連載小説 カンパニー・1985 第6回
8月12日
お盆休みで会社には人影もまばらだった。それでも僕たちのプルードー湾プロジェクトは、いよいよ入札のときを控えて熱気を帯びていた。
問題は、日本国内に点在する製造現場から、いかに要領よく機械の部品を調達し、タイミングよく現場に運んで組み立てるかにあった。僕らは何度もシミュレーションを繰り返した。1987年7月に最初の船を現地に送り込み、8月中にすべての部品を揃える予定だった。そこから逆算して、すべてが間に合うようにスケジュールを組みたてていく。無数の港の名前と日時を書き込んだチャート図が何枚も何枚も作られた。熱交換モジュールの設計図も、暗記するほど繰り返し見た。技術的なことは素人だったけれども、「いざとなったら、自分が経営陣の前で説明できる」と思い込むほどだった。
その日、めずらしく昼過ぎになって会社にやってきた日下さんは、さすがに疲労気味のようだった。
「参ったよ、尼崎製鉄がへそを曲げちゃってるんだ。日下はもう許せん、とか言って怒ってるらしいよ。仕方がないから今から行ってくる」
「アマテツさんですか、ほっといた方がいいんじゃないですか。来週になってから藤原さんにお出まし願うという手もありますし」
「いや、取りあえず顔出して、頭下げておくよ。長いつきあいだしな」
デコさんが、夕方の大阪行き飛行機の切符を押さえてきてくれた。
「明日の夜には帰るから」
課長が出かけた後のオフィスは急に静かになった。めずらしいことに、午後7時には広いフロアに僕一人だけが残っていた。来年から「社内CATV」なるものを始める、という触れ込みで、広報室が各部に1台ずつ配置したテレビを点けてみた。期待した阪神戦はどこでもやっていなかった。僕はテレビの音を消したまま、手書きのフローチャート図の何十回目かの書き直しを始めた。
しばらく没頭していたところへ、外線で電話が鳴った。自宅に帰ったデコさんだった。
「竹下さん?お願いがあるんですけど、私の机の上にある交通公社のレシートを見てくれません?」
「ああ、これね。どうかした?」
「今日、日下さんが乗った飛行機、何便になっている?」
「JALの123便」
電話の向こうで何か恐ろしいことが起きていた。その空気はすぐに僕にも伝わった。ややあって、絞り出すような泣き声が聞こえてきた。
「その飛行機、落ちたかもしれないの」
午後9時。消息を絶ったJAL123便のゆくえは、テレビの各チャンネルが追いかけ始めていた。僕はチャート図を放り出して、いろんな場所に電話をかけまくった。日下さんの自宅。大阪の定宿のホテル。羽田空港。交通公社。国鉄にもかけてみた。何かの間違いで、新幹線に乗っていてくれたら!僕が意味のない電話を何本もかけている間に、テレビのニュースは恐ろしい事実を伝え始めた。
「ただいまから日本航空の記者会見が始まります」
「待ってください、先に乗客名簿を読み上げてください」
NHKの松平アナウンサーの機転で、500人以上の名簿が読み上げられた。そこで読み上げられる名前は、非常に高い確率で「絶望」を意味していた。50音順で読み上げられる名字はすぐに「か行」に変わった。テレビの前で僕は生きた心地もしなかった。くさか、くさかえいいちろう・・・・
恐れていたその名は読み上げられなかった。僕は大きなため息を吐いた。来客用のソファーに身を沈め、人騒がせな日下さんはどこにいるんだろうと思った。今頃は大阪の街で、馴染みの店で機嫌良く一杯やっているのかもしれない。
ややあって、再び電話が鳴った。デコさんからだった。
「よかった。日下さんは乗ってないみたいじゃないか」
「でもご家族には連絡がないんですって。これだけ日本中で大騒ぎしているのに、気がつかないってことがあるかしら」
「でも少なくとも乗客名簿に、日下さんはいなかった」
ふと嫌な予感がして、僕は再びテレビの画面を見た。ちょうど最後の乗客名が読み上げられる頃だった。聞き覚えのある名前だった。テレビの中の声は、冷酷にこう告げていた。
「ワサカ・エイイチロウ」