いつの間にか都会の喧噪を離れ、辺りは民家も疎らな田園風景に変わっている。それでも車は止まる事なく進み続け、やがてこんもりとした緑深い山の中へと分け入って行く。遠くには赤く色づき始めた紅葉が見られ、赤と緑のコントラストが美しい。そうして幾つ目かの山を越えたところで小さな集落に出くわした。その集落の丁度中央辺りに民家でないと一目で分かる建物が一軒。
日用雑貨や、この近隣では手に入らない食べ物などを一手に引き受けているスーパーと言ったところか。都会の生活に慣れた麻衣にはコンビニエンスストアの方がなじみが深いが、この近隣に住むものたちにとっては貴重な何でも揃っている店だ。
依頼人から渡されたメモによると目的地はもう目と鼻の先らしいのだが、簡単な休憩と忘れ物が無いか調べると言う女性陣に負けて車は停車した。
「あー疲れた。半日車ん中じや息が詰まるってーの」
思いっきり両腕を天に向かって伸ばし、大きく息を吸い込む。山の緑が近いせいか空気が美味しく感じられる。足元に置かれたスーパーの袋の中身の大半はスナック菓子で占められているが、女の子にとってはこれも必需品だ。女同士のコミュニケーションを円滑に行うための潤滑剤代わりに使う。ただしナルに見つかっては何と言われるか想像が付くので早々と綾子の車に積んでしまう。そして自分達もこのお菓子のお守り役として綾子の車に乗り込んだ。
「お待たせー。ナル達は?」
「渋谷さんが何か、お店の方と話し込んではるようで、まだお帰りとちゃいます」
後部シートに潜り込めば先に席に着いているジョンが応えてくれる。
「それでか。真砂子の奴が店先でウロウロしてるのは」
毎度の事ながら、このメンバーが車に分乗する時にはリンの運転するライトバンにナルと真砂子が乗り込む事になっている。一回くらいは前の車に乗ってみたいなぁと誘惑に駆られてはいるが、殆ど車内は無言だと真砂子は証言する。
それはそれで嫌だしなぁと麻衣も毎回悩まされる所だ。そうやって迷っているうちに真砂子がお決まりのようにさっさとナルの隣へ滑り込むのだが。
「真砂子も頑張るよなぁ」
出会った当初こそツンとすました感じが気に入らなくて嫌な奴とか思っていたが、付き合いが長くなると真砂子の意外に可愛い面等も分かるようになってきて今では大事な友人の一人だ。そう、ナルに対する気持ちはいじらしいぐらいに可愛いと思う。ナルの気を引こうと真砂子と競い合っているうちに女同士の友情に目覚めてはじめて気づいた。真砂子は可愛い。ナルの隣に並んでいても見劣りのしない容姿は伊達ではないし。
ナルと知り合った頃、麻衣は自分に霊能力があると思っていなかった事と、ナルが双子だという事実も知らなかったので時折夢に登場するナルに自分が惚れてしまったのだと思っていたのだが、後にそれは勘違いだったことが判明している。
夢に現れるのはナルの双子の兄、ジーンだった。だから、麻衣が大好きな笑顔の持ち主の正体が本当はジーンだと今では分かっているので、真砂子とは一時休戦状態だ。だけど真砂子の方はそうは思っていないのか、今でも時々突っ掛かってくる。
まあ、確かにこの双子はそっくりだ。無表情にしていると見分けがつかないくらいそっくりだ。だからだろうか、真砂子とナルが二人だけで歩いている所を見ると少しだけ胸が痛くなる。だけどこれはナルのなかにジーンを見ているせいだと麻衣は考えている。
その真砂子がナルと何か言葉を交わした後、くるりと向きを変えてこちらへやって来た。
「依頼者の方が丁度こちらへ買い出しにいらっしゃるそうですわ。どうせならそちらを待って合流することになさったようですわね」
運転席のガラスを降ろして真砂子と綾子が話し始める。
「買い出し?」
「なんでも一週間分まとめ買いをなさっているとかで、そろそろ指定の時間なのだそうですわ。この先は私道に入らなければいけないらしくって、一緒に行った方が良いとお店の方に勧められましたの」
「私道に車で買い出しって事は、結構山奥ね」
「滝川さんはどないしてはるんでしょうか?」
ジョンが真砂子に問いかける。
「ご一緒ではありませんかしら。お客様が居るからと、いつもより余分に品物を注文なさっています」
「確かに車があるからと言っても、限度がある。なかなかたいした量の食品ですよ」
真砂子の陰になって見えなかったその後ろにナルが立っている。
「ほんじゃあさぁ、ぼーさんともここで久しぶりに御対面って訳?」
たまらず麻衣が窓から身を乗り出して聞く。
