2004-10-24

 

 

‡ 十三 未必の故意 ‡



 当時、両親の素行が好ましくないと云う理由で、克美は何度目かの保譲施設生活をしていた。そこは親が犯罪を犯したり、某かの事由により親と共に暮らせなくなった子供たちを集めている施設で、ここでの克美はお馴染みさんだった。克美にしてみれば何時ものことで気にもしていなかったが、世話をしてくれる大人達の間では『そろそろ親権も怪しい』と噂されている一人だった。
 そんなある日、何かの用事で保護施設を訪れた御堂辰巳と名乗る男が克美を一目見て養子に欲しいと願い出たのだ。初めて会ったのに変な人だと思ったが数日後、彼は親権をもぎ取って再び現れた。
 どうやら克美の両親は親権を放棄したらしい。その日のうちに彼は上機嫌で克美を車に乗せ、家に着くまでの間ずっと、これからの生活をどうしようなどと喋り続けた。たまたま仕事で施設を訪れたとは聞いていたが、ほぼ一日使ってやっと家にたどり着いた。彼の新しい家がそんなに遠いとは思っても見なかったが、克美にとって、生涯忘れられない一日になった。
 初めて乗った高速道路。食事をとったり、休憩の為に時々入るサービスエリア。その一つで克美は見つけたのだ。駐車場の一番端。大きな木が植えてあって、本来車を止めるべきではない狭いスペースに停まった車の陰に、保護者と思われる二人連れの男女と一人の少女を。
 克美の目から見てもまだ若い女だった。その連れの男は女よりもさらに若かった。男が少女の腕に白い棒のような物を押し当てると、少女は眉を顰めて何かに耐えるように歯を食いしばる。少女の細い腕から立ちのぼる煙り。自分よりもまだ幼い少女が何に耐えているのか克美にはすぐに分かった。
 同じ経験を持つ克美だったから。
 男は何の反応も示さない少女に舌打ちをし、今度は平手打ちを与える。
 ───まったく可愛げの無い子供だぜ。お前の子だろう? いいのかよ。
 ───ふん、どうせ厄介者なんだから好きにしたら?
 ───要らないんだったら捨てちまえよ。
 ───急に居なくなったら、バラしたのかと思われるじゃん。ヤバくない? かと言って、誘拐じゃ信用されないでしょ。
 こんな会話も克美は知っている。聞き慣れた内容と大して変わらない。
 ───何見てんのよ。
 初め自分が見ていることに気が付いたのかと思ったが、そうではなかった。助けを求めて母親を見つめていた少女に対して放たれた言葉だった。だが、女は助けるどころか少女が逃げ出さないように捕まえていた男の腕が弾みで外れてしまうくらい、男以上にきつい張り手を少女の顔面にくれてやる。
 弾き飛ばされた少女はすぐ後ろの大木に背中を打ち付ける。男はゲラゲラ笑って見ていた。
 ───どうしよう?
 助けなきゃ、と思った。だがどうすれば良いのか分からなくて迷っているうち、少女は自力で逃げ出したのだ。泣くのでも無く、悲鳴を上げるのでも無く、いきなり少女は走りだした。驚いた二人は少女を追いかけるが、少女は小さい体を旨く使って狭い空間や人込みを駆け抜け人目が無いことを見て取って、ゴミ箱の一つに逃げ込んだ。
 克美はとっさにゴミ箱の前に立ち、二人が通り過ぎるのを待った。流石に大声で少女を探すのは不味いと思ったのか、二人は必死に辺りを見回しながら立ち並んだ店の中へと入って行く。どうやら外には居ないので、店内のどこかへ逃げ込んだと判断したのだろう。あの二人が出てくる前に隠さなきゃいけないと、克美は出来る限りの優しい声で箱の中の少女に話しかけた。
 ───可哀想に。そんなに脅えないで。僕は君の味方だよ。
 そっと開いたその扉の奥で、少女は酷く震えていた。
 肌の色は白さを通り越して青白い。その腕にも足にも、赤い症、青い症。
 すぐに返事はこなかった。それでも精一杯の気持ちを込めて手を差し出せば、初めて少女は声を出した。
 ───本当に? 痛いこと、しない?
 初めて聞いた少女の声に、克美は全身がかっと熱くなったような気がした。
 ───信じて。ねぇ、ここを出たら遊園地に出掛けよう。君と僕なら分かり合えることが沢山有ると思うんだ。約束をしよう。絶対に君を傷つけたりしない。
 ───君を傷つけようとする者が現れたら、僕が守ってあげる。だからねぇ、一緒に行こう。
 必死だった。絶対この子を守るんだと心に誓う。
 少女はおずおずと身を乗り出してきて、克美に本当に守ってくれるのかと聞いた。無論克美は繰り返し、少女に誓いを立てた。
 ───君を守るよ。
 少女は今まで耐えて来たものが堰を切ったように泣き出した。克美は優しく少女を抱き締めて安心させると、今度は御堂の車のトランクに少女を隠したのだ。その後の事なんて考えてなかった。
 とにかく少女をあの二人から引き離すので精一杯だったのだ。辰巳に少女の事を話すべきかどうか悩んで居たら、次のサービスエリアでその杞憂はあっさり解消された。
 車を停めた後すぐ、「可哀想だから、すぐに出してあげなさい」と辰巳の方から言い出したのだ。
「怒らないの?」
 克美は恐る恐る尋ねた。だが彼は何でも無いことのように聞き返してくる。
「何故?」
「勝手なことをしたから」
「艶手なことをしたとは思っているんだね」
 そう返されて恐怖に身が疎んだ。怒られると思った。だが、それよりも彼女がどうなるのか心配だった。
「このまま放っておくと、誘拐事件になってしまうねぇ。とりあえず、あの子は気が付いたら車の中に隠れて居たんだ。どこから乗り込んだのかは分からない。でも家には帰りたくないらしい。見れば酷い折檻をくらっていたようだ。それでも家出人の届けは出さないといけないだろうね。だけど、まだ小さいから名前は言えない」
 何を言い出すのかと思った。
「君は頭が良い。分かるね?」
「でもさっきの人達が引き取りに来ちゃつたらどうするの?」
「あの子に聞けば良いんだよ。あの人は君のおとうさんとおかあさんですか?って」
「あの子が違うって言えば信用してくれるかな」
「あの子が帰りたくないと思えばそう言うんじゃないかな」
 克美は自分を責めもせず、それどころか色々助けてくれるらしい辰巳に初めて親近感を持った。
 共通の秘密を持つことが二人の絆を強くした。
 結局、少女の親は名乗り出て来ず、そのまま彼女は克美の妹として暮らすことになったのだ。
 克美は御堂の息子になるにあたって、今まで使っていた名前を捨て、辰巳と云う新しい父親の響を真似て『克美』と名乗ることにした。少女も『名前が分からないと不便なので』便宜上、美夜子と名付ける事にした。
 それ以来、克美はずっと、美夜子を守ってきたのだ。ただ一つの誤算が有るとすれば、それは美夜子が引き取られたとき、あまりにも幼かった為、自分がどのような経緯で養女になったのか覚えていなかったことだろう。
 幸せな生活が記憶を薄め、彼女は克美と自分は始めから本当の兄妹だと思い込んでいた。兄妹そろって両親の虐待を受け、見かねた辰巳が二人そろって引き取ったのだと、勘違いしていた。
 克美の方は美夜子が当然憶えているものだと思っており、だから今更云う必要など無いと勝手に思い込んでいたのだ。

