「一日ぐらいならいいでしょ。付き合い悪いんだもん、麻衣ってば。しかも招待券だからタダだし」
タダ、と聞いて心がぐらつく。苦学生をしている麻衣にとって、これ程都合のいい言葉は無い。
場所も良かった。バイト先とは目と鼻の先であるギャラリーというのも気に入った。ここなら展示会を見た後で顔を出すことも可能だ。付き合いが悪いと言われても、バイト代がまんま生活費となる麻衣には休暇は敵である。以前、雇い主に最低限でいいからと設定された勤務時間を大幅に増やして事務所に入り浸っているのは、予想以上に良かった時給のためだ。雇い主の方も、麻衣が給料をギリギリまで上げるために事務所に詰めるようにしていることを知ってはいるが、文句は言ってこないので黙認されているようだ。
学校へ行く時間もあって給料は安いOLさん並。
こんな実に都合のいいバイトは滅多に無い。
だからこそ、雇い主の機嫌を損なうことは命取りのような気もするが、普段が詰め切った状態なのだから「少しぐらいならいいよね」と自分に言い聞かせることにした。
「待って、ナルに一時間ぐらい遅くなるって言っとく」
そう言ってカバンの中から携帯電話を取り出す。一人暮らしの麻衣に電話で連絡を取ろうとすると大家のおばちゃんの電話を通すか、学校の事務所を通さないと連絡がつかないのが不便だと、同じ事務所でやはりバイトの安原の進言により麻衣に支給されたものだ。麻衣は迷わずに短縮の1番を押すと、短いコール音の後に聞き慣れた声が聞こえてきた。
「リンさん? あたし、谷山です。実はちょっとだけ遅れるかなぁと───ううん、別に体調は悪くないよ。学校の友達と寄り道。うん……」
麻衣を誘った友人の方は物珍しそうに麻衣の会話に耳をそばだてている。バイトに遅れるだけの報告にしては何か、いろいろ聞かれているような……
「ちょっと待って、ひーこちゃん、何てトコ行くんだっけ?」
急に話を振られ、ひーこちゃんと呼ばれた方───本名は比佐子と言う───は慌ててチケットを確認する。
「ええっと『怪奇と幻想の世界、幻惑のMIDOコレクションと絵画展』て言うの。何でもアクシデント続きで開催も危ぶまれたとかいうんでちょっと話題になったんだよ」
「聞こえたー? 事務所のすぐ近くなの。見終わったらそっち行きますから、ナルにはそう言っといて下さい。
───ええ、はい、それじゃ」
ピッと軽快な電子音がして通話が切られる。
「遅刻するだけの報告にしては、随分喋ってたね」
「えぇーそう? いつもこんなモンかなぁ。『どちらへ、お友達とですか?』って決まり文句みたいに皆聞いてくるから意識したことないや」
「普通、遊びに行くのかそうでないのかは聞くかもしれないけど、そんなに突っ込んで聞いてこないと思う」
麻衣と親しくなったのは3年に上がってからなのでそれ程詳しく知っている訳ではないが、麻衣と付き合いの長い人間は自ずと保護者のような立場に陥るらしいと比佐子は思う。麻衣が頼りない訳ではないのだが、見ているとつい世話を焼きたくなる。聞けば高校に入る前に両親は他界しており、ずっと一人暮らしをしているらしいから、実生活面では確かにしっかりしていると思う。だが、その反面人を信用し過ぎるような嫌いがある。それだけ良い人達に囲まれていたのだと想像は付くのだが、その分、悪い人間に引っ掛かりでもしたらと心配することもある。おそらく、バイト先の人々も麻衣を心配するからこそ聞いてくるのだろうが少々過保護ではなかろうかとも思った。だがそれを口にするのはやめてしまう。
そう言う自分も麻衣が毎日のようにバイトへ行くので悪いバイトでもしてるのじやないかと聞いてみたことがあるのだ。そして麻衣のバイト先が一年の時話題になった『旧校舎の幽霊』を扱った心霊調査事務所だと知った。あの綺麗な人と同じ所でバイトとは羨ましい話である。
───あの、綺麗な人も麻衣のこと心配したりするのかしら?