「それはともかく、ぼーさんが僕らの到着を待って居るのは確かだろう。店主が僕を見つけていきなり『御堂さんとこのお客人』だろうと言い切ったし、お連れさんが先に着いて待ってるとも言われた」
言いながらナルの手が真っすぐ麻衣の頭に伸びて来て、そのまま車の中に押し込む。中腰だった麻衣は転がるように車内に倒れ込み、ジョンが優しく受け止めてくれる。
「御堂さんゆうお方はここいらでは有名なんでしょうか?」
「この辺では誰もがご近所さんらしいな。僕らのようなよそ者が訪ねて来たらほぼ間違いなく『御堂さん』のお客らしいが、何時、誰の所に、どんな人物が来るのか村中が知っていると言っていた」
「それでしたら、御堂さんが怪奇現象で困ってはると言うこともみなさん御存知なんでっしゃろか」
「それはないようです。お父上のコレクションのことで商談に来ていると思われたようでしたから。実際、古物商と名乗る方々が入れ替わり立ち代わりここを訪れて居るそうですが、決まって私道付近で迷子になり、戻って来るという話です」
―――今まで何人かの霊能者の方々にも調べていただこうとはしたのですが、全員、家までたどり着けませんでした。
条件があるのです―――
確かに御堂克美はそう言っていた。だが、店主の話に間違いなければ霊能者でない人間でも篩にかけられているらしい。そこで一旦全員の視線が交錯する。その条件というのは一体何なのか。
「あちらから車が」
ふと視線を逸らせた先に白い車を見つけて真砂子が指さした。視界を遮るものの無い道路の向こうから白い砂ぼこりを舞い上げて一台の車が近づいて来る。車はやがて店の広くも無い駐車場に停まって運転手が姿を現す。
予想に違わず、降りてさた人物は御堂克美、その人だった。そしてその助手席から見慣れた長身の男が愛想良く手を振り回している。
「よーお、お久しぶり」
「ぼーさんっ!!」
諸手を上げて自称保護者のところへ麻衣が駆けて行く。そしてぼーさんこと滝川は麻衣の頭を手繰り寄せてクシャクシャと髪の毛をまぜっ返す。いつもの事だと知っている面々は何とも思わないが、この光景を初めて目にした克美は驚いたようだった。
「仲……がよろしいんですねぇ」
下手をすると『援助交際』の構図のように見えなくもないが単にあれは親子のスキンシップなのだ。
「あの馬鹿親子のことなら、普段からあれですからお気になさらないで下さい。それよりもこの先で道に迷われる方が多いと聞きました。先導をお願いしたいのですが」
「おやこ―――ですか。はぁ、ああ、成る程」
ナルの注釈に目を丸くしながらも素早く立ち直ったらしい克美は、しばらく麻衣と滝川の様子を眺めていたが思い出してナルに向き直る。
「先導も何も、私道の前には標識がありますし、ここから先はほぼ一本道なんです。
あ───あいさつが遅れましたね。遠いところをご苦労様です。それでは先導させて頂きたいと思いますが、その前に買い物を済ませてからで構いませんか?」
人懐っこそうな笑顔を浮かべて、御堂克美はそう言ったのだった。
◆◇◆
「御堂さん、この先は一本道だとおっしゃいましたが、迷われる方が後を絶たないのは何故だと思いますか?」
克美の買い物が終えるのを待って、ナルが声をかけた。
「『選択』がなされているから、でしょうね」
「僕らならその『選択』には引っ掛からないと思われた訳は?」
「客観的視点からなんですけど。ここに十人の人間が居たら九人までは僕と同じ意見なんじゃないかと。条件については我が家に着いてから」
にっこり。
顔は笑っているがナルの質問に対する返答はきっぱり拒否している。意外に喰えない性格のようだ。さらになぜだか、ナルは依頼人と喋っているとひどい既視感に見舞われる。
───こんなテンポの会話には覚えがあるような……
二人の会話を無視して向こうでは飽きもせず、のほほん親子がじゃれあっている。そしていつの間にか克美もその輪に加わって遊び始める。
「何でしたら、僕の車に乗りますか。滝川さんと一緒に後部座席にでも」
いつのまにそんな話になったのか、克美はにこにこと極上の笑顔で麻衣にそう告げた。またそれに麻衣が嬉しそうに頷き返す。
「いいの? わーい、ぼーさんと一緒♪」
「まぁーいー♥」
「ぼーさんっ」
ひしっ。そんな擬音付きで抱き合う二人。二人の関係が親子以外のなんでもないと分かっているからこそ許せる姿である。滝川の場合は意識的に、麻衣の場合は無意識にナルが怒るのを分かっていてやっているから質が悪い。真砂子はそっと溜め息を漏らして綾子に耳打ちする。
