連載小説 カンパニー・1985 第5回
MBA
「そうかあ、秋元さんがそう言っていたか。いよいよ感度良好だな。プルードー湾のプロジェクトも軌道に乗ってきたし」
予想通り、僕の報告に日下さんは喜んでくれた。
「ところで、石神さんてどんな人ですか」
「80年入社で、通産省を蹴ってうちに来た面白い男だよ。単に仕事ができるというだけじゃなくて、なんというか、器なんだ」
「そういう人がよくうちの部に来ましたね」
「配属のときは、藤原部長が人事部に乗り込んで、ほかの部と大喧嘩して引っ張ってきたそうだ。だから、『将来のうちの社長に育てる』とか、『テレックス当番みたいに、くだらん仕事はさせない』とか言っていた」
「新入社員の配属のときって、そういうことをするんですか」
「まあ、そこまでやる部長は、全社でも藤原さんくらいだけどな」
ふと、自分はなにが理由でこの部に配属されたのか、聞いてみたいと僕は思った。そしてすぐ、自分はどう考えてもそんな注目を集めたはずがないと納得した。
「実は石神は、帰ってきたらうちの課に入れようと思っているんだ。それで10月には課長代理に昇格させる。いい考えだと思わんか?」
石神さんという5年上の先輩が、急速に現実味を帯び始めた。
僕にはもうひとつ、聞かなければならないことがあった。それを聞ける相手は決まっていた。例によって残業後の寿司屋で、僕はデコさんに尋ねた。
「あのさあ、MBAって何?」
デコさんはあれっ、という顔で僕を見てから教えてくれた。
「あれでしょ、石神さんがシカゴの大学院で勉強しているやつ。マスター・オブ・ビジネス・なんとかっての。コーポレート・ファイナンスとか、マーケティングとかそういう勉強をするんでしょ。それを取ると、アメリカではいっぺんに年収があがるんだって」
「難しいんだろうね」
「でも毎年、会社から1人か2人は社費留学してるのよ。どう?竹下さんも挑戦してみたら」
「おれ、勉強嫌いだもの」
「竹下さん、社内試験のTOEIC何点だった?」
「内緒」
「あ、そういえばわたし、人事から来た書類、見ちゃったんだ。あはは、思い出したけど、あの点数はちょっと問題よ。商社マンとしての将来考えると」
英語に自信がないことは、もとよりバレバレだったけども、この時期、僕はまだ海外に行ったことさえなかった。こんな人間が商社の、それもプラント営業をやっていて、ときには国際電話で「Would you please」だの「Can I speak」とやっていたのだから、あとから考えても冷や汗モノである。
「わたしもTOEIC受けたけてたの。自慢できる点数じゃないけど。でもね、竹下さんより100点くらい上」
「嫌だなあ、もう。僕はこれから国内一筋で行きますよ」
「あはは、御免。ねえ竹下さん、英語競争しようよ。わたしね、留学するのが夢なんだ。今度GMATも受けてみるつもりなの」
「へえ、すごいじゃん。何を勉強するの」
「美術史。大学でやってたから。でもね、本当は何でもいいんだ。アメリカに行けさえすれば」
年間の海外旅行者数がまだ1000万には遠く及ばず、1ドルが200円以上していた時代だった。海外はとっても遠かった。留学する、なんてとびきりの贅沢に思えたものだ。帰国子女だってそんなに大勢はいなかった。1985年とはそんな時代だった。
「話変わるけどさあ、日下さん、最近出張が多いよね」
僕はさりげなく話を国内に誘導していた。