 

 

◆◇◆

 


 時間は少し前に戻る。
 三矢紫苑は自分の中の辰巳の魂が出て行くのを止められなかった。本当の所、彼は御堂辰巳と云う才能に嫉妬していた。憧れると同時に、憎んだこともあった。それでも彼以上に自分という人間を理解してくれる人には巡り会えなかった。だから彼と共にあることはささやかな意趣返しであるとともに、望んでも手に入らなかった全てを手に入れたような状態だった。
 それでも彼を憎み続けることは出来なかったし、本当に彼の悲しみを分かっているのは自分だけだと信じていたので、悲しみで一杯だった辰巳と美夜子に協力を申し出たのは紫苑自らだった。
 紫苑は御堂辰巳の才能にも惚れていたが、彼の人格も好ましいと思っていた。それは彼を取り巻く全てのものに起因するのだから、当然、美夜子や克美のことも含まれていた。
 言い換えれば美夜子にしろ、克美にしろ、どちらも辰巳の付属品ぐらいにしか認識していないつもりだったが、それはどうやら間違いだったらしい。紫苑は彼らが、羨ましかったのだと気付いたのは美夜子の死によってだった。
 紫苑は辰巳同様、家族と云うものにあまり恵まれなかった。実の家族にさえ恵まれていなかったのに赤の他人で構成された家族など、成立するとは思ってもいなかった。遅かれ早かれ見せかけの家庭など崩壊するだろうと思っていたら、意に反し、彼らは理想的な生活を手に入れた。
 羨ましい。妬ましい。
 だけど、本当は自分もそうありたかった。
 紫苑は辰巳になりたかったのかもしれない。
 利口で気立ての優しい息子と、愛らしくおしゃまな娘と、お互いを必要としている家族。
 理想的な……
 その一片が崩れる。
 そんなことは許されなかった。
 許せるはずが無かった。
 だから彼は願うのだ。
 どうかこのまま放っておいてくれと。
 だけど、均衡は脆くも崩れ去り、憧れ続けた辰巳は眠ることを受け入れ、この場を去った。先日、たまたまここへやってきた連中は特別な力を持った集団で、辰巳の魂を縛り付けていた鎖を断ち切ってしまったのだ。辰巳と二人で隠し続けた美夜子の死の真相さえも明るみに出た。
 克美はどうするだろう。美夜子や辰巳が望んだように、魂となったままでも引き留めようとするだろうか?
 ───いや、多分彼は望まない。あれほどまでに慕っていた辰巳の魂でさえ、ここに残るべきではないと判断した彼だ。美夜子の魂が迷っていると思えばその浄仏を願うに違いない。
 紫苑は考える。
 自分は何をしたいんだろう?
 己の全てだと思っていた辰巳はもう居ない。彼の為に出来ることは何が残っているだろう?
 最後まで気にしていたのは二人の子供のことだった。なら、克美は強い。あの子は多分なにがあっても大丈夫だろう。心配なのは、美夜子か。
 たまたま辰巳が行った黒魔術が成功して、美夜子の魂を引き留めることに成功はしたが、本当に辰巳の力だけだったのだろうか。美夜子自身の迷いの力も含まれてはいなかったか?
 その証拠に、術者である辰巳が消えた後も美夜子の魂は存在し続けている。
 彼、紫苑は意識を集中させる。
 閉じられた瞼の奥で、何か考え事をしているらしい美夜子をとらえた。
 紫苑には子供の頃から不思議な力が有った。話したところで信じてもらえるとは到底思えなかったので、誰にも話したことは無い。彼は『あるもの』を通して遠くの景色を見ることが出来るのだ。
 それがどんな理屈によるものなのか興味も無かったが、今はなんとなく分かるような気がする。昔はそれ程意識していなかったが、この頃、頓に目が霞む。生まれつきの弱視だったのだ。単に弱視といっても、全く見えぬ訳では無いし、この不思議な力のおかげで誰も彼の目が悪い事など気付いた者は居なかった。だがここ暫く、実際に自分の目で物を見るより瞼の裏で見る方がよく見える。
 このまま弱視が進行すれば、やがて失明も免れないだろうというところまで来ていた。出来れば、この目が見えているうちに最高の人形を作っておきたかったが、それも無理かもしれない。
 さて、これからどうしよう?