「ここから先、そちらの車に移ってもかまいませんかしら?」
無言なだけのナルなら無害だろうが、静電気を引き連れているナルの隣に座るのは流石にきつかろうと綾子もコクコクと頷く。怒るのならもっと分かりやすく怒ってほしい。ナルが静かに怒ると回りの空気がピリピリと帯電する。はっきり言って迷惑なことこの上ない。綾子と真砂子の視界の隅に、軽く額を押さえているリンの姿が見えた
◆◇◆
先頭を克美の運転する車が、続いてリンのバン、最後尾を綾子の車が務めているのだが、その綾子の車から見えるリンのライトバンが、心なしかいつになく運転が危ういような気がする。きっと不機嫌そのもののナルを横に気が気でないのだろう事が伺える。少々気の毒だとは思うが、この中でナルと一番付き合いの長いのもリンなので、ここは耐えてもらうしかない。どうか事故だけは起こしませんようにと祈る綾子以下2名だった。
行く手は道の両側を林が囲み、そのまま進むとやがて山道へと入って行く。これまで克美の言ったとおり、枝道らしい道は見受けられず、大きな立て看板で私道の入り口もすぐに分かった。色付きかけた落ち葉の降りしきる中、車は山奥へと進む。山道だとは予想していたので足回りの良い車を選んでおいた綾子だが、道は車一台分しか幅はないもののきちんと舗装されているうえ、勾配も思った程きつくは無い。
危険と言えば、勾配を緩くするために山肌に沿って作られた道に気をつけなければ分からないようなRが掛かっている事と、斜面の外側にガードレールが無い事だろう。ガードレールが付いていないのは私道ゆえにその費用が個人負担になるからかもしれないと推測はできるが。大した危険も無く、迷子の多発地点を難無く擦り抜けてしまったことで、拍子抜けしていた綾子はいきなり視界が木の葉で埋まったため、慌ててブレーキを踏んだ。かん高い機械音がして、ひどい衝撃とともに車は止まった。
「何事ですの? 松崎さん」
ジョンはシートの後ろに積んであった小荷物の直撃を受けて頭を抱え込んでおり、シートベルトに助けられて軽く前の座席に額をぶつけただけで済んだ真砂子が身を乗り出して聞いて来るが、直ぐに事情を察して息を飲む。
車の前面の殆どを占めるフロントガラスが落ち葉ですっかり覆い尽くされているのだ。これで走り続けられる人間がいるのならお目にかかりたいぐらいだ。雨除けのワイパーを動かすが木葉の方が重いらしく機動音だけが空しく響く。大仰に溜め息をついて綾子が中から降りる。
「まったく、最低ね」
フロントグラスに張り付いた木葉を落とさなければ前へ進めないのだから、残る手段は手で直に取り除くのみである。先を行く連中に置いて行かれないように急がなくちゃと前方を見やれば、前の2台も停車していた。
「なぁに、そっちも視界不良なわけ?」
良く見れば全員が車から降りて、木の葉を除ける作業をしている。働いていないのは例によってナルただ一人。
「綾子事故んなくて良かったね」
麻衣が冗談にならぬことをケラケラ笑いながら言ってくれる。
「御堂さんとやら、ここじゃあこんなことはしょっちゅう起こるのかしら?」
「少なくとも僕は初めてです。それにこれだけの木葉がいっせいに落ちちゃったらこの辺り、一瞬で禿山ですよ?」
克美の言うとおり3台の車の周りだけ、異常なほどの落ち葉が降り注いでいる。先程車から降りたときには何とも無かった足元に、降り積もった木葉はヒールを履いた綾子の足首まで埋めている。
「貴方のおっしやる『選別』という可能性は?」
ナルがうろんな目付きで克美を見やる。それに対して克美は軽く首を振ってみせる。
「気に入らなければ私道の入り口付近で足止めされると思って間違いないでしょう。彼が何をしたいのか僕には分かりませんが、この状態は長くは続かないと思───」
克美の言葉が急に途切れたのは、湿った木葉に足を取られて麻衣が派手なアクション付きで転んだからだ。克美の車に同乗していた麻衣は当然のように克美の車の木葉取りをしていたのだが、前からサイドに移ろうとして滑ったらしい。たまたま近くにいた克美が支えようと慌てて手を差し伸べるが、麻衣の体は彼の腕の手前で動きを止めた。見れば、先程までライトバンに凭れるようにしていたはずのナルがいつの間に来たのか、麻衣の体を支えていた。
「お前のそのそそっかしさは何時になったら直るんだ?」
「うおう、お花畑を垣間見たような気がしたぜぇ」
一見華奢に見えるナルだが、麻衣の身体はすっぽりとその腕の中に収まっている。傍から見ていればなかなかいいシチュエーションなのだが、交わされている会話はあんまりな内容である。
