総合点では、竹中さんにかなう人はいなかった
運営者 それと、どうも華やかな人たちが多かったように思いますね。
鈴木 それは若干、竹中さんの趣味が入っているかもしれませんね(笑)。
運営者 わたしは、竹中さんってすごい人だと思ったんですよ。
人あしらいというか人を有機的に活かすことのうまさというか、それなりの研究者の方を10人近く集めてプロジェクトをやってるときに、机を囲んでいる研究者の人たちに、「ではこれは、○○先生の方でいついつまでにやってください」とパキパキ指示できるじゃないですか。
ああいうスタイルのことができる人ってなかなかいないと思うんです。特に学者には。ある実力政治家が「学者は世間が狭い」と言って竹中さんを非難したんですけど、あの人より世間の広い人はそんなに多くないと思いますけどね。
ホントに勉強になりましたよ。実に、アカデミック・アドミニストレーター的なところのある人ですよね。
鈴木 そうですね。
運営者 竹中先生に東京財団への参加をはじめに声をかけられたのは、鈴木さんですよね。どうして竹中さんにしようと思われたんですか。竹中先生のどこを評価されたんですか。
鈴木 これはね、まだ竹中さんがそんなに有名でないころに何回か会っていて、今でも覚えているのは、彼は「自分は政策的なことにかかわりたい、ただ日本にはそういうことをやれる場所がないから大学に入るんだ」と。「政策的にキチンとやれるシンクタンクがあったら、自分もかかわりたい」と言ってたんです。
運営者 政策志向が強かったということですね。
鈴木 だからあの人は、最初に日本開発銀行に入ったわけだし、一橋大学に入ったのも、どちらかというと一橋大学は近代経済学で現実志向なところがあったからだと思うんです。
それと、竹中さんのキャラクターですが、彼は下駄屋さんの息子ですから、それがすごく良い面で作用しているしてるんです。人との接し方とか。
それと僕は、ああいう前向きに社会を変えていこうというような組織の場合は、あまり暗い人ではよくないなと思ったんです。特に言葉ですね。話し方がわかりやすいというのは、政策を語る時には重要なんですよ。
運営者 へえー、そうなんですか。
確かに、福田官房長官の記者会見を聞いていると、そんな気もしますが(笑)。
鈴木 そういうことで総合点でいくと、竹中さんにかなう人はいないと、僕は思っていたんです。
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