脳波で見る『空耳』 オーディオの科学へ戻る

心理効果とブラインドテストのページに書いたように、オーディオの世界では『思いこみ』などの心理効果で音が変わって聴こえる可能性が大きい。このことは実験心理学の分野では常識とされているようである。ここでは、このHPを見られた実験心理学の研究者の方に教えていただいた研究論文を私なりに解釈して紹介する。なにぶん、専門外の学術論文であり、誤解もあるかもしれないので遠慮なく指摘して下さい。

元論文は「Decision-Ralated Cortical Potentials During an Auditory Signal Detection Task with Cued Observation Intervals」(合図で告知される時間内にオーディオ信号を検出する時の脳波の検出)というタイトルで著者は K.C Squires 他、J. of Experimental Psychology:Human Perception and Performance Vol.3(1975) 268-279

研究の概要

ホワイトノイズに検知限ぎりぎりの微弱な 1kHz サイン波を、合図の光信号と同時に短時間加え被験者に聴かせる。被験者は音が聴き取れたかどうかを、確信度別のスイッチを押すことにより応答する。同時にこのとき発生する脳波を記録する。ただし、試行の半分は、合図の光信号のみを与え音は加えない。その結果、実際に音は出ていないのに、確信を持って『聴き取れた』という回答も混じる。さて、この場合の脳波の反応は如何に? というのがこの研究の目的である。

脳波とは?

脳波とは、脳神経の活動に伴い神経索に発生する電圧を、頭頂の皮膚に装着した電極で検出し記録する方法である。発生する電圧は 数μV〜数十μV と微弱で、厳しいノイズ対策を施すなど高度の微弱電圧測定技術が必要である。詳しく知りたい人は、例えば、石山 陽事 著『脳波と夢』(コロナ社 1994年刊 \1200)などが手頃な入門書である。

測定法

右図にこの研究で用いた測定装置の概要を示す。

被験者の前方に合図の光信号を与えるキセノンランプが設置してある。

音信号はこの図とは異なり、実際にはイアホンで与える。

ホワイトノイズに合わせて加える1kHz 信号の強度は、被験者の能力に応じ、音を聴き取ったことを70% の確率で正答する程度の大きさにあらかじめ設定しておく。

被験者の卓上には、音が聴こえたかどうかを光信号の合図に従って応答するための8個のスイッチがある。

『音が聴こえた』と確信を持って答える場合はスイッチ(1)を、『聴こえなかった』と確信を持って答える場合はスイッチ(8)を押す。確信が持てない場合はその程度に応じて(2)〜(7)のスイッチを押す。実際の音信号は、合図をしたタイミングの約半分に加えられる。

脳波計は主に頭頂に装着した電極について測定するが、その他にも参考信号を採取するため、頭部の他の場所や、体部にも装着してある。

測定のシークェンス(順序)

加える、光信号、音信号、脳波測定のタイミングは下図のような時間系列で行う。


右図上は有音時の、下は無音時の、音響信号、光信号の流れを示す。

いずれの場合も適当な強度のホワイトノイズは恒常的にバックグラウンドとして流される。

初めに予告信号として、50msの光信号を与え、500ms 後、信号を加える(実際には加えない場合も含め)合図の光信号を与え、同時に微弱な1kHz の音を、試行回数の約半分の確率で加える。

また、同時に脳波の測定を合図開始から750ms の間測定記録する。

約1.5s 後、応答スイッチを押す催促を光信号で与える。さらに、実際に信号が発せられたかどうかの回答を色別の光信号で与える。

このような一連の測定を、右図のように、有信号、無信号の割合が約50% になるよう約5〜6秒間隔でランダムに与える。ただし、バックグラウンドのノイズは常に与えておく。 

測定は、適当に休みを入れ、1人の被測定者に約2時間行う。従って膨大な回数のデータが得られるわけだが、、有信号、無信号、及び確信度別に、同じ組み合わせの脳波信号の平均した波形をディジタル処理により得る。

このような計測を、共同研究者2人を含む計5人の被験者について行った。

測定結果

初めに、5人の被験者の確信度レベル別の応答の平均分布、平均正答率を下表に示す。

試行種 確   信  度
1 2 3 4 5 6 7 8
信号有 0.175 0.054 0.047 0.047 0.035 0.039 0.039 0.036
ノイズのみ 0.009 0.021 0.029 0.058 0.050 0.077 0.127 0.158
正答率(%) 95 72 62 45 59 66 76 81

このように、高い確信度で答えた場合は当然正答率が高い。ただ、無信号の場合も確信を持って『信号有り』と答える場合が少数ながら存在し、このときの脳波の反応が興味の対象となる。


次に、ある被験者(Sub-HC)について得られた脳波の測定例を右図示す。他の被験者についてもほぼ同じ傾向の結果が得られた。

図の見方であるが、左列は、『信号有』の場合の脳波で、右は『信号無』つまりノイズのみの場合の信号である。

左の番号は、確信度を示す。図の左右の小さな数字はそれに対応するイベント数(回答数)を示す。すなわち、HIT-1の場合の478は実際に信号を与えた場合に確信を持って『信号有』と答えた場合の数、つまり正答数が478回、FA-1 の10は実際に信号を与えていないにもかかわらず、『信号有』と確信を持って答えた回数である。

回答の種類は8×2=16 通りあるわけだが、これを4つのカテゴリーに分けている。HITは信号を与えた場合に『信号有』と答えた場合(正答)MISSは信号を与えたにもかかわらず『信号無』と答えた場合(誤答)FAは信号を与えていないにもかかわらず『信号有』と答えた場合(誤答)CRは信号を与えていない場合に『信号無』と答えた場合(正答)を意味する。

次に、脳波の見方であるが、図の下にある横目盛りは、合図光信号を加えてからの時間経過をmsec(千分の1秒)単位で示す。

その上に、5μVに対応する脳波電圧の大きさを示してある。

左上隅の波形(HIT 1)の場合について、脳波が示すディップ、ピークの意味するところは、最初に現れる、N1ディップ及び次に現れるP2 ピークは合図の光信号に対する反応であることがこれまでの研究で明らかにされている。そして、最後(350〜450msec後)に現れるP3 ピークが音を検知した(と感じた)場合に現れる信号である。

お気づきの通り、この結果で面白いのは、実際には信号を与えていないのに、『信号有』と確信した場合は(回数は少ないとはいえ)信号を与えた場合とほとんど同じ脳波が生じることである。

脳波は脳の働きを、つまり心の動きを反映するものなので、物理的な刺激の有無は、正答をする割合には影響するものの、人間が音についてどのように感じるかは、物理的な刺激の有無(差)よりも、どう思いこむかによって決まっていることを実験的に示しているものといえそうである。

さて、この結果を、オーディオの音質の差の検知に当てはめるとどういう解釈になるだろうか?

まず、この場合微弱だとはいえ、被験者の検知限を少し上回った物理的差をもつ音を聞かす訳なのでブラインドテストでは有意差有りの場合に相当する。

一方、ケーブルによる音の差などは、あったとしても人間の聴覚の能力を遙かに下回る差しかなく、当然ブラインドテストでは有意差無しという結果になる。にもかかわらず、ケーブルを変えることにより音が激変したと感じる人がいると聞く。さて原因は?