「落ち着いて行動しろといつも言ってたはずだが」
「充分落ち着いてたやいっ。山道に慣れて無いから滑っただけで、どうしてこうも言われなきゃなんないかなぁ」
「目的地が山の中だとは言ってあった。もう少しましな靴は持って無いのか」
「ああ! 今《無印良品》を馬鹿にしたな?! 安くて丈夫で品質だって良いんだぞ。それに学校へ行くのに丁度良いんだいっ」
この間、麻衣の身体はずっとナルの腕の中のままだ。
克美は困ったようにその様子を眺めていたが、思い切って麻衣の背後から脇の下に腕を回し、両腕をすくい上げるようにして立たせてやる。
「お怪我はありませんか? いやぁ、僕驚いてしまいました。渋谷さんって見た目よりずっと運動神経良さそうですねぇ。あ、こんなこと言ったら失礼なのかな?」
ナルと麻衣が口喧嘩を始めた場合、仲間内では出来るだけ放って置くことが原則である。いらぬ節介を焼いてナルの不興を買うのを避ける為だ。だが、此の時の克美の行動を誰が予想出来たであろうか。完璧にナルの腕から麻衣をかっ攫って立たせるなどと。予測できなかった出来事にナルの目も大きく見開かれている。
さりげなく、麻衣の髪に絡み付いた木葉を取ってみたり、足を挫いていないか確認したりと、克美が気配り型の人間であることは分かったが、その他のギャラリーとしては、あんまり麻衣に構わないでくれと祈るばかりである。目に見えてナルの機嫌が悪くなっていく。
「麻衣、お前さんもういいから車ん中入ってろや。
な?」
ザクザクと落ち葉を踏み分けて滝川が車の反対側から回ってくる。
「大丈夫だよ。もう一寸で全部取れるもん」
―――いや、そうゆう問題じや無くてね。
肩をがっくりと落として滝川が言葉を失う。
「ナル、さっきはありがとね」
礼を言うのが遅いんじやないかと麻衣を責めてはいけない。大体ナルが喧嘩腰に怒ってくるから麻衣が謝ったり礼を言うタイミングがずれるのだ。それでも貸し借りを作るのが嫌いな麻衣は、お礼だけはちゃんとするように心掛けている。その麻衣に掛け値なしの本心から、笑顔でそう言われて怒る奴はいない。それまで帯電していた空気がふと、緩む。
「あ」
不意に、麻衣がふらりとよろめいた。
と、同時に突風が吹き抜ける。辺りを埋め尽くしていた木葉を巻き上げて、その風は過ぎ去った。
「みなさん、大丈夫ですか?」
風が収まったのを見て取って、克美が全員の無事を確認する。
「なんだったんだ。見てみろや、あれだけ有った木葉が全部何処かへいっちまった」
滝川の言葉どおり、辺り一面を埋め尽くしていたはずの木葉はきれいさっぱり無くなっていた。返事がないことを不審に思って仲間たちの方へ目をやれば、何かに驚いたように目を瞬かせている顔が並んでいる。
「どうした?」
「え、今何か飛んでこなかった?」
綾子が言えば、
「今、霞がかったような感じがしたよねぇ?」
麻衣が言う。
「何か、囁くような声がしたと思ったのですけど」
「私は一瞬、目隠しをされたのかと思いました」
真砂子にリンが続けて言う。途端にナルの眉間に剣呑な皺が刻まれる。
「どうゆう事だ?」
「んな事言ったって、よく分からない」
麻衣は首を横に振った。上手く説明できる言葉が見つからないようだ。他の者に視線を向けても皆同様に首を横に振るか捻るかだ。
「危険だと、思うか?」
ナルの視線は真っすぐ麻衣を見つめている。殊、危険に関しては勘の鋭くなる麻衣である。麻衣が恐れを抱いていないのなら当面の間、危険は少ないと誰もが判断をするのだが、当の麻衣は、一頻り首を稔らせた後自信が無いという風に、上目使いでナルを覗き見た。
「本当に良く分かんないの。リンさんがさっき言ってたよね。目隠しされたみたいだって。急に目の前が真っ白になったと思ったら、風が吹いて、何か、頭の中の何処かが薄れているような感じがするんだけど、それだけなの」
「あたくしもですわ。確かに何かが見えたような気がしました途端に風が吹いて、せっかく捕まえた気配のようなものがかき消されてしまいましたの」
まだ、目に違和感が有るのか、皆同様に瞼を気にしている。ナルの無言の視線はリンも見据えるが、彼も黙って首を振るだけだった。
「ぼーさんは何ともなかったようだが」
「俺と、ジョンとナル坊と、克美兄ちゃんもな」
言いながら滝川は自分の言った言葉を吟味しているようだった。風の中に何かを感じ取った者と、感じ取れなかった者と。その差は一体何か?