 

 

◆◇◆

 

 

 魂が抜けたようになりつつも、それでも克美はナルに調査続行を願い出た。本当に美夜子が浄仏出来ずにここで迷っているのなら、どうか、彼女の魂を救って欲しいと。
 勿論、断る理由は無く、彼らは全員で屋敷の中を再度見て回るところから調査を始めたが、屋敷の隅々まで調べて見ても美夜子の気配はおろか、麻衣の姿も紫苑の姿さえも見ることは出来なかった。その代わり、屋敷の裏手の林の中で、それ程痛んではいない車椅子が放置されているのを発見した。
 念のため、椅子が見つかった辺りも捜索してみたが何も手掛かりらしいものを見つけることは出来なかった。

「厄介だな」
 口火を切ったのは滝川だ。こんな状況には覚えが有る。あのとき姿を消したのは真砂子だった。
 思い出してぞっとする。人間の範疇を越えた力の存在。人一人、空間を飛び越えさせるほどのエネルギーは何処から来るのだろうか。完全にこの屋敷から姿を消した麻衣は何処へ消えたのか。
「リンさんや、ご自慢の式でも麻衣の居所は掴めないか?」
「残念ですが」
 素っ気ない返事だが、それでも即答されたということは聞かれる前から探していた証拠だ。彼は彼なりに心配しているのだ。式を使うとナルの身辺警護が一時的にとは云え手薄になる。そのリスクを承知の上での事だから、彼がいかに麻衣に気を使っているのか推し量れる。それと同時に、その件についてナルが何の言及もしなかったところを見ると、ナルも黙認のことなのだろう。
「ここにきて全然嫌な気配を全く感じへんのですけど、皆さんはどないです?」
 恐る恐るジョンが聞いてくる。麻衣が見つからなくて滝川の気は立っているし、真砂子は落ち込んだまま。克美は途方に暮れて、ナルは……無表情だった。
 実はこの無表情が一番怖い。
 明かに彼は怒っているのだ。それが表に出ないだけで、内側は怒りで爆発寸前のはずだ。
「美夜子さんの気配を感じないわけでは無いんですのよ? 困ったことに、何処が一番強いかと開かれれば何処に居ても感じるとしか言いようがありませんの。今この部屋に居てさえも感じるんです。
 そして、ブラウンさんがおっしやったように、私たちに危害を加える気は全く無いと思われます。なんだか落ち着いてしまったような観がありますわ」
 絶望して隠れてしまった筈の美夜子の気配が何故落ち着いて見えるのか真砂子には分からないが、敵意は全く感じられない。この一点についてはジョンと意見が一致している。
 ここに居る面子から麻衣が霊感を持っていることを説明されたものの、それがどうして麻衣の失踪と繋がるのか分からなかった克美は黙って話を聞いていた。一応彼は関係者ではあると同時に部外者でもあったから。
 その結果、どうやら麻衣が消えたのは自分の意思で美夜子に会いに行った所為で、紫苑は何故消えたのか皆目分からないようだ。そもそも彼が何故美夜子や辰巳に協力していたのか話を聞く前だったので、全くもって見当もつかない。
 分かるのは美夜子が本当は既に死んでいて、克美の目から隠れているということ。
「───美夜子は今の状態に満足しているんでしょうか?」
 ナルの不機嫌を感じ取ってか克美は囁くように、唯一霊視の出来る真砂子に尋ねた。
「満足はしていないと思います。そうであれば麻衣が消える理由が無いんです。でも、辰巳氏が消える直前のような焦燥感は消えて、落ち着きを取り戻してはいます。それよりも何処に居ても誰かに見られているように感じがして、そちらの方があたくし、怖いですわ」
 言いながら真砂子が小さく身震いする。克美も何故だか気が付くと、見つめられているような感じがずっと続いていたので頷き返した。
「変だよな。視線は感じるのに敵意は感じない。これだけ近くに居るような気がするのに、何処にも居ないってのは」
 滝川が首を稔れば、やっとナルが口を開く。
「廃校事件でも似たような事があった。僕らの目には見えていないだけなのかもしれない」

