麗 江:Li Jiang


(4000m級の蒼山連峰を背に、前にジ海を抱きつつ聳える9世紀唐代に建てられた三塔
麗江の200km南に位置する"大理”はペー族の自治州
背後に50kmに及ぶ4,000m級の19の山々を連ね
前面に澄んだジ海抱く風光明媚な唐朝以来の古都
ペー(白)族は、建物や衣装に白色を基調とする独自の色彩文化
を持ち山水如画の風光に恵まれた大理を都としている
中国とインドの交易路の要衝として発展を遂げ、
二つの大国の狭間で独自の文化を維持し続けている
14世紀には日本の僧侶がこの地に仏教の修行に訪れていた
ペー族文化の中心地、大理古城
麗 江 市 街
背後に蒼山と古城市街の古い街並み 街の中心街の北門前の通り
南門から中心の商店街、桜が咲いている 街の中心、"銀座四丁目”交差点
こ街の中心の一番高い塔、五華楼 古城の南側城壁越に蒼山を望む。手前に一塔も。
街の中は観光客で溢れている 共産党プロパガンダ広場は人っ子一人いない
蒼山中腹(2,600m)から大理古城(城壁内)を見下ろす 蒼山中腹の展望台で出されたジ海で採れた貝の焼き物
唐代の建造物三塔 三塔の奥にある崇聖寺
山腹1,000段の階段に建ち並ぶ崇聖寺 崇聖寺の奥の院
蒼山中腹の天龍八部影視城(映画村) 天龍八部影視城のアトラクション
天龍八部影視城のアトラクション 天龍八部影視城のアトラクション
石鐘山石窟と沙渓
                     (麗江から大理への途中の山間の農村風景)

          旅の醍醐味:勘違いとハプニングの連続

 麗江から大理まで200km。海抜2500mの山岳地帯を移動しながらの旅で、今回唯一の旅らしい旅の機会をこのルートに組み入れてみた。日本に帰って一週間ほどして「雲南省の麗江と大理間の山岳地帯で、日本人観光客を乗せたバスが転落し、一名が死亡」と言う記事を目にし、「まあ、あの山岳付近で脱輪したら一たまりも無いだろうなー」と言うのが正直な感想。山間のでこぼこ道をバス・バンなどを乗継ぎ、石窟寺院を見、寒村に泊まってと、久しぶりのスリルに酔った。
 ど田舎で英語は全く通じず”漢字の筆談と推測”に頼る行動は、思いもかけないハプニングの連続で、頭に来たり、危機脱出方法を考え出したりと、スリリングな旅の醍醐味を満喫できた。いくつかのハプニングを以下に記してみた。  
    
