩きするの。二人で愚痴の言い合いなんかして、そしたら楽しかっただろうな」
なんと返したらいいのか分からなくて克美は黙ったままだ。それにしても何故、愚痴の言い合いなのか?
「知ってる? 渋谷さんって、すーごく頭良いんだそうだけど、それを臆面も無く口にするんだって。
自信家でそれに見合った実力があるのはいいけど、人を見下す癖はなんとかして欲しいって言ってた。しかも、自分の容姿が人目を引くことも自覚があるもんで、女の人振っちゃうときに『自分は鏡を見慣れてるから』って言ったそうだよ。
確かにあの顔でそんなこと言われちゃったら、女の子としては屈辱的だよねぇ」
ナルのナルシスト振りは麻衣から聞いていたのでそれ程驚きはしないが、『鏡』云々の件は確かに凄まじい。
「顔と頭は良いけど、口の悪さと、根性の悪さと、学者ばかなトコと、ワーカーホリックなトコとぉ、えーっと後なんて言ってたっけ?」
くすくすと思い出し笑いが擽ったい。
「不思議ね。でも嫌いにはなれないんだって。
彼が一見横暴に見えても、それは彼が自分の判断に絶対の自信が有るからで、我侭じゃ無いって分かってるから従うんだって。そのくせ、間違ったと思ったときはちゃんと謝ってくれるらしいよ? 変に潔くって困るって。もっと嫌な奴だったらとっくに見捨ててやるのにて言ってた。
ふふ、こんなにけちょんけちょんに貶してるのに麻衣ったらね、渋谷さんの事話してるとき楽しそうなの。笑っちゃうよね」
それまで埋めていた顔を上げて克美を見上げる。
「お兄ちゃんは、好きな人居る? あのねあたし、麻衣だったら許しちゃうかも?
麻衣にならお兄ちゃんのこと任せても良いかなって。だって、お兄ちゃんも好きなこと始めると回り見え無くなるでしょ? 放っとけないんだもん」
「麻衣ちゃんは渋谷さんが好きなんだ」
「本人に聞いたらわかんないって。知ってる? 渋谷さん双子で、渋谷さんのお兄さんの方が優しかったんだって。でももう死んでるのよ。だのに麻衣は迷ってるの。
今ならチャンスだよ。横からかっ攫ちゃえ!」
思春期の少女特有の無邪気さなのか、考え様によっては残酷な事をさらりと口にして克美の目を覗き込む美夜子に、彼はただ黙って首を横に振った。
「出来ないよ。僕は、僕にとっては───世界中で一番大切な女の子はいつだって一人だけだった」
克美の静かな瞳が美夜子を捕らえる。
「初めて逢ったときから、ずっと見てきた。これからもそうするつもりだった。
言わなくったって分かってくれてると思ってた。
君を守ると約束したあの日から、僕の中にいるのは美夜子だけ……だったのに……!」
きつく、渾身の力でもって美夜子を抱き締める。
誓いを守れなかった自分が悔しかった。美夜子は自分の気持ちなどとっくに知っていると思い込んでいた。だのに、自分以外の誰かを薦められると思ってもみなかった。
「愛してる―――君を誰よりも !」
腕の中の美夜子は泣きながら克美の告白を聞いていた。
美夜子は今の今まで、時折見る夢は自分の願望だと思っていたのだ。誰かから逃げている幼い自分を助け出してくれる王子様の夢。いつだって、王子様が助けてくれるとさのフレーズは一緒で───
『君を守るよ』
では、あれは夢などではなく、過去の記憶だったのだ。本当にあったこと。
克美の初めての告白に美夜子は体中が熱くなるのを感じ、目を閉じると優しい光が頭上に降り注いでいた。
それと内側から温かい気が流れてくる。
───馬鹿みたいだね。
口にすればこんなにも簡単だったのに。
大好き。
世界中の誰よりも好きだった。
本当は麻衣の身体を乗っ取ってしまうことだって考えていた。克美が自分以外の誰かに、あんなに優しく笑いかけるなんて無かったことだから。
もしかしたら、克美は谷山麻衣という人物が好きになったんじやないかと勘ぐっていた。麻衣は違うよと笑っていたけれど、麻衣が揺れる瞳で克美を見ているのも嫌だった。
二人並んで居るのがとても自然で、似合っていたから余計に怖かった。たとえこのまま克美を日本に引き留めることに成功しても、克美と麻衣が一緒になるのを見るのは耐えられなかった。