「だが、少なくとも、『相手』は僕らのことをお待ちかねのようだな」
ナルがすいと視線を進行方向へ向けると、先程までは確かにまだ続いていた山道が忽然と消え、代わりにそこに現れたのはヨーロッパ風の洋館の赤い屋根だった。おそらく、克美自身、予想していなかったのだろう。その目が驚愕に見開かれている。
「こんな事は今まで無かったのに……」
今まで何処か飄々とした態度を崩さなかった克美の手は強く握り締められ、顔は見る見る内に青ざめていく。
「最悪の事態かもしれない」
囁くような声だった。誰にも聞こえぬように口の中で呟いたはずの声。だが、自分の言葉をナルが聞き逃さず凝視している事に気付けぬ程、彼は動揺していた。己の生活の場であるはずの洋館を見上げながら、克美は言い知れぬ不安と戦っていた。
自分は最悪の選択をしてしまったのだろうかと。だが今は先へ進むしか無いことも分かっていた。
「どうやら貴方がたは酷く気に入られたようです」
今度は意識してナルに語りかける。覚悟を決めた克美の態度は毅然としていた。
「改めて、調査を依頼させて下さい。この家にまつわる呪縛から解放して欲しいのです」
◆◇◆
本来なら、いったん車を停めた辺りから更に10分ほどかかる道程をショートカットした形で家に着いた面々は、家を見上げていた。件の家は、家と言うより屋敷と言った方が相応しい建造物だった。古びた外観は何処かの古い洋館を解体してここで組み立てたものかと思い気や、意外にも建って5年もしていない新築に近いものだと説明された。亡くなった克美の父が家の図面からひいてデザインしたものらしい。古びた外観もリクエストでそのようにしてあるのだと言う。克美に勧められるまま玄関を抜けるとそこはちょっとしたホールになっていた。やたらと高い天井に2階まである吹き抜け、2階へ上るための階段は優雅な曲線を描いている。
そして壁際には重厚な飾り棚が並べ立てられ、その一つ一つに何やら仰々しく展示がなされている。それは古めかしいステンドグラスのランプであったり、銀色に輝く茶器であったり、大皿、花瓶、ありったけの古美術品が並んでいるのではないかと思わせる。その中央に、一際目立つように人形が飾ってある。
麻衣はこの人形に見覚えが有った。
先日真砂子と共に見た人形にそっくりだった。深い緋色の天鵞絨が張られた椅子に凭れるように座らせてあるのだが、飾り気の無いその人形は酷く不釣り合いで異様ですらある。剥き出しの肌は木目も露で人形そのものなのに、他人の着替えを覗き見てしまったかのように何故か見てはいけないものを見てしまったような罪悪感が沸いてくる。それはこの人形が生きた人間のように、まるで館の主人が気だるげに客を出迎えるようなポーズをとっているせいかもしれない。そして麻衣は妙に誇張されている関節が、実はより人間に近いポーズをとらせるためだと初めて気が付いた。指の一本一本にまで拘って作られている関節がより豊かな動きを可能にし、頭の先から爪先まで全身を使って表情を感じさせている。
だがこの人形に顔は存在しない。
展示されていた人形と同じように、目と鼻が有るべき場所に多少の凹凸が有るだけで、細かな細工は一切なされていない。驚くほど拘っている関節と対照的に簡素な作りの顔に麻衣は戸惑いを覚えた。
「この人形は未完成品みたい……」
「よく分かりましたね。確かにそれは未完成品なんですよ」
すぐ後ろから克美が答える。それに滝川が驚いたように声を上げた。
「《紫苑》だろ? それ。あの紫苑が未完成品なんて売りに出すかい?」
「《しおん》って何?」
聞き馴れない響きに麻衣が滝川を振り返る。滝川は克美と麻衣を見比べて困ったようにしていると克美が説明役を引き取った。
「紫苑は正確には三矢紫苑という人形師の名前ですよ。
元々はハンス・メルベールという職人が作った人形が原型で、紫苑はそのレプリカを作っているわけですが、彼以上にここまで再現できる職人は今のところ皆無でしょう。それで父も彼に依頼して二体程製作してもらったのですが、どうしても顔だけは何度作り直してもイメージどおりでは無いということで、結局削ってしまったんです。」
「二体って依頼するだけでも凄いが、気に入らねーから顔を削るっつーのもまた凄いな。そんな事、よく紫苑が許したもんだ」
「彼自身も納得がいかなかったからですよ。そして納得のいく作品が出来るまで顔だけはこのままで、と言う話になったわけなんですね」
「それじゃあ、そのしおんさん、今も顔だけ作ってるの?」
麻衣のもっともな質問に克美は苦笑を浮かべる。
「父が亡くなった時点で連絡を取ろうとしたのですが、電話が通じなくて。それで一度お宅を訪ねたのですがお留守のようで、近所の方にお話を伺ったところではここ数カ月姿を拝見していないとか。僕としても何とか連絡を取りたいのですけど」
本当に困ったものですと息を吐く。