1.石窟寺院に閉じ込められた!
 インドのアジャンタとエローラで本格的な石窟寺院を見ているので、「中国の石窟寺院はどんなものだろう?」という好奇心から、一般観光客が訪れない麗江の南100kmの山岳部に位置する石鐘山石窟を訪れるきっかけとなった。途中の剣川までバスで移動し、剣川でバンを雇った(70元:1,000円/日)。でこぼこの山岳道を登って海抜2,600m位の所にある世界最高位置の石窟寺院に到着した。運転手は駐車場で待機し、私一人で石窟寺院までの山道を登った。石窟寺院の見張り番をしているおばさんが入場料を受け取ると、更に上に登って石窟寺院まで案内してくれた。客は私一人なので錠を開けて中に入れてくれた。そこを見終わって上を見ると、更に上に石窟寺院があるので「あれも見たい」と素振りで示したら、そこに行く錠を開けてくれて中に入った。後ろで錠を閉める音がしたので、何か不吉な予感がしたが、管理の為都度施錠するのかな?くらいに思って、そのまま上の石窟寺院を見学した。見終わり、施錠した門の所に戻ってみたがおばさんは見当たらない。大声を出しても反応が無く、10分間程どうしたものかと脱出方法を考えた。このまま石窟寺院に閉じ込められると、運転手は帰ってしまい、今夜は石窟寺院で牢獄生活か?と心配になってきた。錠のかかった3m位の高さの門塀を乗り越えるより脱出方法がなさそうだと気づく。塀の脇の大きな杉の木によじ登り、塀の屋根に飛び移り、塀を乗り越え、内側に飛び降りてやっとの思いで危機を脱出した。下に降りておばさんに会ったらびっくりしていたが、こちらも頭に来ていたので無言でその場を去った。後で分かったのだが、上の石窟寺院の更にその上の山頂経由で駐車場に出る道があった様だ。おばさんはそちらの道を採って帰ったものと思い施錠してしまった様だ。
2.傲慢な日本人、定期マイクロバスを買占め?
 剣川で雇ったバンの運転手には、石窟寺院を観た後で100km先の大理まで行って貰うべく筆談で交渉したつもりだった。しかし、途中でどうも剣川に戻っているような気がしたので運転手に確認してみたら、やはり剣川に戻っているとの事。大理に行きたく、剣川に引返す理由も無いので「じゃ、あと50元追加で払うから、大理に行く途中の沙渓まで行って」と交渉。そのまま車の中で眠ってしまったら、着いた所は沙渓ではなくて、今朝出た剣川のバス・ターミナルに戻っていた。50元獲られた上、そこで降ろされて「騙された」と思ったが、うまくこちらの言うことが筆談で通ぜず、膨れ面で断念。止むなく別の運転手と新たに沙渓行きのバンを雇う筆談交渉をした。一人の運ちゃんが「沙渓まで100元(1,500円)だったら行く」との事。それで了解したら、既に自分のマイクロバスに乗っている先客3人を降ろし始めた。推測するに、現地のお客を数人集めて沙渓に行くよりも、私一人を100元で運ぶ方が得だったのだろう。恨めしそうにバスを降りる人達。事情を説明して、「方向が一緒なら一緒に乗り合わせて行こう」と言いたかったがうまく通じない。乗り合わせすると、私から高い料金が取れないと言うのが理由らしい。結果的に私が高値で買占めてしまったようだが、説明のしようも無く、一度OKしたものをキャンセルもできず、後ろめたさを残しながら沙渓に向かった。
3.今度は民宿でロックアウト!
 剣川から沙渓に着いて宿を探した。沙渓はインドとチベットの交易路で、6世紀頃の”茶馬古道”が残っているとの事で訪れてみる気になった。今は100軒ほどの集落の一部に泥を固めた様な歴史を感じさせる古道が街の中央を横切って1km程延びていた。その古道から横道に朽ち果てた土塀に沿って100m程先に民宿があった。門をくぐってその家の主人と又筆談。一泊20元(300円)で話がまとまった。荷物を部屋に置き、夕食をとりに集落の辻に出かけた。そこの食物屋らしき所に入り筆談でオーダーし、腹いっぱい飲み食いした。そしてほろ酔い加減で宿に帰ると、何と夕食の膳が用意されているではないか!まさか20元が夕食付とは思ってもみなかった。腹いっぱい食べてしまった後なので、どうにも食べられそうにない。主人に筆談で事情を話して謝った。今日は色々な事があったのとほろ酔い加減の為、ホット・カーペットで暖を採っているベッドに横たわったら、すっかり眠ってしまった。気がついたら夜中の12時。50m程離れた外のトイレに用足しに部屋を出てドアを閉めたら、「ガチャ」と音がした。いやな予感がしてドアを開けようと確認したら、何と田舎の民宿なのにオートロック。寒い戸外に今度はロックアウトされてしまった。ここはど田舎なので、12時はまさに真夜中。主人の部屋の前に行って、大声で「ニーハオ!」(あいさつはこの言葉しか知らない)を繰り返した。目を擦りながら寝込んでいた主人が不機嫌そうに起きて来た。又筆談でロックアウトを説明すると、そのまま私の部屋を訪れて、ドアの横の窓を押し開けて、手を入れてドアロックを内側から外してくれた。何の事はない、ドアはオートロックでも、窓には鍵が無かった。きっと他の客も同様なロックアウト事件があって、面倒だから窓の鍵を取り外してしまったのだろう。

雲南省の田舎、段々畑 2,500mの山岳地帯、遠く梅里雪山(6,740m)
大理への道、山で刈った柴を背に 切立つ崖に仏教寺院が建てられている
石窟寺院の一つ 絶壁の崖に造られた石窟寺院
2,600mの石窟寺院、ここの上部に閉じ込められた この門塀を乗越えて脱出
6世紀以来続いているインド・チベット間の茶馬古道 茶馬古道沿いに古い店も並ぶ(沙渓)
民宿(右)前の石畳道  民宿の中庭と部屋(食事は部屋前のテーブルで)
沙渓のメインストリート 一人で酒盛りと夕食、この後宿で夕食の用意が!

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