麻衣との共通の友人との会話では、綺麗な人───渋谷一也という名前であることは聞いている───と麻衣が時折話しながら渋谷界隈を歩いているところが目撃されているということだ。そして渋谷氏が稀に原真砂子と歩いているのも目撃されているが、麻衣の時とは微妙に態度が違うということで、友人間では原真砂子よりも麻衣の方が恋人有力候補となっている。麻衣からそれらしい話が聞けないのは、この純感娘に自覚が出るまでは無理だろうというのも定説になっている。実際、麻衣に交際を申し込もうとして持って回った誘い方をしたあげく、数多い友人の一人に組み込まれて来た男の多い事。本人に自覚は当然ない。麻衣を誘うなら、そのものズバリと言ってのけなければ真意は伝わらない。
───この娘の恋人になる人って、物凄い精神力要りそう……
「じやあ、行こうか?」
麻衣が携帯をカバンに仕舞い終え、楽しそうに振り返る。
「OK」
比佐子は待ってましたとばかりに歩きだした。
◆◇◆
渋谷にある有名百貨店の特別催し場は、展示会のために仕切りが林立し、奇妙な様子を呈していた。
摩訶不思議なデザインがなされたパネル群と、これ見よがしの御礼は、如何にもここで奇妙なことが起こっていますと宣伝しているようだ。何だか今から絵画展を見に行くとゆうよりも、占いの館に入って行くような気になる。麻衣の知る限り、比佐子は占いとお呪いの大好きな普通の女子高生だ。多分その筋でこのチケットを入手したものと思われるのだが。
「……でねこのコレクターの人、最近亡くなったんだよね。で、オークションも兼ねてるらしいんだけど、怪奇現象が起こるんだって。展示してある人形が夜な夜な泣くとか、展示している位置が気に入らないと勝手に入れ替わっちゃうものがあるとか、そんなこんなで直前まで開催するかしないか揉めてたらしいんだ。それで、ここの展示室、こんなに魔よけだらけのデザインになったんだそうだよ」
MIDOなる人物のファンだと豪語する比佐子は麻衣が促さなくても知っているだけの知識を披露してくれる。その内容から麻衣を誘った理由も想像が付いた。どうやらオカルトにも興味を持っていたらしい比佐子は麻衣の意見を聞きたがっているのだ。
絵画や展示物が痛まないように照明は押さえられ内装は全て黒で統一されている。そして確かに、異常と言って良いほど魔よけの意匠がなされている展示会場はそれだけで別世界だった。
「あのさぁ、ここのコレクションってどんな意図があって集められたのかな? なんだか統一性が全然無いような気がする」
コレクションの大半は確かに高価そうな壷だったり、食器だったり、骨董品だったりするのだが、中にはどう見ても高価そうでない奇妙な形の石や、不気味な仮面だったりするのだ。だが麻衣の質問にさもありなんと比佐子が頷く。
「こうゆうのって神秘的だなとか、一見グロテスクなんだけど見ているうちに綺麗だなとか、そうゆうふうに感じない? ここに展示されている品々は全てMIDO氏の絵画のモチーフに使われてるんだ。
あっちのコーナーは全部MIDO氏の絵のはずだから見てみよう。すっごい綺麗な絵なんだよ」
比佐子に手を引かれてついて行ったものの、麻衣は最初に目にした絵だけで赤面してしまった。どの絵も全裸の若い男女が睦み合っているようにしか見えないのだ。
確かに柔らかな筆のタッチと色使い、全体の印象としては『綺麗』なものだったが、全ての絵の構図がエロティックな感じがする。
嬉しそうに絵を眺めている比佐子の横で麻衣は目のやり場に因っていた。そして会場を眺め回しているうちに見知った人物を見つける。相手は麻衣に声をかけたものかどうか悩んでいたようで、視線が合うとほっとしたように手を振ってきた。ちらりと比佐子を見やるが、絵を見るのに夢中なようで麻衣のことは忘れているようだ。
「真砂子じやん。どうしたの? まさか、真砂子もこの人のファンとか───」
「やめて下さいまし。あたくし宛にコレクションのオークションに参加しないかという招待状が来ましたのと、テレビの取材が入ってたのですわ」
