当然部下は、社内リテラシー的にはすっかりアルツってしまった課長(すなわち「アルツ君」)にいちいち呼ばれるはめになります。
例えば、日々業務連絡はメールでやりとりしています。自分でメールの返事を出さない(出せない?)のでメールの送信者から返信の督促の電話がかかり、困ったアルツ君は、「メールがきているらしいんだけど、どうすりゃいいの?」などと部下を呼びつけて助けを求めます。
その度に心優しい部下は、着信したメールを印刷してあげたり、返事を送信してあげたり、アルツった課長を甲斐甲斐しく『介護』してあげなければなりません。このため部下の労働生産性は著しく低下します。
課長をアルツ君などと呼んでは、いけないかもしれませんがそう呼んでしまいたくなるんですよね。この課長は、自分がアルツっていることに全く気がついていないし、些細なことでも学習する事を放棄しているからです。最初のうちは、いちいち「これはですね。カクカク、シカジカ、…」と説明してイロイロ教えて差し上げていたんですが、しばらくしてまた同じ状況になると性懲りもなく、恥じらいもなく、まったく同じ事をきくんです。質問した事も、教えて貰った事もすっかり忘れているんです。理解する事を拒否している(or理解する力が無い?)ので「うん、うん、わかった」といいながら全く理解していないのです。
まさに泥沼、ドヨドヨな空気が充満して、みんなのモラールとかやる気全てを吸い込んでしまいます。まさに『アルツ君』は、やる気とヤリガイのブラックホールです。
課長がアルツ君だと日常業務に支障が出るだけでなくその他にも弊害が出ます。例えば、今や、どこの企業でも『成果主義による目標管理制度』が主流です。いくら部下個人が頑張ってみても課長がアルツっていると査定の目標設定や実績のアピールなどがうまくできないことがたびたびおこります。部下は、たまったものではありませんから、優秀な人から我先に「一刻も早く、とっととこの環境から逃げ出そう」と、機会を伺い配転していきます。そのようにしてアルツ君の配下にはだんだんとパラサイト系カイシャ族の構成比が高くなってしまったようです。
『シーラカンス化したアルツ君』の存在を許しているドヨドヨな淀んだ環境がいけないのか、環境をドヨドヨにしたアルツ君がいけないのか、まさにニワトリと卵状態です。