ぼーさん&ナル

 ナルは窓辺に立って外を眺めている。麻衣の失踪後、時間をめい一杯使って捜索に当たったが、日はとうに傾き空には星が瞬く時間になってしまっていた。部屋には明かりが入れられ、照明が反射して窓ガラスにナルの顔が映り込む。
 滝川や克美は部屋の中央に集まって居るので、ナルが外を眺めているのか、ガラスに映った自分の顔を見ているのかまでは分からない。「せやったら、ホンマは此の場に居てはるかもしれへんのですね。僕らからは見えてへんだけで」
「それにしても、松崎さんや安原さんはどうなさったのかしら」
「会話の途中で切れたまんまだったもんな。そっちも調べといたんだが、どうも見えない部分で切断されたらしくって、配線図見ながら全部調べないと何処で切れてんのかわからんわ」
「お二人とも無茶はせえへんお人柄やし、ご自分で対処法を考えてはるでしょう。電話の内容からすぐにでも戻って来はる予定やとは思いますけど、もしかしたら明日の朝にでもお戻りになるんちゃいますか?」
 もともと会話に参加することの少ないナルと必要以上に無口になっている克美、殆どしゃべらないリンが黙ったままなので、必然、会話は真砂子、ジョン、滝川の三人で進められる。
「ま、確かにあいつらは子供じゃないんだから、自分のことは自分で判断するだろう。それよりも麻衣と美夜子ちゃんだ」
 ぴくんと克実の肩が反応する。それを視界の片隅に捕らえて、滝川は苦笑する。どんな状態でも美夜子の名だけは聞き逃さないらしい。
「今回の麻衣の失踪についてはあたくし、自分から行ったのだと思いますの」
 既に真砂子から聞かされた状況から判断すれば、それは正しいことのように思える。
 姿を消す直前に交わされたという会話から、麻衣が何事か決心したのは間違いないと誰もが確信していた。その為に美夜子と直接話しをするつもりなのだろう。
「麻衣が上手くやってくれれば美夜子ちゃんも成仏出来るはずだが、具体的には麻衣は何をするつもりか真砂子ちゃん聞いてないのか?」
 実のところ、真砂子は麻衣が何を思っていたのか大体の想像が付いているものの、克美に美夜子の気持ちを伝えるべきかどうか迷っていたので口に出せずにいた。
 だから滝川の質問にも目を伏せてしまう。
「それよりも、時を同じくして失踪しやはった紫苑さんですけど、やっぱり美夜子さんと一緒なんでっしゃろか?」
 重い沈黙が答えにかわる。此の件については誰も想像していなかったので。
「美夜子ちゃっんと一緒なら話しは早いかもしれない。そこには麻衣も居るだろうからな」
「そうですかしら。紫苑氏が何を考え、何を思っていたのか分からない以上油断は禁物ですわ」
 真砂子に手痛い釘を刺されて滝川の口がへの字に曲がる。
「いっそ、以前やったように‥結界でも張って、『追い出して』みるか?」
「何処に居るのか特定出来ませんのに?」
「下手に刺激することで、麻衣さんを危険にさらすことになりまへんやろか?」
「だからだな、こっちで出やすい場所を用意してみるんだよ。そーゆーの、真砂子ちゃんやリンが得意だろ?」
 ウィンク一つ。どうやら滝川は降霊術をやる気らしい。それまで黙って聞いていたリンの表情が一瞬だけ崩れた。
「簡単に言ってくれますが、私の場合は言ったその場で出来るようなものでは無いので、ご期待に添えかねるかと思いますが」
「んじゃ、真砂子ちゃん」
「此の一件に関しては麻衣の成果をうかがってからにさせて下さいまし」
「どーすんの? 美夜子ちゃんは麻衣に任せるにしても紫苑の方はそうもいかないでしょ」
 はぁーと盛大に溜め息を吐いて、二人から拒否された滝川の肩ががっくりと落ちる。その姿があまりにも哀れを誘っていたのでリンは仕方なく「時間がかかるかもしれませんが」と付け加え、ナルの方を見た。
 つまり、やって見ても良いがナルの許可が下りればという条件付だ。滝川が小耳に挟んだだけの知識によれは、巫蠱道というのは術の施行前に色々制限が付くらしい。まず、術を行うには相手の詳細なデータが必要だ。
 もともと人を呪うために発展した術のため、術者本人も禊ぎやら何やらやらなくてはいけない事が有る。そうした儀式には何かしらの意味が含まれていることが往々にしてあるので、下手に省略することは、術者の安全を無視することに繋がってしまうのだ。
 無理強いは出来ないが、リンの実力を知っているのでついつい期待してしまい、そこに居た全員がナルを注視する。
「───却下する。リスクの方が大きい」
 振り返りもせず、即答された滝川は思わず聞き返していた。
「それじやあ、ナル坊には何かいい案でもあるのか?
 あるんなら聞かせてくれ」
 思わぬ反撃に驚いたのか、ナルが滝川の顔を見返してきた。少なからず驚いている事が分かる表情はだが一瞬で消え去り、次の瞬間には思索に耽る。
「おーけー、まだ考えが纏まっていない訳だよな。
 悪かったよ。考えが決まったら言ってくれ」
 口では何だかんだと言っても、結局滝川はナルを信頼している。彼が敬愛するオリヴァー・デイヴィスと分かる前から。
 それは他のメンバーも同じで、ナルの言動はほぼ絶対である。ナルの考えが決まらないのではどうしようもない。お手上げと言ったところか。
 そのナルが何も言わずに部屋を出て行こうとするのにリンが声をかけた。
「どちらへ?」
「機材の調整とテープ交換に行く。ここは雑音が多くて集中出来ない」
 雑音呼ばわりされた面々は些か不本意ではあるが黙って従おうとすると、ナルの一睨みで金縛りにあう。どうやら一人になりたかっただけのようだ。一人は危ないからとジョンが付いて行くと主張したが、行き先は下のホールなので何処かのカメラに必ず映るだろうから心配ないと拒否された。実際、ナルの姿はすぐにモニターに映し出される。
 だが安心したのもつかの間、ナルがカメラの一つに近寄ったところですべてのカメラの画像が落ちた。ベースに居た者達は一瞬何か起きたのか分からずに呆然としていたが、リンがいち早く我に返ってベースを飛び出した。部屋から出てすぐ、階下を見下ろすと、視線の先にナルの姿を捕らえて、安堵する。
「ナル、今カメラが作動不良になりましたが、何か変わったことはありませんでしたか?」
 当のナルは声をかけられて上を振り仰ぐが、すぐに目の前の物に視線を戻してしまう。
「原因は特定出来るのか?」
「今調べます。やはり危険ですからすぐにお戻り下さい」
「機材の調整が済んだらすぐに戻る」
 リンの忠告もナルにかかっては意味がない。殊、研究に関する限り言い出したら梃子でも動かないのがナルだ。リンは溜め息を吐いて、ベースに戻る。
 ベースでは滝川やジョンが待っていた。無言の問いかけにやはり無言のまま首を振って答える。
 リンはさっさと定位置について自分の仕事を始めてしまったので、ジョン達はその他の機材の調子を確認し始めた。カメラの動作不良は原因不明のまますぐに復旧し、何事も無かったように再びナルの姿を映し出す。
 その後、すペての機材の動作確認を済ませることになったのは言うまでもないが、その間、ナルは何が気に入らないのか一言も口を開かなかった。
 そしてその晩はリンと滝川が起きることになっていたので、ナルとジョンは早々と寝所についた。