一応声を潜めてボソボソと会話を交わす。
「ここの展示物にはもともと曰くの有る物が数多くありますの。それで霊が憑いていないかどうか見てくれという依頼と、展示物が勝手に移動するという話もあって、様子を見に」
「移動するってゆう噂はあたしも聞いた。で、真砂子の見立てはどう?」
「霊は今のところ居ませんわ。でも、奇妙な感じがするのも確かですわね。主催者の方は随分神経質になってらっしゃる様ですけど」
と、辺りに張り巡らされた魔よけの魔法陣を見やれば、中には見慣れた梵字による御礼も見受けられる。
「ある意味これもすごいエネルギーだよね。ここまでやる必要があるのかなって言うくらい」
「麻衣の方はどうですの? もっとも調べに来た訳では無いようですけど」
真砂子の視線は比佐子に注がれる。麻衣は苦笑しながら同じように比佐子を見やった。
「あたしはぜぇーんぜん分かんない。もうここの雰囲気だけで圧倒されちゃって」
麻衣がおどけてみせると真砂子のロ元から笑いがこぼれる。二人してくすくすと笑っていると、漸く二人に気が付いたらしい比佐子がむくれながらやって来た。
「麻衣ずるーい」
「ごめーん。だってひーこちゃん夢中なんだもん。邪魔したら悪いかなぁって」
「ね、このヒト……原真砂子だよね」
比佐子は麻衣の袖を引っ張りながら真砂子に目をやる。
「そうだよ」
「初めまして、でよろしいのかしら」
「うわーゲーノージンだよ。本物。こんな近くで見たの初めて。麻衣すごい。ほんとーに知り合いなんだ?」
真砂子だと確認したと思ったら途端にミーハーに騒ぎだす比佐子を麻衣は困ったように見つめる。そろりと真砂子の様子を確認して、真砂子が思ったより怒っていないようなのでほっと胸を撫で下ろす。
「あ、もしかして麻衣を迎えに来たのかな? このあと事務所に顔出すって言ってたもんね」
比佐子の完全な誤解なのだが、真砂子の方は訂正する気配も見せずにっこりと微笑んだ。その様子に暫しみとれていた比佐子は溜息混じりに麻衣に耳打ちする。
「このひと本当に綺麗だよねぇ。だけど麻衣にゃ麻衣の良い所があるんだから負けちゃ駄目だぞ? 渋谷さんによろしく」
比佐子は麻衣に謎(?)の台詞を残し二人から駆けるように離れて行く。囁くような声だったが、真砂子にも聞こえていたので思わず苦笑が浮かぶ。言われた当の本人はポカンと口を開けて悩んでいるようだが。
「麻衣、今から事務所に行くのでしょう。ご一緒しますわ。もともとあたくしもその予定でしたから」
「真砂子の場合、ナルに会いに行くんだろ?」
「当然ですわ」
ツンと、すまして態と先を歩く。
以前は確かにナル───渋谷一也に会いに行くのが目的だったが、近頃ではくつろぎに行くことの方がメインになっているような気がする。たいした実力でも無いくせに偉ぶって見せる輩や、出来もしないことを堂々と宣言してくれる輩等、テレビの業界にはそんな者達が掃いて捨てるほど居る。そんな人間ばかりを見てきた真砂子にとって、麻衣の事務所に屯する人達は今のところ一番信用のおける者ばかりだった。同等の実力とその実力に見合う自信が真砂子には心地よい。
喫茶店代わりに使うなと、事務所の所有者はうるさいけれど、彼とてそこに集う人々が作り出す空気を嫌っていないことなど周知の事実だ。
「ああ、麻衣。お茶は玉露にして下さいませね」
麻衣は暫く真砂子をにらみつけていたが、むんずとその細い手首を鷲掴みにする。
「何でしたら、銘柄まで選んでくださって結構ですわよぉ。どうせ事務所の経費だしぃ」
そう言って出口へすたすたと歩いて行く。引きずられるようにして真砂子もついて行くが、その途中、二人はそろって同じところで立ち止まってしまった。展示場の出口のすぐわきに巨大なガラスケースに封じ込まれた等身大の木彫りの人形。人のかたちはしているものの奇妙に強調された関節部分が節榑立って気持ちが悪い。ケースに付けられたタイトルには《美しい人》となっているのに、人形の顏の部分は目の位置の窪みと鼻とおぼしき突起以外これといった細工はなされていない。