だから麻衣に好きな人が居るのならさっさとそっちと片付いてくれないかと思いもした。
一番可能性の高いのは黒い服を来ていた彼───ナルだと思っていたら、もう一人、別の名前が出てきた。お陰でナルに寄り添う影の正体が分かったのだけれど。
この三人は互いに傷つけまいとして、自分を押し殺しているらしいと気付いたのは多分自分だけだろう。
麻衣は『好きな人』の名前にジーンという名を口にのせたけれど、どう見ても迷っているとしか考えられない口調だった。事実、彼女はジーンという人も好きなのだろう。彼のことを語っているとき、確かに楽しそうだったから。対してナルという人を語るとき、怒ったような、それでいて優しい目をしていることに本人は気付いていないらしい。
そして、当のナルとジーンは互いに相手に一歩譲るようなスタンスを取っている。
死者であるが故に身を引こうとする彼と、死者に対する逡巡を見せる彼と、お互いがお互いに身を引こうとしているように見えた。
そして三人が三人とも、事の結末を見たくなくてはっきりさせる気が無いようにも見えた。
選ぶなら二つに一つ。
だけど知らないままならいつまでも三人でいられると考えていたのか……
でも、もう麻衣は自分の内に、答えを隠し持っている。ほんの少し、戸惑っているのは自信がないから。はっきりと口に出して言える程、確かなものになっていないから。
彼女はこれからその気持ちを育てていかなければならないだろう。もしかすると、育ち切る前に別の誰かに断ち切られてしまうかも知れない。または育った気持ちにさえ気付かずに眺めているだけかもしれない。
それは美夜子がどうこう言うべき物ではないし、言ったところでどうにかなる類のものでもない。これは純然と三人だけの問題だ。
───もし、叶うなら、麻衣と入れ替わってでも克美の側に居たかった。
だけど美夜子は一番欲しかったものを手に入れてしまった。自分の気持ちに気付いてからずっと、聞きたかった言葉。
───愛してる
そのたった一言が、それまで美夜子の内側でどろどろしていた感情をすペて消し去ってしまった。
愛してる―――君を誰よりも───
その言葉が美夜子の呪縛を解き放ち、美夜子は自分の力ではもう、留まることが出来なくなったのを悟っていた。
そう、美夜子の魂は昇華し始めていたのだ
◆◇◆
空間が悲鳴を上げたと思った。
いつものようにリンがモニターを睨み続けて、その後ろで滝川もいつも通り、のほほんと部屋の中でくつろいでいたときだった。急激に部屋の気温が下がって、二人の間の空間が歪んで膨れた。
これは『来る』と思った二人が同時に身構えたのは言うまでもない。空気が軋んで耳鳴りがする。膨れ上がった空間は次の瞬間には収縮して視界が湾曲し、そこに陽炎のようなものが次第に姿を現した。
いつでも対処出来るようにとお互いに目配せをして真言や呪言を唱え始めようとしたところへ、ドンと大きな振動か部屋全体を揺らし、部屋の中央に何かが実体を現した。だが、それは意外にも、よく見知った人物二人であった。
唐突に現れた二人に驚いたのは、先に部屋に居た二人だけでなく部屋に出現した方もだったようだ。
お互いに言葉が出てこなくて絶句している。
そして内三人は、ほば同時に自分を取り戻した。
「ナル?! お前さん、どこから湧いて出た? なんで紫苑のおっさんも一緒なんだ?」
「ナ―――ジーン?! 一体これはどうしたことなんです。説明してください」
「人形は何処っ?」
三者三様の声が交差する。深夜のベースは一気にパニック状態に陥った。それもそのはず、屋敷中の機材類が一斉に異常値を示したかと思えば、ベースのど真ん中に何の前触れも無くナル(ジーン)と紫苑が出現したのだ。これでは驚くなと言う方が無理だろう。しかし、事実の検証をしたい滝川とリンを押さえて主導権を握ったのはジーンだった。
「美夜子の魂魄を封じた人形がここに有るはず」
言って、部屋を見回して見つけたのは、玄関先から此の場に移動していた等身大の人形だった。
