天動説から地動説へ(知覚の相対性) オーディオの科学へ戻る

最近マスコミで報じられたところによると、小学校高学年の半数近くが天動説を信じているそうである。理科教育の遅れが原因だという。しかし、考えてみると、天動説というのはコペルニクスが地動説を唱える以前は人類全てが信じていた考えであり、自分の視点が不動のものであり、天体が地球(自分)を中心として回転するというのは人間の本性に基ずく自然な解釈である。

しかし、一度地動説を知りかつニュートン力学を自分のものにすると、天体の運動が驚くほど簡単に説明出ることを知り、もう後へは戻れない。まさにコペルニクス的転換である。

以上は物理学の話だが、オーディオに関係する認知科学、知覚心理学といった分野でも最近では地動説が常識になっている。つまり、人間の知覚はあくまで相対的なもので、ある対象を認知するとき、その対象の物理的性質だけでなく、受け取る人間の主観、具体的には脳の状態によっても大きく左右されるということである。最近のベストセラー『バカの壁』はこのことを脳科学者の立場から素人にも分かるように解説したもので多くの人々とっては新鮮なインパクトを与えたのではないだろうか。

養老猛氏の言によれば『万物流転、情報不変』というわけである。

このページではまず視覚を例に取り上げ、知覚が如何に不正確であり得るかを示す。ここで、最近知った究極の錯視図 new を 紹介しておく。聴覚についても、音が変わって聴こえる原因として、主観の揺らぎや思いこみが大きく聴感に影響することをのべる。ところがオーディオ界では客観的な音質評価の唯一の手段であるブラインドテストをタブー視しているので歯止めがかからず、オカルトまがいの製品が市場にあふれている現状に対し、何を基準にして機器を評価したらいいかについて、メーカの言い分評論家の言などについての私見を述べる。

この問題に関連して「音は脳で聴く」「そもそも客観的事実とは?」のページも参考にしてほしい。

視覚情報の不確かさ

このことを体験するには比較的客観的に対象を捉えていると思われる視覚情報について見てみるのが面白い。

錯覚現象

この図はよく知られた錯覚現象の1例である。縦の直線はいずれも完全な平行線であるが斜め線を入れることにより平行線からずれて見えるであろう。そのずれ具合は斜め線の数、角度のよって変ることも体験出来る。ただ、どれくらいずれて見えるかは各人によって違う。

視覚といえども対象の物理的特性を正確にとらえることが出来ないことを示している。



こちらも錯覚現象を起こす図である。3つの図の内1つだけが斜め直線が1本の直線であり、他の2つは平行ではあるが少しずれている。

どれがずれていない直線かの判断は人により違うらしい。
あなたはどれと思いますか?

正解はこのページの最後にある。

多義図形

この図は何に見えますか?

白抜きの部分に注目すると盃に、黒い部分に注目すると向かい合った女性の顔に見えますね。

第一印象が何に見えるかは人によって違うようです。
のどが渇いているときは盃に、若い男性だと女性に見える確率が高いという研究もあるようです。 ルビンという人が考案した図でルビンの盃と呼ばれる有名な多義図形です。 知覚が主観の揺らぎにより左右されることが分かります。

さて、左の絵は何に見えますか?

ほとんどの人は向こうを向いた貴婦人の絵と見るでしょう。

しかし、よく見て下さい。全く別の女性の顔が現われてくるはずです。

この絵は、嫁と義母図形と呼ばれる有名な多義図形です。貴婦人と魔女といった方が分かりやすいかもしれません。 上のルビンの盃とことなるのは第一印象では貴婦人と見え、ヒントを聞いて始めて別の姿が見えるという人が多いという点です。 

え、まだ見えてきませんか? それでは、ページの最後の詳しいヒントを見て下さい。

知識を得ることによって同じものが違って見えることがあり得るということを示すものである。

究極の錯視図

まず、ここを見て下さい。 この絵で A、B の部分が全く同じ色・明るさであると信じられますか?

嘘だと思ったら、これをプリントアウトしてA,B の部分を切り取り比較して下さい。あるいは、手っ取り早く、パソコン上で、画面を[PrtScm]で読み込み適当な画像処理ソフトでこの部分を切り取り比較してみて下さい。この場合、いわゆるRGB値も比較出来るはずです。

面倒な方はここをクリック (A,B 部分を切り取り一部重ねて表示した画像です。もちろん色、明度等には一切手を加えていません。)