 

 

◆◇◆

 

 

 ジョンが寝付いたのを見計らってナルが起き上がる。
 そして自分の旅行バッグの中から小さな手鏡を取り出した。
 ───ナル、起きてる?
 ───ずっと起きてる。お前と一緒にするな。
 くすりとナル―――いや、正確にはナルの身体に入り込んでいるジーンが笑った。
 ───相変わらず、口の利き方がなってない。
 ───お萌の減らず口を開く為に替わったんじゃ無いんだが。
 ───分かってる。これからやってみるから、そんなに焦んないでよ。
 ───大層な口を利いておいて失敗したら許さない。
 ───一度却下されたから、もう替わる気はないんだと思ったけど、どうして急に入れ替わってくれる気になったのかな?
 ───確実性が一番高いと思ったから。
 ───麻衣を深すのに? それとも紫苑氏を探す為?
 ジーンはベッドを抜け出し、予め用意してあったシャツを引っぱり出して素早く着替える。
 ───でもさっきは篤いたよね。ぼーさんの質問のタイミングが良すぎて変なことになっちゃったけど。
 ここで言うさっきとは、滝川がリンに協力を頼んでナルの許可が下りれはという会話をしていたときの事で、丁度その時、ナルは鏡状になった窓ガラスを通してジーンとコンタクト中だったのだ。
 八方手を尽くして麻衣と紫苑の姿を深し、万策尽きたと思ったところにやっと、ジーンとのラインが繋がった。ジーンは麻衣が誰かに呼ばれて消えたと伝えたが、それが美夜子か紫苑かまでは分からないと付け加える。
 ───本当に役立たずだな。
 やっとの思いでナルに告げたと思ったら返事はこれだった。ジーンは自分なりに頑張っていたのにと思いつつ、ナルが一番欲しがっている情報を提供出来なかったのだから仕方かないと反論は避けた。そのかわり、一つの提案を試みた。
 ───ナルの身体、貸してくんない?
 いきなり言ってみたら無視されたので、仕方なく続けて言う。
 ───麻衣や紫苑がどこに居るのかナルには分からないだろう? でも僕なら見つけられるよ。だけどこの身体じゃ何も出来ない。実際に麻衣を閉じた空間から連れ出すには実体が欲しい。だったら、ナビゲーションだけすれば良い? だけどね、ナル、考えてもごらん。きみ、霊視の方はてんで駄目だったよね。僕だってフォロー出来る限界があるし。
 ───麻衣達がどこに居るのか特定出来ているのか?
 ───それはまだ。でも感じるんだ、そんな遠くじゃ無いよ。僕たちのラインがずれたように麻衣達も少しずれた空間に存在してるのは分かる。
 ───どうやって連れ出す?
 ───あちらが招いてくれれば余計な手間は省けるんだけどね、多分無理やり入ることになるかな?
「───却下する。リスクの方が大きい」
 これが本来の顛末である。