「ぼーさん、壊せる?」
ナルに聞かれて滝川はたじろぐ。いつものナルと何処か違うことに気が付きはしたが、どう反応して良いのか分からない。困ってリンを見ると、リンも同じように困惑顔だった。
「ジーン、ですね? 一体何があったんですか。説明して頂かなければ我々としてもどう対処すべきか判断に困ります」
ジーンと聞いて滝川はギョツとナルを見た。言われてみると、雰囲気が少し麻衣に似ているような気がする。外見はナルそのものなのに、雰囲気だけが変わってしまっているのだ。どうも慣れなくて気持ちが悪い。そんな当惑気味の滝川にジーンは苦笑を浮かべた。
「僕の方はそんな気がしないんだけど、初めまして滝川さん。僕もみんなと同じようにぼーさんって、呼んでも構わないかな」
「い、いや、うん、呼びやすい方で呼んでくれて構わない」
目の前の彼が本当にジーンだとすると本物のナルはどうしたんだろうと、急に不安と恐怖が滝川の中にわいてきた。
あのナルが合意の上でも、自分の身体をレンタルさせるとはとても思えないのだが。
「で、この身体なんだけど、長いこと借りてるとナルの機嫌が悪くなっちゃうから、とっとと話し進めちゃおう!」
まさに爆弾発言。これで、滝川も有無を言わせずジーンに齢力することになった。リンも、もう何も言わない。リンは式を呼んで人形を封じてから、滝川が九字を切った。
一回目の九字は人形に当たる前に跳ね返されてしまった。だが、それでその人形が他と一線を画して居ることが判明した。それで滝川は、本腰を入れて構え直す。
真言を唱えて剣印を切る。
今度は胴体に深い傷が付いた。それを見て紫苑が悲鳴を上げて両手で顔を覆う。人形を壊されるのを見ていたくないのか後ろ向きになって小さく丸まって蹲る。躊躇する滝川にジーンは気にせず、続けるようにと促した。それで、後ろを気にしつつも滝川は続けて印を結んだ。
「ナウマクサマンダバザラダンセンダマカロシャダ・ソハタヤウンタラタカン……ハッタ───!」
繰り返し念を飛ばしているうちに何度目かの剣印がとうとう胴体を切断した。折れた胴体の中には空洞があって、人形の頭部が収められていた。人形が転がった弾みで転がり出たそれは恐ろしいほどよくできたデスマスクだった。表面は粘土か何かで出来ているようで、木材の質感とは異なっている。
埋め込まれたガラスの眼球と、僅かに微笑む口元がまるで生きた人間のようだった。人形の首に植えけられた髪の毛は本物らしくつやつやと輝いており、生前の美夜子の美しさを忍ばせていた。
滝川はそこいらにあった紙に筆ペンで悉曇を殴り書きし、素早くデスマスクに貼る。
そしてもう一度真言を唱えた。
剣印を切るまでも無く、首は縦に割れて、粘土の下から白骨が剥き出しになった。
「これで彼女を縛るものは何も無くなった。あとはこの頭蓋骨をちゃんと埋葬してあげないとね」
ジーンは驚くでも無く、恐れるでも無く手を伸ばしてそれを拾い上げる。
「辛かったね、もう、良いんだよ?」
ジーンが言い聞かせるように呟くと頭蓋骨は小さな破片となって崩れていった。後に残ったのは原型を留めぬほどに砕け放ったかけらだけ。その一つを拾い上げて、紫苑が咽び泣く。その姿を見て、ジーンには全ての事情がやっと飲み込めた。
───参ったな。そうゆう事だったのか。
だがここで口に出してまで言うことでは無いだろうなと、ジーンは敢えて紫苑を放おっておくことにした。改めて滝川とリンに向き直る。
「あとは麻衣がうまく美夜子を導ければ終わりなんだけど、行ってみる?」
まるで日常会話をするように、なにげなく云われたので二人して呆けてしまい、滝川の口からは間の抜けた声が漏れる。
「はあぁぁぁあいぃぃぃ〜?」
「今、麻衣が美夜子と一緒なのは予想が付いていたと思うけど、どうやら彼女、麻衣を乗っ取るのは止めたみだいだ。すごく穏やかな気を感じる。
さっきまでは色々悩んでいたみたいだったけど、どうやらふっ切れたみたいだ」
このジーンの台詞に反応したのはやはり滝川だった。
「麻衣が何処に居るのか分かるのか?
