台 江 地 域



(台江市:1873年、ミャオ族最後の反乱を指揮した張秀眉の銅像


ミャオ族の歴史は100回以上にわたる漢民族との戦いの
歴史である。漢民族から追い立てられて、
肥沃な土地からこの山岳地帯の貴州省などに追い込まれた。
最後の戦いは19世紀後半で、以降少数民族の自治が
確立され、この地域の民族自治が確立された。
民族文化は迫害を受ければ受けるほど、
より強固なものに昇華して行く傾向にある。
逆に、教育や、情報化、道路建設、雇用拡大などの太陽政策が
固有の民族文化を急速に崩壊させてゆくのは
何と皮肉な現象か?
この地の近代化を見るにつけ、もはや豊かさは
民族文化の維持さえも困難にさせつつある

(12月24日、25日)

(12月24日、早朝に隆里古城を発って、250km北西の台江市に向かった。台江市は秀眉の出身地でもあり、ミャオ族文化に触れられることを期待して長距離バスに6時間揺られて乗り込んだ。しかし、バスは途中から高速道路に乗っての快適走行に変わり、「これはまずい」と感じたが、予想通り近代化が進み、期待はずれな民族文化探訪の旅となってしまった。)
台江市:秀眉の銅像の広場で、民族舞踊の訓練中 台江市:民族刺繍学校の生徒が刺繍していた
施洞鎮:乾麺を作っている 施洞鎮:乾麺が干されている
施洞鎮:ミャオ族の部落も近代化が進み・・・ 施洞鎮:わずかに残る民族文化の匂い
施洞鎮:大工仕事 施洞鎮:若い女の子も髪に微かな民族色が
剣河:近代建築が民族家屋をすっかり置き換えた 剣河:竹の足場の高層建築が進む
剣河:古い民族家屋が壊されてビルが建つ 剣河:学校は超近代化されている
(もはやこの地には民族文化を感じさせてくれるものはほとんどなくなっている。今まで見て来た南部の民族文化もやがてこんな味気ない「近代化」の波に押しやられてしまうのであろう。我がノスタルジーの終焉の姿を見てしまった。)
次(貴陽・上海)へ
「旅」トップへ戻る
トップ「貴州省(2009)」ページへ戻る