 その時、思わず出た台詞はまるで滝川の質問に答えるかのような形になって、ナルは己の失態を悟ったが、誰も不自然さは感じなかったようで、その場はそれで収まってしまった。
 ジーンのくすくす笑いを聞き流し、ナルは話題をもとに戻す。
 ───他に分かっていることはないのか?
 ───呼んだのが美夜子の方だったら麻衣に任せて大丈夫だと思うけど、問題は紫苑の方かも。彼が三人の中で一番強い力を持っていたんだ。
 ───何故、美夜子なら大丈夫だと?
 まるで確信しているかのようなジーンに、得心のいかないナルは疑問をぶつけてみる。
 ───麻衣と美夜子は似てるから、感情がシンクロしやすくなっているんだ。麻衣は基本的に前向きに物事を考えるから、美夜子のダークな部分に引きずられなきゃ大丈夫だと思う。
 ───もし、麻衣が影響された場合はどうなる?
 ───最悪、麻衣は美夜子に取り憑かれる。
 沈黙の中に怒りと苛立ちを感じてジーンは苦笑を浮かべる。この学者馬鹿な弟君は、みんなが思っているよりずっと不器用なのだ。専門分野においては確かにその才能を遺憾なく発揮しているが、自分の感情面ではとことん不器用だ。ナルの麻衣に対する感情は被験者に対する関心度とは遠い隔たりがある。
 麻衣が美夜子に憑依されたとして、それはそれで実験の対象になるはずだが、『麻衣』が『麻衣』でなくなるのは許せないのだろう。
 ナルが黙り込んでしまったのを機に、ナル=ジーンはジョンを起こさないように慎重に部屋を抜け出し、辺りを窺った。近くのベースに居る二人にも気付かれないように息を殺して廊下を忍び足で歩く。
 ナルの時には見えなかった霊気の残像がジーンの瞳にははっきりと映し出される。ジーンが意識を集中しようとすれはするほど、逆にナルの意識は保てなくなっていく。
 ───眠い。これ以上は意識……たもてそうにない。ジーン、聞いているか?
 ───聞いてるよ。やっぱり、一つの身体に二つの魂は負担が大きいんだね。
 ───失敗するなよ。
 成り行きを見届ける事が叶わないと悟ったナルは捨て台詞と共に眠りに落ち、ナルの意識が落ちるにしたがってジーンの霊能力は生きていた頃のように身体に馴染み始めた。
 押し殺した呼吸で意識の目を先ずは自分の中に向ける。今度はゆっくり息を吐き出しながら意識を外へもって行く。自分を中心に波紋を描くように徐々に意識の輪を伸ばしていった。
 ジーンの意識のアンテナに真砂子が、ジョンが触れる。静かな呼吸。安らいだ波動。次にリンと滝川が触れる。リンはジーンの意識に触れた瞬間、不思議そうな顔をして辺りを見回したが、何も起こらないと見てまた自分の仕事に戻ってしまった。
 滝川の波動はとても強くて、その強さが邪な波動を跳ね返している。彼に取り憑ける霊はそうそういないだろう。視えないことを除けば、攻守のバランスが一番取れた人物だ。ジーンはさらに意識の手を伸ばす。次に見つかったのは不安で眠れぬ夜を過ごそうとしている克美。
 そしてその先に、目的の空間がぽっかりと口を開けていた。
 ジーンは迷わずその空間に向かって歩きだす。
 空間は現実の廊下に少しだけ寄り添っているが、実際にそこにある訳では無い。肉眼に頼ると、空間は廊下と壁の隙間を通っていたりする。だから意識の目だけでジーンは進む。
 空間の入り口で僅かな抵抗を感じたが、ほんの少し、ナルの力を引き出してぶつけると脆くも崩れてすんなり入り込めた。中に入ってからジーンはもう一度、意識の手を伸ばして辺りを探ってみる。そこは現実の空間と折り合っているはずなのに、壁や廊下は反映しない出鱈目な広さを誇っていた。空間が広すぎるのか、ジーンのアンテナには誰も引っ掛からなかったので別の空間を探そうとしたとき、相手の方がこちらを見つけてやって来た。
 現れたのは麻衣でも美夜子でも無く人形師、三矢紫苑だった。彼はジーンを見つけると、嬉しそうに自分から声をかけて来た。
「やあ、よくここへ来れたね。しかし君は本当に綺麗な顔をしている。どうだい、わたしの人形のモデルになってくれないか? 一世一代の大傑作になるだろう」
「お断りします。それよりも貴方がどうして此処に居るのか、教えてもらう訳にはいきませんか?」
 ジーンの質問に紫苑は口の端だけで笑う。
「君は不思議だね。何が知りたいんだい?」
「事の始まりから」
 紫苑は無表情にしているジーンから感情を読み取ろうとしたが、どうしてもその端正な顔の方に見とれてしまう。
「本当は……本当に人形を作りたかっただけなんだよ? だけどね、どうして出来る奴ってのは二つも三つも才能を持ち合わせているんだろうな。
 私はただ、世界中の誰が見ても感嘆の溜め息を漏らすような人形を作りたかっただけなんだ。思い付く限りの世界中の美男美女をモデルに人形を作ってみたが、どれもしっくり来ない。当然だな。彼らの大半が作られた『美』だったからだ。自然な美しさこそが私の求めるものだった。
 そして見つけたんだ。君と、あの娘と、見るものを惹き付けてやまぬ存在を。これなら勝てると思った。初めて彼より勝るものを見つけたと思った」
 恍惚とした表情が彼の本心である事を暗示している。ジーンはナルのように眉をひそめた。
 それを彼は侮蔑と受け取ったのか、更に語気を強めて言いつづける。
「君は常に人生の勝者であったかね? これだけは絶対誰にも負けぬと思うものを持ってはいなかったかい?
 人形を作るのは私の生き甲斐であり、誇りだった。だのに、奴ときたら私が作る物よりも美しい顔を作るんだ。今にも動き出しそうな、まるで生きているかのようなそんなものを。
