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良い人、悪い人 ―痛覚の特殊性―



渡辺 譲二
職業性疾患・疫学リサーチセンター 特別研究員
医学博士
芝大門クリニック

「この人、良い人なの?悪い人なの?」

おとなのドラマを見て、子供が、そう尋ねることがあります。どっちでもないよ、などと答えると、小さい子は善悪がはっきりしていなく落着かないようです。童話や子どもむけマンガなどは、多くの場合、単純化(二元論的に)されてます。

人間の体にとっての情報にも、良い/悪いのどちらかしか担わないものがあります。生体防御の基本である免疫反応は、ある物質がその個体にとって良い/悪いのどちらかを決めつけることから始ります。

感覚の中でも、痛みだけは、中ぐらいがなくて、痛いか痛くないかのどちらかに分けてしまうようです。痛覚も、防御、危険回避の基本情報という共通点があります。

痛みは、外からの刺激では、触れた、熱い、冷たいが強すぎると感じ、咄嗟に手を引っ込めたりの反応に直結します。

(外からの刺激が無くても痛む、自発痛もあります)。その時は、痛いというだけで、内容的に熱いか、冷たいかは区別できないこともあります。そのような度の過ぎた刺激を侵害刺激と言い、やるべき反応は回避なので、質や程度は、意味が少ないのです。「痛み」を「がまんできない」状態とする定義があるし、半端な状態は痛みとは言えないのです。

痛みはなぜ信用されにくいのか

痛みの訴えは、あまり信用されないことがあります。長期化、慢性の痛みのほとんどは心理的なもの(気のせい)ないしは仮病だという見方をされることもあります。

感覚・知覚はどれも個人的な体験であり、他人には共有できないものです。美味しい、綺麗、いい響き、などと感じ、それを同じ言葉で言い表わしても、他人の感覚・知覚の内容は決して知りようがないからです。

元来、動物にとって、全ての感覚(視、聴、味、嗅、蝕、痛、深部感覚)は、動いたり、危険から逃げたり、エサを獲得したりという自分の行動を適切に遂行するための情報なので、全て個体だけのもので、他人に知って貰う必要はない情報だったわけです。

では、多くの感覚種の中で、「痛み」だけが不当に疑われたりするのはなぜでしょう。痛覚の特徴を整理してみます。

1)
感覚・知覚異常は、「痛み」はプラス、他の感覚はマイナスとして起きることがほとんど。つまり病的な状態は、「痛み」は、「ある」、他の聴覚、視覚などはない(聞こえない、見えない)がほとんど、ということです。逆に、痛みを感じない無痛症という病気、幻聴、幻視、のように無いはずのものを感じる精神症状も、例外としてあります。

2)
閾値(感じる最弱の刺激)が、不安定で、くりかえしの再現性が悪い。
聴覚検査では、聞こえる音の強さは、同じ人、周波数(高さ)で、ほぼ一定です。弱い光が見える/見えないは、暗順応(暗闇への慣れ)時間によって、ほぼ安定しています。味覚、嗅覚、触覚などもです。ところが痛覚は、外的な条件を同じにしても、心理状態によって大きく感じ方が変ってしまうことが多いのです。

3-a)
痛み以外の感覚は、「刺激の強さ」と「感覚器や神経の活動(反応)」の二者の関係が、広い範囲にわたって、なだらかな直線関係にあります。弱い刺激では弱い反応、中、強では中、強の反応が得られます。それが脳に伝わると、外界の刺激の強さを区別できます(例、弱い光から強い光まで、0.1 ルックスの薄暗闇から10万ルクス、真夏の直射日光、まで約100万倍の明るさを区別できる)。痛みでは、定量的な比較ができるような信号変換が最初からあまりありません。

3-b)
痛み以外の感覚は、刺激の強さのさまざまな段階を区別することで、より高次の情報を得ることができます。隣とのわずかな明るさの違いから、眼は、明暗の位置的コントラストを抽出でき、さらにそれから、物の形を知ることができます。かくして、暗闇でも、直射日光下でも(100万倍も明るさが違っても)、文字を見て、同じメッセージを読取ることができます。かすかなつぶやきでも、耳をつんざく大スピーカーでも、同じメロディーを聞くこともできます。

ただ、味覚、嗅覚はあまりそのような性質はありません。

3-c)
感覚は、通常、位置(空間)情報を伴い、しかも極めて重要です。体性感覚(触、温、冷、痛、内臓、深部)では、位置は自分の体の中での位置ですし、視・聴覚は、自分の外の空間での位置を伝えることになります。味覚は、それがあまりありませんが、嗅覚は発達した動物では、源の位置もわかります。さらに、視聴覚、触覚は、感覚される多数の点の相対的関係から、対象の質や関係を知ることができます。どんな手ざわりのどんな形のものを触ったか、どんな形が見えたか、複数の音源の関係やそれが遠ざかる、近寄ってるなどを知ることができます。しかし痛覚では、体のどこという以上の、相対関係などの高次情報はほとんど得られません。

3-d)
痛み以外の、特に発達した感覚(視・聴覚)では、刺激の強さよりも、その関係 から抽出する高次の情報に大きい意味があります。誰が、どんな大きさで発しても「こっちだ!」というメッセージは、その意味が重要です。ぎらぎらのネオンサインでも、かすれかけた鉛筆書きでも、「入り口」という表示は同じ意味の記号です。かくして、視・聴覚は、高等生物では、意思伝達の手段となり、相互にやりとりする記号(話し言葉、文字、身振り)として、「共有」を確信することが可能になったのです。会話が通じ、書いた文章を読取ってくれる相手の、視聴覚の異常を疑うひとは、いません。触覚は意思伝達にある程度使われますが、味覚、嗅覚、は内容を表現することができても、相互の伝達の手段にならない点は痛覚と同様です。

痛みの重要な意味

ここまで述べると、痛みが低級な感覚であるように思えるかも知れません。しかし、痛覚は生きるために最も基本的な感覚です。ある/なしに単純化して、危機回避の反応と素早く直結させる。信号が単純なので、少ない容量(関与する神経の量)で全身に広く分布させるという設計方針のようです。

痛みは、実際面でも、体の異常を検知し、他者(家族、医師など)に身体の不具合状態を伝える最も有用な情報でもあります。それが、信用されないことがある、中には悪用するひともいる、というのは、現代社会の「歪み」、「悲しさ」でもあります。

痛みの訴えに、できるだけ科学的裏づけを

痛みは、ある/なしのどちらか、と前述しましたが、それでも強弱はあり、その評価方法は多数工夫されています。ただし、やはり心理状態に大きく左右されることは動かし難いことです。では、今後、どうすればいいでしょうか。以下に、課題、方向性をあげてみます。

1)
痛みの領域の再現性を検証する、というのが大きい手がかりになりそうです。例えば、頸肩腕症候群での痛みは、個別の点の刺激で引起こされ(圧痛、叩打痛)ますが、その空間的拡がりという別な次元をとりいれることで、その再現性を検証し、客観性をもたせることが可能です。「痛い」という感覚は個人的なものですし、変動もしますが、痛いと感じる部位や領域は安定し再現性が高いようです。

2)
痛覚の原因、背景となる実体(その拡がり)を併せて分析、検査することで、さらに裏づけをとることができるし、痛みの本質に迫ることにもなります。局所の、温度、固さ、血流、酸素飽和度、神経伝導速度、発痛関与物質(乳酸、カリウムイオン、ブラジキニン、セロトニン、ヒスタミン、プロスタグランディンなど)の濃度、動態などです。



社会労働衛生 2003年第 1巻 2号
職業性疾患・疫学リサーチセンター


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