99-8 南会津の秘峰                                          **

            荒 海 山     1,581m


 福島側では荒海山、栃木側では太郎岳と呼ばれ、県境に位置し荒海太郎山の別名がつけられている。 野岩鉄道・会津高原駅の南西に位置し、登山口まで7Kmのアプローチを要する奥深い山である。 登山口の近くには戦後20年間八総鉱山という銅、鉛、亜鉛を産した鉱山が廃坑となって残っている。 最盛期には2,300人もの人々が生活をしていたとの事であるが、今は全くその面影すら残さなず、30年前に廃坑となった鉱山跡だけがわずかにその昔日の佇まいを残している。

  燃えるような山々の紅葉の合間をぬって荒海川が流れ、その渓流の先に荒海山が聳える。今が紅葉の最盛期で、「一週間も経つとすっかり色褪せてしまう。」との地元の方の言。南会津の秋は短く、紅葉と共にその短い秋を謳歌するかのように山々が黄に赤に燃えて、荒海川に錦を映し出している。荒海山山頂は北は阿賀野川に、そして南は鬼怒川にと合流し、それぞれ日本海と太平洋へ流れ込む源流の分水嶺の頂点でもある。 頂きからは、北に七ガ岳、西に帝釈山会津駒、南西に男体山白根山、東に那須連峰と360度の眺望が得られる。 鉱山跡からの標高差は750mあり、尾根沿いの登山道は2つの急登があり、各所にロープが配された、結構険しく体力を要する中級の上のコースといえる。


日時:   1999年10月31日(日) 曇時々晴 
参加者: 新井、太田、小林、小矢野、中村、野崎夫妻、林、平井、平山さ、諸橋、吉田、山下
交通:  行き:東武・幸手(5:57発)―>会津高原(8:34着)タクシー・バン(8:45発)―>鉱山跡         (9:00着)
    帰り:会津高原(18:39)?>幸手(20:45着)


登山コース: 約7時間半  (除く昼食時間) :  28,600歩

 今回は新井さんと平井さんの初参加を得、13名の賑やかな山行となった。 今年は紅葉が遅れているので、「南会津は紅葉のピークであろう」との期待通り、野岩線の周囲の山々は朝もやの中、我々の訪れを「一面の紅」で出迎えてくれた。 会津高原駅から登山口までは約7Kmの行程だが、うまくタクシー・バンがキャッチできて、鉱山跡までの1時間余を稼ぐ事ができた。

(鉱山跡〜荒海山山頂)  3時間15分(9:00〜12:15)

 荒海川の渓流に沿って鉱山跡から約2km程荒れた林道を進む。「荒海山登山入口」の標識に従い右に折れて沢沿いに登山道に入った。 前日の雨で多少水嵩の多い沢を飛び石で渡り、緩やかな沢沿いの道を紅葉を愛でながら登って行く。 砂防ダムを過ぎて沢の合流点まで進み、そこから沢を離れて急登となる。これから上は水場が無くなりそうなので、小林さんが傍らの湧き水を年期物のアルミ水筒に詰める。 1時間程の急登の後、尾根の鞍部に出る。尾根の北側下方に遠く舘岩村側が開ける。 遠方に、秋の日差しがスポットで当たった場所だけが、飛び抜けて鮮やかな紅葉を輝かせながら島の様に浮かび上がっている。 ここから荒海山頂まで120分の標識が出ている。「今回のパーティの脚力だったら1時間半で登頂できるのではないか?」と思われた。

 尾根はやがて急登となり、紅葉を愛でる余裕も無くなり、所々に現れる岩場ではロープを便りによじ登る場面が連続して現れてきた。登山道もかなりぬかるんでいて滑りやすい。初参加の平井さんにとってはかなり厳しい登山の条件となったが、日ごろのランニングで鍛えた足腰で、難関を次々とクリアーして行く。 しかし顔は真剣だ。せっかくの好天も頂上に近づくに従って雲の中に入ってしまい、眺望の素晴らしいはずの山頂も雲の中で視界ゼロ。 悪戦苦闘の末、結局標識通り120分がかかってしまった。山頂の左手下に南稜小屋が現れる。 気温の下がった山頂は眺望も無く風と寒さで、記念撮影だけで、早々に南稜小屋に入った。 小屋は3畳ほどのスペースなので、内と外のパーティに分かれての昼食となった。(写真:紅葉を満喫しながら)

(山頂〜会津高原駅)  4時間20分 (13:10〜17:30)

 360度の眺望が得られるはずの山頂が、あいにくの雲の中の為に何も見えず、心残りのままの下山となった。登りの道をひたすら下る。 朝のタクシーが鉱山跡に迎えに来てなかったので、更に5Kmmの道のりを、駅のそばの「夢の湯」に向かって黙々と歩く事になった。


(本日のハイライト)

心を高揚させてくれる「紅葉」とは?:

 今この1ヶ月の間、紅葉前線の北上に連れて、紅葉の程度の差こそあれ日本列島どこでも紅葉が観られる。それぞれの地域の「おらが紅葉」を競う紅葉月間とも言える。運悪く、家の庭の楓の赤で、今年の紅葉を見納める人もおれば、幸せにも360度の溢れるばかりの深山の紅葉を堪能し、心の印画紙にしっかりと紅葉を焼き付けた人まで千差万別だ。 我々は幸いにも後者に属し、紅葉の素晴らしさに感銘しつつ、人生の意気に感じて今日と言う日の充実感を満喫できた。

 インターネットで「紅葉」を検索してみると、78件が検索された。その内77件は紅葉の美しさ、鮮やかさ、鑑賞地などの紹介で、たったの1件だけが紅葉の仕組を述べていた。殆どの日本人は、紅葉を情緒的に捉えているようである。移り変わる四季に細やかな情感を表わす日本人は極めて情緒的な民族のようである。 情緒面で紅葉を語ってみても、先人の域に到底到達できそうもないので、ここではインターネットで仕入れた物理的な「紅葉」の側面に付いて紹介します。「紅葉」は、落葉植物の葉が紅色に色づく事をさします。 秋になると木々は冬支度を始め、葉と枝の間に離層ができ、水や養分を運ぶ導管が閉ざされます。すると葉緑素が壊れ緑色が消えて、今まで隠れていた黄色い色素のカロチノイドや赤い色素のアニトシアニンなどの色素が一時的に浮き出てきます。しかし、導管の閉ざされた葉は、1週間もするともはや枝に取付く力もなくなり、落葉として落下してしまいます。 木も冬眠に入る事になります。

 しかしこれだけでは世の中味気なく、粋を求めて「紅葉狩り」に出かける人もなくなってしまう。やはり、紅葉は情緒的に捉えるべきだ。「秋の夕日に照る山紅葉、・・・・・、松を彩る楓や蔦は、山の麓の織る錦。」と口づさみながら!

「登山」トップへ戻る

トップページへ戻る