「二体って、もしかしてもう一体は渋谷に展示してある奴?」
麻衣が思い出したように克美に尋ねると、克美は瞬間顔を歪ませて今度は口元を押さえ肩を震わせ始めた。どうやら笑いを抑えているらしい。
「あれ、御覧になりましたか。凄いセンスだったでしょう。最初はあそこまで派手じや無かったんですけどねぇ。
あれは必要があって護符を貼っているうちにディスプレイしている人が妙に凝りだしてあそこまでエスカレートしてしまいました。展示会の煽り文句も何とも言えないですよね。でも僕はこういう事は門外漢だからと、出版社の方や画商の方に任せちゃったから文句は言えないんです。
それでええと、人形の事でしたね。一応こちらが女性体で、あちらにあるのが男性体になってます。お分かりなりますか?」
性別が有ったのかと、麻衣は記憶の中の人形を思い出す。確かにあちらの人形にはナルを見たように思えたが、こちらの人形を見ていてもナルとは全く重ならない。男性的特徴も女性的特徴も備えていないように見えて、微妙な体格差が存在しているのだろう。言われて見ればこちらの方がほっそりしているようにも見える。
「なんとなく分かるような気がします」
「谷山さんは物を見る目を持っていらっしやる」
穏やかに微笑みながら克美はそう告げるが、麻衣には何故か居心地が悪い。明かに年下と分かっている自分に向けられる丁寧な言葉のせいじゃ
ないかとは思うのだが。
「あの、麻衣でいいです。そう呼んで下さい」
「それじゃあ僕の方も克美と呼んで下さい。なにせこの家にはもう1人『御堂さん』が居る訳ですし」
この言葉に全員が克美を注目する。ただ一人、事情を知っている滝川だけが2階の廊下を注視していた。
「みーやこちゃん。良かったら顔だけでも見せてくんないかなぁ?」
人の良さそうな、間のびした声で滝川が声をかけると、その視線の先で何かが転がって行く音がした。その音を聞いて克美と滝川は深いため息を漏らす。
「妹の美夜子です。美夜子は半年ほど前に事故に遭い、現在車椅子の生活を強いられています。以前は好奇心が強く、人懐っこい性格だったのですが、今は僕にさえ会おうとしません」
そう言う克美の表情は悲痛に沈んでいる。
「出来ればきちんと紹介しておきたかったのですけど、この通り、人前に出ることを極端に嫌がっているのでご容赦下さい」
「んでだな、真砂子ちやんに麻衣、実は美夜子ちゃん2人と同い年なんだわ。それで、機会があったらでいい。
話し相手になってやって欲しいんだわ」
克美を気遣って滝川が努めて明るく言う。
それまで陰りなど微塵も見せずに微笑んでいた克美だけに、切なげに伏せられた瞳が麻衣には痛く感じられる。
とくん、と鼓動が一つだけ大きく鳴った。
克美から視線が外せなくなる。
どこか寂しげな微笑み。
懐かしいような、苦しいような、胸の奥が締め付けられるようなそんな感じ。
そんな不可思議な感情に揺れる麻衣の瞳を別の瞳が見続けていた。誰にも気付かれないように、そっと遠くから。その瞳からは何の感情も読み取れない。ただひたすら麻衣だけを見詰めていた。
だからもう一人、自分と同じように麻衣を見ている人物が居ることに気付けずにいた。二人とも同じ不安と思いを共有していることに、お互いに気付無いまま、この時、気づいていれば防げたかもしれない事態は、確かに、悪い方へと傾いていったのだ。
◆◇◆
最初に案内されたのは、玄関を入ってすぐのホールのその奥に有る食堂を兼ねた広間だった。
全員がテーブルに着くのを待って、克美が口を開く。
「現在この家の責任者は僕になっていますので、何か御不自由が有りましたら遠慮なくおっしやって下さい」
「早速ですが、依頼内容を確認させて頂きたいのですが?」
自分より年長者であろうと、地位の高い人物であろうとも、ましてやそれが依頼者であると分かっていても、それでもいつもの態度を崩さないあたり、やっぱりナルだと、心ひそかに渋谷サイキックリサーチの面々は嘆息する。だが、ナルが聞き込みモードに入ってしまうと、すぐにリンと麻衣がクリップボードに向かってペンを走らせ始める。
「何からお話ししたら良いのでしょう……」
言いたい事は沢山有るのだが、何処から話せば良いのかが分からなくて克美が口ごもる。それにナルは麻衣に視線を投げかけて、無言の合図を送り付ける。普通ならどんな現象が起きているのか聞き出すのがセオリーだが、ナルが依頼を受けている以上、この質問は後回しでも良いはずと麻衣は判断する。
「まずは家族構成と、この家に頻繁に出入りしている方が居られましたらその方のことを」
この質問は予想していなかったのか、克美は不思議そうに首を傾げつつも答えてくれた。