どうしてその人形にだけ注視してしまうのか、二人とも自分でも不思議だと思っていたが、見続けているうちに何故か見知っている人物の面影が浮かんでくる。
「ナルに似ている?」
どちらからとも無く口にする。

お互い顔を見合わせて戸惑いつつもその場を離れた。何か、すぐそこを離れなくてはいけないような気がして。
◆◇◆
「依頼内容は当家に着いてからお話ししたいと思います。ですが、こちらは信憑性の無い一件には興味を持たれないとの事でしたから、一つ、実験に立ち会って頂きたいのです。よろしいでしょうか?」
彼の赤みがかった頭髪が染めたものではなく、生来の色であることを伺わせているのは失張り同じ色を湛えている瞳を合わせ持っているから。年の頃は二十二か二十三、そう感じるのは社会人にしては少し学生を引きずっている雰囲気と外見。スーツと言うには少々ラフな観のある上着をだらし無くない程度に着崩しており、それでいて清潔感さえ感じさせる程度の容姿を合わせ持っている。
彼はオフィスに入るなり、ナルを素早く目に留めて軽くお辞儀をし、いきなりそう切り出した。これには事務所内にいた全員が驚いてナルと青年を見比べたが、ナルはさして動じた風もなく麻衣に視線をよこす。ナルのその視線に麻衣は溜め息を漏らしつつ依頼書の準備をする。
つまり『お前が相手をしろ』と令令しているのだ。この美貌の所長様、ナルは。
青年の態度から、ここの責任者がナルであることは前以て知っていたと考えて間違いないだろう。だいたい初めてここを訪れた人の大半はナルの闇より深い黒曜石のような漆黒の髪と瞳、それと相対するような白磁めいた肌のコントラストも鮮やかな美貌に感嘆の溜め息を漏らし、その人形のような風貌の持ち主がここの所長であり、責任者であると聞いて依頼することを逡巡するのだ。依頼を取りやめて怒り出すものや中にはナルの気を引こうと、どうでもいいような依頼をしに何度も来る有閑マダム等、ナルの神経を逆撫でするような『招かざる客』と『依頼人』の区別をするのもこの頃では麻衣の仕事である。問題のこの青年だが、どう考えても最初からナルの事を知っていたようだから、誰かからの紹介と見るべきだろう。
「あの、失礼ですがお名前は…… それとこちらへは紹介で?」
これはまずいと、麻衣がナルと青年の視界を遮るようにクリップボードを抱えて割り込むと、思いがけず微笑まれてしまった。
「すみません、ちょっと焦っていたようですね。こちらへ来る前にも依頼はしてみたのですけど、今まで家にたどり着けた方がいなかったもので」
言葉のとおり、青年は今まで緊張していたのであろう顔が僅かに緩んでいるのが分かる。少し、恥ずかしそうに頭の後ろを掻いてみたあとペコリと頭を下げた。
「僕は御堂克美と申します。それとここへは滝川さんから紹介されました」
滝川と聞いて麻衣の後ろでナルが身を起こす気配がする。滝川とは元高野の坊主でこの事務所、『渋谷サイキックリサーチ』の数少ない(?)協力者の一人である。御堂克美と名乗った青年はそれから少し考えたふうに言葉を続けた。
「もともと滝川さんは別の方からの依頼で当家にある父のコレクションを引き取りにいらしたのです。そこでわが家に起こっている現象に出くわし、ここへ依頼してみてはと進言していただいた訳です。今まで何人かの霊能者の方々にも調べていただこうとはしたのですが、全員、家までたどり着けませんでした。条件があるのです。僕の見たところ、ここの事務所の方はその条件を満たしているものと思われます。ですが実際に判断するのは僕では無いので、ここで事情を説明するより、現実問題として当家に来られるかどうか調べてから依頼させていただきたいのです」
「家にたどり着けない、と言うのは事故かなにかでしょうか?」
ナルが直接質問する。こうなると麻衣は邪魔にならないように脇へ退くしかない。