この例を見ると、人間の感覚がいかに周りの状況に左右されるか、つまり相対的なものであることを否応なく納得せざるを得ないでしょう。

知覚の恒常性

上の例とは逆に、対象の物理的性質が変化しても同じものと知覚されることも多い。これを、知覚の恒常性という。以下の文は、ある啓蒙書の一節から引用したものである。

空間内の光の条件や位置関係が変わっても、知覚される対象の性質は変化しない。

 われわれは、知覚する対象をいつも一定の距離や角度、照明条件のものとで見ているわけではない。対象は移動しているかもしれないし、われわれ自身も動いて見ているかもしれない。また、それを太陽光の下で見ているかもしれないし、白っぽい蛍光灯や黄色っぽい白熱灯の下で見ているかもしれない。移動や照明条件などで、われわれの目に与えられる刺激は様々に変化しているはずだが、それでも、見ている対象の性質や特性の変化はあまり気にならず、比較的安定して見えているだろう。
このように、網膜に与えられる対象の像が様々に変化するにもかかわらず、対象があまり変化をせずに安定して知覚されることを、「恒常現象」または「知覚の恒常性」という。
 知覚の恒常性は、ものの「見え」が様々に変化して見えるという錯視や錯覚とは対照的な現象と考えられるが、われわれの知覚が外界の物理的、幾何学的な特性や、目などの感覚受容器に与えられる刺激の特性によって一義的に定義されるわけではないことを示している。
 この恒常性という現象は、視覚ばかりではなく聴覚など他の感覚受容器による知覚でも見られる現象で、われわれの知覚全般の特徴とも考えられるのだが、各種の恒常性はそれぞれの刺激特性や感覚特性に特有な要因が関わっているとともに、知識や期待、関心などといった多くの認知的な要因も絡み合って成立していると考えられ、すべての恒常性が同−のメカニズムによって生じると考えることはできない。
 いずれにせよ、知覚の恒常性によって、われわれは安定した知覚世界を得ることができるとともに、外界の事物についての同一性の認知が容易にできるのである。

このように、視覚について見ただけでも、知覚というのは対象の物理的性質だけでなく、認知する主観の揺らぎにも大きく依存することがわかる。

聴覚の相対性と思いこみの影響

 平行線が斜めに見えるなどの目の錯覚の場合は、定規一本あれば錯覚であることを納得せざるを得ないだろう。しかし、我々の関心は聴覚である。この場合は、残念ながらそう簡単でない。聴覚については言葉で説明するのも難しく絵で説明するわけにもゆかず、主観のぶれや思いこみがどれほど聴感に影響を及ぼすかを知ることは難しい。私自身は、例えばスピーカーケーブルの材料の純度で音が変るという雑誌やインターネット上の記事を読むにつけ、これこそ思いこみによる変化だと確信するわけであるが、それは私には金属材料物性に関する専門知識があり、そんなことはあり得ないことを知っているからで、そうでない人にとっては、純度が高い材料を使えばそれだけで純度の高い音が得られると思うのは自然なことかもしれない。また、聴覚の錯覚、いいかえれば、心理効果がいかに音質評価に影響しているかを明らかにする唯一の手段であるブラインドテストを否定すればもはや区別する手段はない。

そこで、ここでは、思いこみが確かに音の認知に影響することを脳波を測定することで確認したという、実験心理学の報告を紹介する。

具体的には別ページに詳しく書いているが、ホワイトノイズに時々弱い1kHz のサイン波を加え、これが聴き取れるかどうかを、被験者に答えてもらい、このとき同時に被験者の脳波を測定するというものである。

その結果分かったことは、全く信号を加えていなくても、時々、確かに聴こえたと答えることがあり、その場合観測される脳波は、実際に信号を加えたときの、いわば『正答』したときのパターンと同じであることがわかった。つまり、『空耳』は確かに存在し、思いこみによって、『無い音』まで聴こえるわけである。

また、どうして思いこみが形成されるかについて、脳科学者の説明をここに引用しておく

もちろん、全てが思いこみというわけではない(音が変って聴こえる原因)

上の例でも、実は正答率の方がずっと高く『空耳』現象はたまにしか起こらない。これは当然のことで、このテストは被験者が信号が加わったことを70% の確率で正答するという条件で行なわれているからである。つまり、いわゆるブラインドテストでは十分有意差有りのケースに相当する。しかし、例えばスピーカーケーブルを変えた場合についてはブラインドテストを行なうと、ことごとく有意差無しという結果になるようである。それでも自分なら差が聴き分けられるという主張する人が沢山いる。なぜだろうか?