「そうですね、父が人間嫌いでしたから、人の出入りは殆ど有りませんでした。ごく稀に父の絵を買いに来られる画商の方とか出版社の人がいらした事はありますが、基本的に商談は父の方から出向いてましたし、その父が亡くなったのが3ヶ月程前の事になりますね。それで今現在、この家に住んでいるのは僕と妹の美夜子の2人だけです。それと実は僕、留学中の身でして、父の葬儀のために戻ったばかりなものですから、久しぶりの日本は、お恥ずかしながら今浦島の気分です」
久しぶりに見た日本で最初の光景は東京の街。奇妙な化粧に、やたらと底の分厚い靴を履いた女子高生。まるで女の子が着るようなフェミニンな服を着ている男の子達。頭髪の脱色なんかは当たり前。
克美の通っていた学校が都心から離れていたことも有るのだろうが、生まれつき色素の薄い髪の毛と目の色のせいで髪は脱色していると思われ、赤いカラーコンタクトを学校へしてきてはいけないと、生徒指導室へ補導されたのは進学する度のこと。そんな経歴をもつ身からはとても信じられない光景だった。
克美は一旦席を立って、すぐ後ろのサイドボードの上からフォトスタンドを取ってくる。
「これが家族の写真です」
見せられた写真は少し古いものだったらしく、目の前に居る青年よりやや少年らしさを残した克美が屈託なく笑いかけ、克美に良く似た色彩を持つ美少女が克美の首に両腕を回して凭れるようにして笑いかけている。その2人の後ろに白い頭髪と真っ赤な目をした男がこちらを見ていた。
「御堂辰巳さんは享年55歳って聞きましたけど、この写真だともっとお年を召してるみたい」
「父はアルビノでしたから」
麻衣の言葉にすかさず克美が答える。だが、麻衣は聞き慣れない単語に首を傾げて見せると、
「日本ではしろこ、もしくは白子と言って、生まれつき色素の薄い人、又は生き物のことを指す」
そんな事も知らないのかとナルの視線が突き刺さってきた。麻衣はナルの視線を無視して、感心したように頷く。
「それで、克美さんと美夜子さんも髪の毛とか色が薄いんだ。だとすると、辰巳さんとはあんまり似てないみたいだから、2人ともお母さん似?」
だが、にっこり笑って克美は否定する。
「残念でした。僕らは養子なんです。父は独身主義者でしたから……。父の事を御存知だった様ですがちょっと勉強不足でしたね」
間違いを指摘されて麻衣はシュンとなる。
「ああ、そんなに気を落とさないで下さい。父の事を知っているだけでも有る意味、凄いと思ってますから」
「人間嫌いだった辰巳氏って、子供は好きだった訳?」
綾子は形の良い足を組み、『考える人』と同じポーズを取っている。
「子供も好きでは無かったと思いますね。ただ、僕は実の両親から随分疎まれてましたから、養父が引き取ってくれなかったら、今頃はグレてたんじやないかな。どうして僕を引き取ろうなんて思ったかは、本人にしか分からないですよ」
「実の両親って、親権剥奪されたの?」
意外なりゆきに綾子の声が戸惑っている。
「幼児虐待の廉により、触るべき場所に収容されて子供は養護施設に放り込まれた訳です。当時父は警察から複顔とかの仕事なんか受けていたので、親権を得るのに苦労は無かったようです」
養譲施設と聞いて麻衣の顔が曇る。
ちらりとナルの顔を盗み見て小さく息を吐く。ナルはいつもと変わらず無表情に話を聞いていた。
「苦労、されはったんですね」
ジョンがしみじみと言うと、破顔一笑、克美は晴れ晴れとした顔で全面否定した。
「随分小さかった時の話ですし、施設に居たのは多分、1、2ヶ月の事だったと記憶してます。すぐに父が迎えに来てくれたので、苦労と言うほどのことはありません。―――て、こんな話していると、なんだか僕、波瀾万丈の人生を歩いてきたみたいですねぇ」
のほほんと、言ってのける克美からは確かに苦労したという印象は受けない。
「なんにせよ、父の御蔭でこうして気ままな大学院生していられるんですし、感謝って言うより尊敬してます」
「そちらの家庭の事情は大凡分かりました。では、そろそろここで起きているという現象と、『選択』の基準をお教え願います」
ナルが一旦身を起こして、放っておくと何時迄もひたすら喋り続けそうな克美の話を軌道修正する。
「そうですね。実は、これを霊障と称するのなら、その霊の正体については心当たりがあるのです」
ナルの鋭いナイフのような視線を物ともせず、穏やかに微笑み返して克美は話しはじめる。
「状況からすると、原因は父ではないかと思われます。
ですから、霊とはいえ手荒なことはできるだけしたくありません。そして、幸い貴方がたはひどく気に入られたようですし、父から手荒な歓迎も無いと思うのです」
「手荒な歓迎、ですか?」
「車がエンストするだけなら可愛いのですが、乗って居る当人が車から降りたとたん、車だけが崖下に転落したこともあります。それでも歩いて来ようとした方の中には足を挫いたり、腕を骨折したりと強硬手段に出ることもある訳ですが、幸い死者は出て居らず、どなたも軽傷で済んでるのがせめてもの救いでしょうか」
