2004-08-01

 

 

序 密室の魔法

 


 ナルより少し年上か。
 依頼者である青年はテーブルに着くとお茶を一気に飲み干し、いきなり包みを広げはじめた。紫色の風呂敷に丁寧に包まれていたのは小さな桐の箱。その箱には朱房の紐がきっちり掛けられている。だが何よりも目を引くのは、その箱に貼り付けられているお札だろう。ここで働くようになってから、ミミズがのたうっているようなその文字が『梵字』と呼ばれる特殊な意味合いをもつものである事は既に麻衣も承知している。
「百聞は一見に如かず、と言いますから」
 青年は一同が見守る中、ゆっくりをお札を剥がしてみせる。それから蓋をゆっくり持ち上げると中から出てきたのは美しい装飾を施されたワイングラスだった。麻衣の口からだけではなく、真砂子や綾子でさえ、思わず感嘆のため息が漏れる。殆ど厚みのないガラスの表面にどのように細工したものか、見事なまでの彫刻がなされている。ギリシャ神話の一場面を模したと思しき図柄には、杯を掲げた幾人もの男女が描かれていた。そのあまりにも華奢で繊細な作りに、麻衣などは手に持っただけで握り潰してしまうのではと思ってしまう。
「お手数ですが、あなたの手で確認願います」
 だが、青年はさして気にした風もなくそう言ってナルの方へ箱を押し出す。ナルの方もまるで普段使い慣れたコップでも扱うようにグラスを手にとって眺めた後、箱に細工がなされていない事を確認して元のように収める。そして徐に立ち上がり、テーブルから良く見えるよう自分の事務机の上に箱を置いた。そこなら視界を遮るようなものは一切なく、勝手に近づこうものなら誰かの目に必ず止まる。
「これでよろしいですか?」
「はい結構です。あの……それと、申し訳ないのですが、谷山さん、でしたね。おいしいお茶をもう一杯所望したいのですが」
 にっこりと微笑み付きで言われては麻衣も悪い気はしない。言われたとおり、いそいそと新しくお茶を用意しに茶室へ駆け込む。ついでにとばかりに全員のお茶を用意して戻ってきた麻衣がお茶を配り始めると、部屋にいた全員が箱から気を逸らせた。麻衣がお茶を配り終わるのを待って青年が口を開く。
「渋谷さん、箱の確認をお願いします」
 青年は何処か困ったかのような微笑みを浮かべている。ナルはたった今置いたばかりの箱に目をやる。一見、変わったところは無いように思いはしたが、言われたとおりに立ち上がって箱へ手を伸ばす。その手が一瞬動きを止める。だが、ナルは直ぐに箱をしっかりと持ち上げると箱を抱えたままテーブルに戻ってきた。そして全員が見ている目の前で、無造作に箱を逆さに返した。
「あ───
 激しい音を立てて砕け散るワイングラスを想像して、誰もが一瞬息を飲んだ。
しかし、箱からはグラスの型を残した綿片とそれを覆っていたであろうシルクの布だけが音も無く舞い落ちたのだった。



うんわ。
なんかやっぱり改めてみると恥ずかしい感じがします。
初出が2000年ですので四年前ですか。去年再版してますが。
で、一年経ったのでそろそろとネット上げ。

一応再版時の総集・改訂版ベースです。
気になった所とか細々と手を加えさせて頂いたんですが、改めて見てたらきっとまた、手を加えちゃう予感がする・・・。

こちらはもう、完璧に出来上がってる作品なんで途中で止まって未完と言う事はないですが、 更新は余暇を見計らってのネット上げになります。
ページが多いのでごめんなさい。
いやぁ、一体何ページになるのやら自分でも分らんので、ゆっくりおつき合い下さいませ。


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