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  03.10.28   知らなかった。  
 

 初めて知った。

 80年代中盤に
 ニューウェーブ・パンク旋風を
 東京に巻き起こした
 有頂天のケラ。

 ここんところ話題の劇団ナイロン100℃(主宰者の
 ケラリーノ・サンドロヴィッチ。

 同一人物だったんだ。

 才能あるひとは、何やっても、うまくいくものなのだね。

有頂天『ピース』 ナゴム系アーティストのオムニバス

岸田戯曲賞受賞作「フローズン・ビーチ
NYLON100℃ 22nd session 「no art no life
第1回監督映画『1980』(2003.12-公開)

ケラの遺言』『ナゴムの話

関連記事1/2/3

  03.10.26   シャーナーメ  
 

 Argo Ethnic Series, Music from Iran(PolyGram:POCL-4456)を聴く。

 3曲目まで来てビックリ。ヘビメタがあるんだよ。ギターはないんだけど、打楽器バックに、ヘビメタ張りのボーカル。曲名調べると、『シャーナーメ』。解説によると、体育館で体操するときの伴奏に使われるらしい。リズムの感じといい、メロディーの動きといい、発声といい、ヘビメタなんだなー、エレキギターさえくっつけたら。

 この辺に、ヘビメタの元ネタがあった、なんてことはないのかねぇ。


Argo Ethnic Series, Music from Iran

 

 

  03.10.20   バリ島の音楽  
 

 前から、バリの音楽が評判になっていたのは知っていたが、こんなにすごいとは思わなかった。民謡にありがちな、土着のネチネチ感がなく、透明で純粋で爽やかに蒸留された音楽。こんな音楽がつくれるのはきっと、大変に豊かで食うのに困ることなく、音楽だけに没頭できるような、まさに楽園天国な島だったんだろうなあ。

 同じような旋律が、すこしずつ変化しながら繰り返されていく感じが、ハウス、テクノ系の音楽に通じているような。


Argo Ethnic Series, Music from Bali』POCL-4445

 

関連リンク1/2/  
  03.10.19   トルコ軍参謀直属オスマン軍楽隊。
 
 

 あの有名な、オスマントルコの軍楽隊が、本物のトルコ行進曲(「阿修羅の如く」だっけ?)を演奏してパレード。思ってたのと違って、優雅。右に左に向くステップで、軍楽隊はひらひら舞うかのように進んでゆく。現代の西洋式の軍楽隊のように、ピシッ、パシッ、と動くのではない。このあたりが、優雅さをボクに感じさせるらしい。

 世界最強の陸軍だったころ、軍楽隊のドラの音が地平線の向こうから聞こえてきただけで、欧州の兵隊は逃げたもの少なくなかった、などとよくいわれるが、敵が逃げてくれるなら、こんな風に優雅に進軍できるんだろうなあ、などと勝手に想像。

※関連リンク
トルコ大使館(原宿)
オスマントルコ時代の軍楽

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  03.10.11  

Herbie Hancock,
Maiden Voyage 『処女航海』

 
 

 ハービー・ハンコック『処女航海』をはじめて聴く。ボクは、ハービー・ハンコックを、いままでずっと避けてきた。うまいけど、つまらない、という印象があったから。しかし、『処女航海』。素晴らしい。

 演奏についてはともかく。

 ライナー・ノーツをぱらぱらみていた。そしたら、神保町にかつてあったジャズ喫茶「響」のマスターの言葉の引用を見つける。

 そう。ジャズ喫茶「響」。神保町交差点から、水道橋方向に行き、最初の路地を御茶ノ水方面に進んで数軒のところにあった。靖国通りを軸にして「さぼうる」と線対称な位置、といったほうがわかりやすいだろうか。

 高校生のボクは、ちょくちょく出かけては、あそこに座って本を読んでいた。トイレの落書きが、60-70年代を思わせた。あれはバブルのころで、とにかく世の中どこも軽かったのだが、ぼくは、薄暗いあそこで、古本屋で買ったかび臭い岩波文庫の古本を読んでいた。友人も結構、あそこに行っていた。僕の周辺では、有名だった。みんな大人の世界への敬意と憧れをもってあの空間に足を踏み入れていた。このあいだ初めてカウンターに座った、ついにマスターと一言交わした!などと自慢げに語るやつもいた。

 一年の浪人を経て、ボクは大学に入った。大学で同じクラスだったやつが、中野の「くらしっく」に連れていってくれたので、お返しに、神保町の「響」に連れて行くことにした。しゃべりかたも頭の中も永六輔みたいなタイプで、なんだか、60-70年代風、文化的教養水準も高そうな口ぶりなので、ジャズ喫茶はちょうどいいだろうと思った。しかし、これが失敗だった。