「僕らにもその危険性が有ることを知っていて伏せていた理由は?」
「一目で絶対、気に入ると思いましたから。それと悪戯に不安材料を提示して、断られる方が僕にとっては痛手だったもので、済みませんでした」
椅子にかけたままとはいえ、テーブルに額をこすりつけるようにして克美が頭を下げる。が、対するナルの言葉には凄味が潜む。
「そして、幸いこちらのメンバーにケガ人は出ていません。貴方のお見立てどおり、と言う訳だ」
「お怒りはごもっともです。それについて言い訳するつもりは有りません。罵詈雑言でお気が済むのでしたら甘んじてお受けします」
「それで、さっきの話しなんですけどぉ……」
険悪な空気に耐え切れず、麻衣は出来る限りの笑顔を浮かべて話に割り込むと、当然のごとくナルの邪険な一瞥は克美から麻衣に移る。しかし慣れとは恐ろしいもので、初めてそんな視線を投げかけられれば萎縮してしまうであろう迫力も、麻衣にかかっては何の威力も持たない。きれいさっばりナルを無視して克美に話の続きをしてくれと促す。
克美も空気を一変させてくれた麻衣の厚意に甘えて、素早く気持ちを切り替えた。
「それでは、ここで何が起こっているのかご説明申し上げた方がよろしいようですね。まず、ここが肝心なのですが、父は無類のキレイ好きでして」
きれい好きがどう問題なのか分からずに、麻衣の口がポカンと開かれる。それは同席した全員が首を傾げるところである。
「あ、ええとですね、清潔好きではなくて、綺麗な物好きと言い換えた方が分かりやすいかな。
とにかく、目の保養になると判断したら、何千万する宝石でも、ただのガラス玉でも手に入れないと気の済まないタイプの人間でした。そうして父のコレクションが誕生した訳ですが、父が亡くなって遺品を整理してましたところ、異変に気付きました。出来ることなら僕としても父の大切なコレクションを手放したくはないのですけど、僕の経済力や、みぃや───失礼、美夜子の現状からして、すべてのコレクションをベストの状態で保存管理するのは無理なんです。それで、この手のコレクションを大切にして頂けそうな方にお分けしようとしたのですが、気が付くと『戻って』るんです。
何度も試しました。渡したはずの品物は、僅かに目を離した隙にここへ戻ってくるんです。そのサイドボードに並んでいるグラスにも見覚えがありますね?」
克美が指した所には、確かに見覚えのあるグラスが飾られている。そしてそれは、事務所から消えてしまったワイングラスに間違いなかった。
「僕としては、みぃやの事もあるし、出来ればすべてのコレクションを大切にして頂ける方に引き取ってもらい、もう少し小さな家に越せないかと思っているのですが……
ですが、戻ってくるものはそれだけではありませんでした。僕も、どうやらここから離れられないようなんです。すぐに帰ってくることを前提に出掛ける時は何もないのですが、大学に戻ろうとするとさまざまな事故が起きて、結局この家に戻らざるを得なくなるんです」
「……貴方は先程、空間移動させられた時に何か呟いておられましたね」
ナルの鋭い視線が克美の心の奥まで透視するかのように突き刺さる。無論、ナルは分かって聞いているのだ。
「父は自分の気に入らない物や人物が家に入るのを極端に嫌う反面、気に入った物には執着心が強いんです。今まで依頼した霊能者の方々は、どうも父のお眼鏡に適わなかったようなんですか、幸いあなたがたは気に入られたようです。それと同時に、何処まで気に入ったのかが問題ですね。
僕はこの現象を起こしているのは父だと思っています。ですから、できるだけ手荒なことはしたくない。父にはちゃんと成仏して欲しい。どうして父がこれ程コレクションに拘るのか、理由が分かれば対処のしようもあるのでしょうが、今のところ僕にはどうすれば良いのか皆目見当もつきません。
そして、あなた方を招いたのが父だとしたら、帰す気があるのか無いのか、今の状況では何とも言えないというのが正直なところです」
白くなるまで握られた拳。そして言われた言葉の意味を理解して、全員の背筋を冷たいものが伝う。
この状況下でただ1人だけが微かに微笑みを浮かべていた。白い頼にほんの少し、上気した赤みが差している。もし、浄霊に失敗すれば東京へ帰れないかもしれないと、不安を覚えて助けを求めるように巡らされた麻衣の視線の先に、やけに楽しげなマッド・サイエンティストの顔があった。続いて綾子、真砂子にジョン、滝川もそれに気が付いて、己の見識の甘さを痛感する。
───この状況で嬉しいのか。この男は?!
はたと気が付いて彼の助手の方を見やれば、いつもと同じ無表情であったが、気のせいか、いつになくリズミカルに動いている手元。どうやらこちらもやる気満々のようだ。所詮オイラは一般人さと、ナルと知り合いになった己の不幸を呪いつつ、開き直るしか無い面々だった。