ここで、人があるオーディオ機器 A,B の音質に差があると感じる原因を考えてみよう。

(1) 実際に物理特性(周波数特性、歪み率等)の差が人間の検知限を上回る場合。

もちろん、検知能力には個人差があり、かつ訓練によっても向上すると言われている。 しかし、学会レベルで確立されている検知限の10分の1くらいの差を聴き分けられるという言は疑わしく、100分の1ともなれば以下に述べる別の原因を考えるべきである。 そもそも、検知限というのは、感覚器官の物理的、化学的特性によって制約されており、訓練により向上するとしても自ずから限度があるはずである。

スピーカーの音色の違いや、CDとLPの音の違いなどはほぼこのケースと考えていいだろう。

(2) AをBに変えた直接の効果でなく、変えるという行為に伴なって生じた差を感じている。

例えば、聴く位置の変化、接点の変化等々による差をAとBの本質的な違いと誤認する場合。このとき、聴く位置の変化などでは、刻々音質が変って感じても良さそうなものだが、実際に音楽を聴いている場合は聴く位置を変えても、音質が変ったとは感じない人が多いんではなかろうか? それは、知覚の恒常性がなせるワザである。一方、サイン波信号を聴くと、首を少し傾けるだけで音が変ることがよく分かる。

(3) 物理的原因でなく、主観のぶれで変ったと感じる。

これが、いわゆる知覚の相対性である。間違ってはいないが、定量的に解析すると、とても人間が検知出来る差が生じるとは思えない理論、全く見当はずれの理屈、等で先入観をすり込まれ生じる、いわゆる『プラシーボ効果』もこのケースに該当する。 

ケーブルの純度の差で音質に差があると感じるのはこの場合の典型例であろう。

ケーブルのエージング効果などは、そのような俗説が流布しているため、それに応じて脳の状態が時間とともに適応していくのが原因と思われる。

さて、多くのオーディオファンは自分の耳は確かで、違って聴こえれば当然(1)が原因でありAとBの音質に物理的な差があるからと思っているんではなかろうか? 自分の視点は不動で、かつ何人も同じように感じるはずだと思いこみ、違いは全て対象の変化によると考える、つまり、天動説の立場である。

しかし、上で視覚の場合の比較や聴覚についての実験例をみれば、このような見方が単純すぎることは明らかであろう。 

主観のぶれを排除するにはブラインドテストに拠らねばならない。

では、どうしたら (1),(2),(3) の区別が付けられるだろうか? とりあえず、思いこみや視点のぶれによって生じる差はブラインドテストによって区別出来、それ以外に方法はない。この場合、差を感じたとしても、AとB にちゃんと対応しないバラバラの答えが得られることになる。詳しくはここを参考

(2) についてはちょっと難しい。なぜなら、その原因を特定することが難しいからである。聴く位置の違いによる差を敏感に感じる人にとっては、AとBに関係なく何かを変えるとその都度変化が感じられるだろうし、Bケーブルの接点がひどく不良であった場合、接点による違いをケーブル本体の違いと見誤る場合もあるだろう。後者の場合は、ブラインドテストでは見かけ上正しく差が聴き分けられたことになる。

ところで、一部評論家やマニアの間ではブラインドテストでは正しい評価は出来ないとの意見がある。その理由はとても納得出来るようなものでなく、銘柄を知っている場合は微妙な音の差が聴き分けられ、その特徴を微に入り細を穿ち表現しておきながら、いったんそれを隠すと、とたんに分からなくなるというのは論理矛盾に他ならない。もっとも、自己の視点が不動で確かであるという天動説の立場から抜け出すことが出来なければ、差は感じても、AとBとに対応していないという結果は理解不能であり、テストの方法に原因を求めたくなる気持ちは分からぬでもない。

我が国ではブラインドテストは『タブー』である。

残念ながら、我が国のオーディオ界ではブラインドテストによるオーディオ機器の客観的評価はタブー視されている。全て、メーカーの一方的主張か、評論家やマニアを中心とするユーザーの主観による評価しか目にすることは出来ない。客観的評価をタブー視することにより歯止めが効かなくなり、とんでもないオカルト製品にまで暴走することになる。従って、消費者である我々はこれらの言に惑わされないよう自衛の手段を持たねばならない。もちろん、全てがでたらめというわけではないので注意すべき点を挙げておく。

メーカーの言い分

総合電気メーカー

ご存じのように大手総合電気メーカーはほとんど、いわゆるピュアーオーディオから手を引いている。最大の原因は採算が取れないことだとは思うが、客観的評価がタブー視されるような商品には手を出さない方が無難だと考えているのかもしれない。

専業または準専業メーカー

これにはピンからキリまであり一概に言えない。

良心的なメーカーの見分け方としてはまず第1に技術情報を公開していることが挙げられる。また、プロ用機器を手がけている所なども信用出来るんではないかと思っている。ただ、これらのメーカーも、ブラインドテストでは差が分からないような過剰装備にお金をかけているところも多い。おそらくメーカーの言い分は、『かくかく、しかじかの装備を付けた方がいい音がする』(例えば、CDPのクロックの必要以上の精度など)という説を信じ、実際それを購入して満足するお客さんがいる以上、持てる技術を使ってそれに対応しているまで、ということかもしれない。結局の所、消費者側の自己責任というわけである。