 かれは、最もやってはいけないことをしてしまった。彼は、大きな声で、しゃべりだしたのだ。小声で遠慮がちに話すのなら、まだよい。大きな声で、議論をぶつのだ。ジャズを聴きに来ていた周りの席の客が帰り始めた。ボクが、婉曲に、たしなめると、驚いたことに、彼は怒った。しゃべっちゃいけない喫茶店なんてあるか、喫茶店はしゃべるところだ、とかなんだか。何にもわかっちゃない...。ただ独善的なだけ。いや、彼を連れてきたボクが、彼を見抜けなかったボクが、そもそも悪い。

  わずかの期間だった。あのときから「響」が閉店するまでのあいだは。

  まさか、あの件だけが原因だとは思わないが、原因の一つになったのではないだろうか。

  ぼくは、神保町の「響」という名を聞くたび、いたたまれない気持ちに襲われてしまう。いまだに。

 彼はその後も永六輔口調で、自分のことには気も留めず、「最近の若者は...」「ワカモノじゃなくてバカモノじゃ」などといい続けていた。まったく…。

 そういう彼も、最近は早稲田で非常勤講師などしているらしい...。

ハービー・ハンコック
処女航海

HarbieHancock/MaidenVoyage

・関連リンク
 『響』は湘南で復活していた。1/2/ 
 『響』は十条でも復活? 1/2/3/  
  そのほか 1/2/ 
 『響』マスター大木さんの著書:
   『JAZZなんだかんだ
   『ジャズ・ジョイフル・ストリート
       ―神田神保町「響」流ジャズ鑑賞法

 

  03.10.05   前言撤回  
 

三軒茶屋でお買い物

ピカソproduced by ドンキホーテで、山崎パン一斤\50(当日賞味期限。でも、冷凍庫に放り込めば大丈夫。トーストで食べれます)。

西友で「にんべんつゆのもと1L」\378。
セキゼンで卵10ヶ\98\、タカラチュウハイ500ml\98-。
確かに、いろいろな店を回って、掘り出し物を探せば、いくらでも安くあがる。

こりゃあ、ハナマサに、それほど人が集まらないのも、無理はない。

むしろ、ハナマサは、激戦区三軒茶屋ではしんどいので、競争の少ない都心部に進出した、と見たほうが、いいのかも。
見栄っぱりってわけでもないわけだ。スイマセン。

 

 

 

 

  03.10.04   四谷図書館のラウンジ  
 

四谷図書館に返却に行ったのだが、整理休館中。

無駄足にしてはもったいないので、四谷図書館の3フロア上(10F)にあるラウンジ(モスバーガー)を見学。

いや、これは、すごい。景観で東京一のファーストフードでは。

これだけでは、やっぱり、無駄足っぽいので、タカシマヤ隣の紀伊国屋の洋書コーナーへ。

知り合いっぽい人を見かけるが、人違いかもしれないし、お疲れ気味で「声かけてくれるな」的オーラが漂っているし、こちらもヒゲ面サングラスの怪しい風貌かつ所持金200円なので、声をかけない。

 

 
03.10.01
  肉のハナマサ@三軒茶屋  
 

麹町店でも赤坂店でも南麻布店でも。

肉のハナマサは裕福な日本人、欧米人で満員盛況。

麹町店では高級スーツに身を包んだエリート・サラリーマンが妻に携帯電話で問い合わせながらお買い物。

南麻布店では近所に大使館があるせいかフランス人がお買い物。店の前には、ベンツ・BMWが並びます。

赤坂店ではアークヒルズや大使館住宅にお住まいの米国人駐在員風の裕福なご夫妻がお買い物。(だって、帰りたまたま、方向が同じで、アークヒルズのほうに彼らが入っていったの見たし)

このあいだなんか、赤坂店で買物して、外交官ナンバーの車で帰った欧米系のご婦人まで見かけたんだぞ。

なのに!どういうわけだ!三軒茶屋のハナマサは、ガラガラじゃないか!信じがたい。
三軒茶屋界隈、どうみたってビンボーそーなやつばかりなのに。

見栄っぱりなのか?
きっと、こういうおろかな見栄をはってるからビンボーなのではないだろうか?
三軒茶屋に下宿してるキミ!見栄を張るのをやめて、ハナマサで節約したまえ。六本木ヒルズに住めるよ(ウソ)。

(つづく)

 
 

  (c)Tirom!,2001-.
     

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