「事故が一番多いですね。車がエンストしたり、接触事故を起こしたり、電車が止まって動けなくなった方も居ましたね。ただし、今の所、大した被害は出ていません。僕としても危険が伴うのであれば次から次に依頼したりしません。でもそれが却って不可侵の力が働いてるという確信にもなりました。どうでしょう、一度で結構です。僕の実験に立ち会って項けませんか? お時間は取らせません。10分、いえ5分でも構いません」
そう言って深々と頭を下げられると、麻衣としては少しくらいなら良いんじやないかと思うが、判断するのはナルだ。ナルは暫く考えるようにしていたが、所長用の椅子から立ち上がって応接セットの方へ移動する。
「具体的にはどのような?」
どうやら興味をそそられたらしく、口元にはアルカイックな笑みが浮かんで機嫌良さそうである。
「種も仕掛けも無い手品を」
そう言って青年は一つの包みを持ち出した。
「今からとある品をご覧になって項きます。仕掛けが無いことを確認されましたら一旦、箱の中身が見えないところへおいて頂くだけで結構です。実験はそれで終わります」
「種と仕掛けを確認するのは誰が?」
「渋谷さん、でしたね。どうぞ、お気の済むまで見て項いて結構です。何でしたら全ての作業を貴方にして頂いても僕は構わないのです」
挑むように青年はナルを見つめる。
「麻衣、依頼人の方にお茶を」
そう言って自分は青年に座るように勧める。事の成り行きを息を潜めて見守っていた麻衣は明るい声で返事をした。
「はぁい!!」
◆◇◆
実験はあっけないはどすぐに終わった。依頼人、御堂克美の言うとおり種も仕掛けも無い手品は成功を収め、それから彼は実際の現場である家の連絡先を書いたメモを残して帰って行った。
この実験に立ち会ったのは、ナルと麻衣の他に、同じく事務所に所属している林興徐と安原修、何故だかこうゆう時に限ってそろって遊びに来る原真砂子と、松崎綾子にジョン・ブラウン。結局、ぼーさんこと滝川を除く全員が立ち会ったことになる。
「で、ナルとしてはどうするつもりなの?」
隙の無いメイクとさりげなく全身をブランドもののスーツで身をつつんでいる派手な女、そうは見えなくても巫女の松崎綾子が興味津々といったふうにナルの顔を覗き込む。
「依頼人の様子と口調からして、ここに居る全員に依頼しに来たものだと思われますが?」
自称少年探偵団(団員一名)安原修がやはり、覗き込むようにしてナルに告げる。暫く考えていたふうではあるが、ややゆっくりとした口調で言葉を選びながらナルが応える。
「ぼーさんの紹介だというからには、ぼーさんの手には余ると言うことだろう。しかも相手は事故を起こせるだけのカを持ち、場合によっては僕らも現場にはたどり着けない可能性がある。現場に行けたら行けたで、危険を伴う可能性が高い。最初から行くかどうかはご自身で決められた方が良いでしょう」
ソファに身を沈めるようにしてナルがそう言うと困ったように皆、顔を見合わせる。
「渋谷さんはどないなされるおつもりですか?」
その皆の心情を代表してジョンが聞く。童顔ゆえに麻衣よりも年下に見られることもあるが、実はナルよりも年上で、正真正銘の悪魔払師───エクソシストの資格を持つキリスト教の立派な司祭様だ。
「僕のところに来た依頼ですよ。当然行きます」
ナルの言葉に「やっぱり」と思いつつ、うんうんと麻衣が頷く。
───このマッドでワーカーホリックなサイエンティスト様が興味ある対象物を見逃すか、てーの。大体御付きのリンさんが、既に機材のチェックを始めているじゃないか。
そう心の奥では考えても、口に出す愚行は冒さない。久々にハードな仕事になりそうだと踏んだところへナルの声。
「辞退したければ麻衣もしてくれて構わないが?」
「おや、珍しーコト。気を使ってくれるワケ?」
ナルの背後に控えて居た麻衣はぽこんと、抱えたままだったトレイをナルの頭に当ててやる。それを煩わしそうに払いのけ、お得意の目元はそのままで口先だけの微笑みを麻衣に向ける。