いや、その前に乗っ取る───て、その穏やかじゃない状況はなんなんだ?!」
「美夜子はたまたま麻衣と接触したことで、麻衣の可能性に気が付いたんだ。麻衣なら、麻衣の能力を利用して取り憑く事が出来るって。ほぼ完璧な形で自分を維持したままね。
だけど、もう、殆ど消えかけている」
ジーンはベースのドアを大きく開いて、2階の一番瑞の部屋、美夜子の部屋を指さした。深夜にて明かり取りの窓から差し込む月明かりだけが唯一の光源の筈なのに、開いたドアの向こうは真昼のように明るい。
その光りに満ちた空間に出てみて気が付く。
不可視のはずの光源。
暖かささえ感じられるその光は、辺り一面を照らし出しているにもかかわらず、眩しさに目が眩むことは無い。何より、光の量に対して出来る影は淡く、儚げなものでしかなかった。
滝川が自分の手のひらに出来る影に感心している間にジーンは一人、美夜子の部屋の前まで移動している。リンは首を振って部屋に残る意志を示す。
ジーンは滝川が来るのを待っているらしく、ドアの前に一人佇んでいた。
そして二人は淡く輝く扉に手をかけた。
扉の内側にはお互いを抱き合っている克美と美夜子が立っていた。二人の間に何かがあったのは一目瞭然で、声をかけるのがためらわれてジーンも滝川も黙ってそこに立ちすくんでいた。光は美夜子の全身から発しており、今、彼女の内側がとても満たされているのが伝わってくる。
切ないが、苦しくは無い。悲しみは有るが、ほんの少し甘酸っぱい気持ちが染み渡る。状況的には不幸だったかもしれないが、それまでは決して不幸せでは無かった。
「麻衣はすごい。無意識でこんなことやってのけるんだから」
ため息とともにそんな言葉を漏らしたのはジーンだ。
「言葉ってのは不自由で、本当に伝えたい言葉が見つからないとイライラするよね。だけど、麻衣はそれを無意識に解消してる。麻衣を見ていると、どうして欲しいのか分かるって言うか、伝わってくるんだ。
気持ちがダイレクトに伝わる。それは有る意味すごいことだと思う。相手に自分をさらけ出す事だからだ。自分の一番弱いところもみんなさらけ出したうえで、接してくる。
いつも自分に正直で有ること。こんなところはナルとそっくりなんだけどな」
「ちょっとばっか正直すぎてやきもきするがな」
「だからこそ、困っているときには助けてあげたいと思わせるんでしょう?」
「そーゆーとこは、無意識に卑怯だよな。本人気付いてないし」
「……ナルと麻衣って意外に似てるかも」
ジーンの台詞に滝川は顔を顰める。
「何処が?」
「自分を曲げないとこ。自分が納得する理由が無いと絶対意見を変えないんだ」
この意見にはさすがにう〜んと唸ってしまう。ナルは自分の持論に絶対の自信をもってから発言するから、そっとやちょっとじゃ確かに発言を取り消す事はしない。麻衣は良く暴走するからみんなに窘められるけれど、納得する説明を与えればきちんと立ち止まれる。
どちらも自分の中心をなす部分に訴えるものが無いと動かない。返せば中心に有るものだけは絶対に変わらない。
だから、表面上の理論だけで丸め込もうとしても結局自分の内側に訴えてきている方を取るのだ。今回だって、美夜子が危険な因子である可能性は指摘されていたにもかかわらず、彼女を信じて一人で会いに行ってしまったではないか。
そしてそれは結果から言えば正しかったのだが。
「本当に、手間がかかるのはどっちなんだか」
ジーンが拗ねたようにポツリと漏らした。それを聞いて滝川は思わず吹き出す。
「……お兄ちゃんだねぇ。麻衣も心配だが弟もほっとけない感じかい?」
「当然でしょう? ナルが聞いたら怒り狂うだろうけど」
「なんて?」
「『お前に心配されるほど落ちぶれていない』って言われそう」
これには流石の滝川も笑いをこらえ切れずに盛大な笑い声を上げた。やっと笑いが収まったら今度は二人の侵入者に気が付いた克美と美夜子に笑われてしまった。
「迷惑をかけてごめんなさい。でも分かるの、もう行かなきゃ行けないことくらい」
克美に甘えるように寄り添って、幸せそうに美夜子は告げた。