それに対して、警戒する必要があるのは、いろいろもっともらしい理屈を述べながら、それが量的にどれほど効果があるかを示さず、基礎的なデータも示していないメーカーであり製品である。

これらの業者の典型的な手法は、もっともらしい理論を展開し(はじめから嘘と知っている場合は論外だが、定性的には正しい場合もある)、それを如何にに具体化したかを説明し、主観によりその正しさを検証したつもりになり(そう思って聴くと、本当にそう感じてしまうので始末が悪い)、法外な価格(特殊な材料を使うなど、実際に高くつく場合も有り得る)を付け、過剰装備の製品を派手な宣伝で売り出すという手法である。 この場合、(括弧内の注釈から分るように)自分では真面目で良心的なつもりの業者までが、最終的な評価や検証を主観に頼っている限り、知ってか知らずか、結果的にオーディオ界の似非科学化に一役買っていることになりユーザーは心しておくべきであろう。

* 最近は、前半の手法は同じだが、プロ用機器など、きわめてコストパフォーマンスがよく、耐久性にも優れた製品を宣伝して売り出すという新手の手法も現れているようである。この場合は、科学的には如何がなものかと思われるが、結果的には良心的な商売であるともいえそうである

ちょっと余談だが、最近テレビで面白い報道番組を見た。それは、貼るだけで携帯電話の電池の持ちがよくなるシールなる製品である。疑問に思った記者が大手電池メーカーや公的機関に持ち込み測定をしてもらったところ、統計的ばらつき以上の差は全く出てこないという結果であった。それを、持って製造元へ取材に行き社長に面談したところ、色々反論しながらも結局問いつめられて実際には効果はないかもしれないことを認めるに至った。しかし、そこに営業部長氏が登場し、『長持ちすると信じ、それを買い求め、実際に使って満足し、さらには知人に使用を薦めたりするお客様がいるから作っているんです。いったいどこが悪いんですか?』と開き直りました。さて、皆さんはどう思いますか?(筆者注 その製品の宣伝パンフレットにデータの捏造等の虚偽があれば法律に違反すると思うが手元にないので何ともいえない)

オーディオ評論家

正直オーディオ評論家とは大変な商売だと思う。誰もが納得するような音質の差から、ちょっと自分でも本当かなと思うような微妙な印象まで記事にしなければならないのだから。

職業としている以上、経験は豊富だろうし、聴覚の敏感さや音についての記憶力も人並み以上の人が多いだろう。私も参考にすることも多い。特にソフトの録音評などは大いに参考にしている。また、スピーカーの音の傾向なども的を得ていることが多く参考になる。この場合は、(1) による差が(2),(3) の原因を凌駕しているケースである。

もちろん、失礼ながらあまり信頼出来ない人もいる。物理学や技術的な基礎知識がなく、私などから見て、全く間違った理屈を根拠に盛んにある製品を持ち上げたりすると、とても信用する気にならない。かといって、技術的知識に詳しすぎる人にも問題を感じる。その知識が自分自身に深い先入観を植え付けているとしか思えない人もいるからである。結局の所、その人の書いている記事を総合的に見て信頼出来そうな人、そうでない人を見分けるしかない。このとき、上に言う、地動説的観点を持ち合わせているかどうかが私の判断基準の1つである。あえて具体的に言うと、例えば「ケーブルを変えることにより音が激変する」などという人は信用しない方がいいだろう。かなり思いこみの強い人で、その人の主観的評価は先入観に強く影響されていると見なせるからである。

さて、どうするか?

とりあえず、天動説の充縛から逃れ、地動説の立場にたってみることである。そうすると、今まで不可解であったいろんな現象がよく見えてくる。

ただ、この分野では、地動説を見事に説明するニュートン力学のような明快な理論が確立しているわけではなく、また、客観的なデータを求める唯一の手段である厳密なブラインドテストの実行を素人が行うのは困難であり、天動説から逃れるには地道に勉強し正しい知識を蓄積するしかないだろう。(ここに、腕時計との比較で、私のオーディオ装置の選び方が書いてある)オーディオは人間の感覚が関係する分野なので物理学や、電気工学だけでは理解出来ないことが多く、最近進展の著しい脳科学にかんする知識は不可欠である。

最後に、最近はやりのCMを一つ 『よーく考えよぅー、 お◯は大事だよぅー』


錯覚現象の答え

(1) 斜め線のずれ: 左端が1本の直線

(2) 嫁と義母の図: 貴婦人の『ほっぺた』を大きな鍵鼻に、耳を左目に、肩の露出した部分をとがった顎に見立てると、西洋の魔法使いのお婆さんに見えます。

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