「僕は『条件』が気になっているだけですよ」
どーゆう意味だと突っ込みたい所だが、それは麻衣も気になるところなのだ。何せ、彼はオフィスに居る人間の顔を見回しただけで判断している。と言うことはそれは外見だけで分かる事由なのか。ある程度はぼーさんから聞き出だせば良いだろうとは思うが、そう言えばぼーさんもそこの条件とやらをクリアしているのだろう。事件の現場に出くわしているのだから。
「所で、僕さっきからずっと気になってたんですけど、谷山さん、今日はどちらへ行かれてましたっけ?」
唐突に安原が話題を切り替えてきた。一見関係ないことのようでも彼の場合、理路整然と繋がって行く可能性もあるので誰も止めようとはしない。麻衣も慌ててカバンの中から展示会の半券を取り出す。
「確か『怪奇と幻想の世界、幻惑のMIDOコレクションと絵画展』でしたわね。麻衣」
麻衣が読み上げるよりも早く真砂子か口にする。
麻衣がチケットを探し出すのを待って口にするあたり、タイミングを計っていたとしか思えない。
「アンタ麻衣とはここへ来る途中で会ったとか言ってなかった?」
「ですから、その会場で会いましたの」
にっこりと、目にも鮮やかな美女が微笑みあっているというのに、何故か空気は荒涼としている。
「とりあえずですね、先程の依頼人は『みどう』さん、こちらの展示会は『みどー』で、偶然だと思いますか?
御堂さんのお話では滝川さん、御堂氏のお父さんのコレクションを受け取りにとか何とか言ってませんでしたっけ」
その場の雰囲気を変えようと努めて明るく安原が話を続ける。
「滝川さんに連絡が取れれば一番手っ取り早いとは思いますが、圏外のようですし。この『MIDOコレクション』に色んな逸話があるのも事実です」
「MIDOコレクションの所有者の名前でしたらあたくしわかりますわ。確か、みどうたつみ。そんな名前でしてよ。どのような字を当てるのかは分かりませんけど、オカルト好きの方には魅力的な存在でしたようです。絵画以外にも研究書など発行されていてテレビ局でも何度か取材をしていますの。きちんとした研究者では無かったようですけど、専門家ではいらしたようで、良く取材協力者の名簿で見た覚えがあります」
真砂子はよくテレビの出演依頼が来る売れっ子霊能者で、そちらの情報に関しては意外に詳しい。
「ですけど、この『みどう』氏は何ヶ月か前に亡くなられていてコレクションを相続した人物は、氏の交友関係を調べてコレクションの引き取り手を探しているとか。
膨大な数のコレクションの管理と維持費が大変だからというのが主な理由だと聞いています。ところがこのコレクションが食わせ物で、幾つかは引き取られたらしいのですけど、色々と問題が出てきているようでしたわ。
それであたくしの所に依頼がありましたの。『MIDOコレクション』に何か憑いていないかどうか調べて欲しいと。これは推測に過ぎませんけど、滝川さんもそちらの筋からコレクションの引き取りを頼まれたのではありませんかしら」
一息に喋り過ぎて疲れたのか、真砂子は一旦深く息を吐き出す。話している間中弄んでいた湯飲みをテーブルに置くと、今度は御堂克美が残していったお札を手に取った。見慣れた文字が並んでいる。
「これを書かれたのは滝川さんではないのかしら」
それは皆が思っていたことなので誰ひとりロを開くものは無い。どれ位そうしていたのか、重苦しい沈黙を破ったのは機材の調整を終えて戻ってきたリンの声だった。
「ナル、いつでも出られるようにしてあります」
その声を機に全員が立ち上かる。
「出発の予定はいつ?」
きびきびとした綾子の声。
「明日の朝、10時に」
「そっちはいつものバンで行くんでしょ。ぼーずが居ないと不便ねー。仕方が無い、あたしが車一台レンタルするとして、同乗者は誰?」
すかさずジョンと真砂子が手を挙げる。
「僕は残って調べ物、ですね」
こうして、結局のところ今回のケースは全員が最初から参加する運びとなったのだった。