鎮  遠

(14世紀建立の青龍洞、仏教、道教、儒教が三教合一されている)
”鎮遠”は紀元前277年の秦時代に、ここに県が設置された。
その後も重要な軍事拠点として、歴代王朝の県城となってきた。
それらの歴史が寺院仏閣や古民家の建造物・家具・調度品に
今なお息づいている美しい古都である。
街の人口の半数がミャオ族やトン族の少数民族である。
古い街並みと名城賓館ホテル(左) 古い統一の取れた街並み
突き当たりの山に階段で登れる 街はごみ一つ無く清潔
青龍洞がこの街のシンボル 橋上に建てられた三重塔
曲線の美しい青龍洞 青龍洞から橋を見下ろす
中国の建物は屋根の曲線が美しい 青龍洞の中の彫刻物、派手でなく落ち着いた色調
山頂から鎮遠の街を見下ろす 山の奥は鉄渓として美しい流れ
山頂には16世紀建立の府城垣が遠方まで延びる 鉄渓の流れは美しく、清代「儒林外史」にも書かれている
鎮遠の棚田 15世紀に建立された狼煙台(山頂)?
中世に立てられた古民家は今も使われている 坂が多く、曲がりくねった坂道から老人が降りてくる
道上にもテラスが張り出している 門を入った古い中庭は美しく維持されている
古民家の部屋の中、調度品美しい 中庭に昔ながらの薪の釜戸がある
日本人捕虜700人がここ"和平村”に収容されていた 和平村はきれいに保存されている
銅仁へ帰る列車の乗る(9元/100Km) 空港のある銅仁市
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