 君たちの美を写し取ることが出来たなら、きっと最高の出来になる。そうだ、君が駄目なら、あの娘を私にくれないか?」
「───あの娘とは誰のことです? 麻衣のことを指しているのなら、そちらもお断りします」
「欲張りはいけないな。一度いらないと言ったものをどうして束縛しようとするんだい?」
 案の定、あの娘とは麻衣の事であるらしいが、ナルはいつ、麻衣の事を要らないなどと言ったのだろうか?
 ジーンは思い出せる限りの事例を当てはめてみるが良く分からない。
「別に束縛するつもりもありませんが、麻衣を要らないと言った覚えもありませんね」
「克美が、君のことをナイトのようだと言った時だよ。覚えがあるだろう? あの娘のナイトなんて冗談じゃないみたいなことを言ってたじやないか。
 あの娘を守ってやるつもりはないんだろ?
 だったら良いじゃないか。私はあの娘が欲しい。私にあの娘を───おくれ?」
 ジーンはナルの言動に頭痛を覚える。こんなところでも誤解を受けていたなんて!
「ふざけるな! あの言葉はそんなつもりで言った訳じゃ無い。むしろその逆で……」
 怒りも露に怒鳴ったジーンを見て紫苑は大口を開けて笑い出した。
「君は本当に興味深い。
 私は知っていたよ。気付いていたさ。君がずっとあの娘の姿を追いかけていたことを。此処に来てからずっと君たちを見ていたんだから」
 そう言って懐から小さな人形を取り出す。それは一般にマリオネットと呼ばれる木製の操り人形だ。
「これは私が中学生の頃に作ったものだよ。これと似たようなものが屋敷のあちこちに有っただろう?
 わたしはね、自分の作った人形の目を通して遠くの景色を見ることが出来るんだ。
 同じ原理で美夜子のことも分かるんだがね」
 常苑は態と含みを感じさせる口調で話す。
「美夜子は克美を見ているので一杯一杯だったから、君があの娘を見ていることに気付いていなかったようだね。気付いていたら美夜子の考えも変わっていたかな?」
 それまでの強引な口調を改め、急に諦めにもにた口調になった紫苑にジーンは不安を覚える。
「美夜子と麻衣は何処です?」
「頼まれたんだ。もし、君が此処にきたら『引き留めておいてくれ』ってな」
「どうゆうことですか?!」
「……さぁな。私はあの娘が何をするつもりか知らない。知ろうとも思わない。
 何も聞かなかったのはせめてもの罪滅ぼしだと思ってくれ。結局、何も出来なかった私のな」
 紫苑はこれ以上話すことは無いと言いた気に人形で遊び始めた。ジーンは慌てて麻衣と美夜子の気を探る。いつの間にやら二人の気配はこちら側では無く、向こう側、つまり現実世界に移行していた。この空間を抜けて二人の元へ行こうとし、ふと紫苑の方を振り返る。
「貴方はいつまで、此処に居るつもりなんです。僕を引き留めると言っても拘束するつもりは無いようですし、要するに二人から時間稼ぎを頼まれたんでしょう」
「その通りだよ。それとあわせて君に頼みたいことが有ったんだ。美夜子は最後の賭けに出る。その後で、人形の一つを壊してくれ。
 美夜子の願いが叶っても、叶わなくても結果に関係なく壊して欲しい。辰巳の手が加えられているとはいえ、それでも私の作品、私の子供達の一人なんだ。自分で自分の子供を壊すのは忍びない」
「辰巳さんは美夜子さんの蘇生儀式に貴方の人形を使ったのですね?」
 術者の手を離れて存在し続ける美夜子の魂は人形の一つに封印されていたのだろう。
「しかし、壊してしまえば……」
「美夜子は存在し続けられなくなるはずだ。でもそれがあの娘の願いでもある。それ以上は何も望まないそうだ。
 君の可愛いお嬢さんが美夜子になんと言ったか私は知らん。だか、最後にどうしても克美と二人だけで話がしたいと言い出してな。もう少しだけ、付き合ってくれ」
「……随分愁傷ですね。僕の人形を作ると言った勢いはどうしたんです?」
「ああ、もうどうせ無理だろうからね。
 目がね、生まれつき悪かったんだ。だが此処に来て、ぐっと進行している。全く見えなくなるのにそう時間は掛からないだろう。最後に、これはと思うものを作っておきたかった―――」
「いまの自信作は無いんですか」
「いま、一番の傑作は東京に展示されている奴で、顔が入っていないが克美がモデルのものと、今、君たちが居る部屋にある美夜子がモデルの二つだよ。
 いまの私にはあれが限界なんだ。あれ以上のものは作れなかった。残念だよ。そのうち一つを壊さなければいけないとはね」
 俯いた紫苑の表情はジーンからは見えない。が、紫苑の繰る人形が彼の代わりに悲しみを表現していた。その人形が空間の出口を指し示す。
 どうやら出て行けと言うサインのようだ。
 ジーンは紫苑の腕を取って立ち上がらせる。紫苑はひどく驚いたようにジーンを見上げた。
「私のことは放おっておいてくれないか。あっちへ戻っても何もすることが無いんだ。何をしたら良いか分からないんだ。もう私を必要としてくれる人が居ないんだ」
「少なくとも、克美さんは貴方の姿が見えないと深してましたね」
「私から美夜子の事を聞くつもりだったんだろ」
「それだけじゃ無いかもしれない」
「私は彼のように強くない」
「彼は強くなんかないでしょう。未だに美夜子さん死を受け止められずにいるんだから。彼女の死を認めた上で悲しみを乗り越えた時、初めて強くなるんです。誰だって初めから強かったわけじやない。
 努力して強くなるんです。努力もしないで逃げるのは卑怯者のする事です」
 尚も後込みする紫苑の腕を摘まえたまま、ジーンは外の世界へ向かって歩きだした。