「あたし、貴方たちに会えてよかった。でなきゃいつまでもここで迷っていたかもしれない。お兄ちゃんを困らせて、お父さんを巻き込んで、……三矢のおじさんにも悪い事したと思っているわ。
お兄ちゃん、おじさんを責めたりしないでね。あたし、自分が死んでしまった時、本当の意味で死にきれなかったんだと思う。それをお父さんが助けてくれたって言うか、残りたいあたしの気持ちと引き留めようとしたおとうさんの気持ちが一つになって形になってしまったのよ。
そしておじさんが気付いたの。
こんな形でここにいるあたしにおじさんは当然驚いてたけど、それでも本当に居なくなってしまうより良いって言ってくれたのよ。
おじさんは美夜子の我がままとお父さんのお願いで色々助けてくれただけなの。それとね、おじさん本当は目が悪いの。もう殆ど見えて無いと思う。そのせいかしらね、おじさん、自分の作った人形の目を通してものを見ることが出来るの。
だからお父さんのことも、あたしのこともみんな知っていてそれでも協力してくれてたのよ。
───あたしね、産まれてきて本当に良かったって言える。お父さんにもお兄ちゃんにも愛されていたんだって分かったから、これ以上望むのは贅沢だよね?」
そこに居るのは御堂辰巳の描いたキャンバスのなかで微笑んでいる少女に間違いなかった。生き生きとした瞳にバラ色の頼。妖精のような奇跡的な美を備えた本来の美夜子。
克美の腕の中で、身を起こしてその場に居る全員の顔を見回していく。そして美夜子は視線をジーンに戻すと不思議そうに首を傾げた。
「貴方は……どちらかしら?」
「こうして会うのは初めてだね。君の声ははじめから聞こえていた。だけど、君達の念が絡み合っていて何処から解けば良いのか分からなかったんだ」
ふわりとジーンが笑みを浮かべる。初めてそんなふうに笑う『ナル』を見た克美の方は驚きで目を見開いている。なんとなくでは有るが、事情を知っている美夜子はクスリと笑った。
「もう一人はどうしているの?」
「君とおんなじ。内側で眠っている」
「じゃあ、目が覚めたら覚えているかな?」
「どうかな。僕の経験から言えば、覚えてるときも有るし、全然分からない時もあるし」
それを聞いて美夜子は難しい顔になる。
「それじゃ、お願い。目が覚めたときに喧嘩になっても困るだろうから、ちょつと、目、瞑ってて」
美夜子の言葉に擬問符を飛ばしつつ、ジーンは言われたとおりに目を閉じた。滝川と克美がその成り行きを不思議そうに見つめる。
「ごめんね、ちゃんと返すから、今だけは目を瞑ってて」
言って、ジーンが本当に目を閉じて居るのを確認する。それから再び克美の方に向き直り、座ってくれるように頼んだ。
克美がひざをついて座ると、美夜子との身長差は逆転し、それまで見上げるようにしていた克美の顔がのぞき込むような角度に変わる。
「あたしはとても幸せだった。本当のお父さんやお母さんの事なんか思い出せないくらい、幸せだったのよ。
でも心の何処かではずっと不安だった。いつかは本当のお父さんお母さんみたいに私のことを要らないって言い出すんじゃないかって。だから言葉にして欲しかった。言って欲しかったの。
───大好きよ。お兄ちゃん。
大好きだったわ……!」

そう告げて美夜子は屈み込み、克美の頬に唇を寄せた。『妹』から『最愛の兄』への最大の愛情表現だった。そう、美夜子は結局、自分の秘めた思いを伝えることはしなかったのだ。その思いを胸に抱いたまま逝く事を選んだ。
それでも嘘、偽りは無い。これもまた真実だったから。やっと自分の思いを伝え、満足した美夜子の身体は淡く輝き、その光りに溶けるように薄くなっていく。もはや克美には成す術も無く、それを見守るしか無かった。 辰巳の時と同じようにして腕の中の人が失われていくのを黙って見つめていた。今度こそその最後の瞬間を見逃すまいとして。
消えゆく光の中で、それでも笑い続ける美夜子のために克実は精一杯の笑顔を手向けた。それしか出来なかった。
一瞬でも気を抜けば泣き出しそうで、苦しかったけれど、それでも彼は笑い続けた。