 

 

◆◇◆

 

 

 ステップを踏む。跳ねる。回る。
 クルクルと回る。
 スカートの襞がヒラヒラと舞って花のようだ。
 少し前まで、こんな当たり前のことにこれ程感動したことは無い。当たり前の事が、当たり前で無くなる時の事など誰も考えたりはしないから。
 自分の足で歩く。この感触。
 きっと忘れない。
 美夜子は白いスカート襞をつまみ上げて再びクルクルと踊りながら回る。きっとこれが最後のダンスだと分かっているから。
 父の収集癖の賜物の中に古いレコードと蓄音機を見つけて、好奇心からハンドルを回して見ればまだまだ動くことを発見して以来、被女はこの音を聞くのが好きだった。
 どこか鄙びた遠い音は優しく耳に響いて、郷愁を誘う。美夜子の帰る所はこの家だけだと思っていた。だが、今は違う。
 本当に帰る場所はここではなく……
 不意に音楽が止んで、美夜子は止まってしまったネジを巻く。
「後少し、もう少しだけで良いから動いて」
 止まったままの時間が再び動き出すように。


ネタ明かし編。
色んな人が出て来て交差してやっと、捩じれていた糸が解されて・・・
そしてそろそろ本当のエンディングへ。

あんまり語ると雰囲気ぶち壊しだからこの辺で。
あー、このページの挿し絵は今回の為に書き下ろしました!
これでぼーさんのショットがやっと入った。


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