ハービー・ハンコック『処女航海』をはじめて聴く。ボクは、ハービー・ハンコックを、いままでずっと避けてきた。うまいけど、つまらない、という印象があったから。しかし、『処女航海』。素晴らしい。
演奏についてはともかく。
ライナー・ノーツをぱらぱらみていた。そしたら、神保町にかつてあったジャズ喫茶「響」のマスターの言葉の引用を見つける。
そう。ジャズ喫茶「響」。神保町交差点から、水道橋方向に行き、最初の路地を御茶ノ水方面に進んで数軒のところにあった。靖国通りを軸にして「さぼうる」と線対称な位置、といったほうがわかりやすいだろうか。
高校生のボクは、ちょくちょく出かけては、あそこに座って本を読んでいた。トイレの落書きが、60-70年代を思わせた。あれはバブルのころで、とにかく世の中どこも軽かったのだが、ぼくは、薄暗いあそこで、古本屋で買ったかび臭い岩波文庫の古本を読んでいた。友人も結構、あそこに行っていた。僕の周辺では、有名だった。みんな大人の世界への敬意と憧れをもってあの空間に足を踏み入れていた。このあいだ初めてカウンターに座った、ついにマスターと一言交わした!などと自慢げに語るやつもいた。
一年の浪人を経て、ボクは大学に入った。大学で同じクラスだったやつが、中野の「くらしっく」に連れていってくれたので、お返しに、神保町の「響」に連れて行くことにした。しゃべりかたも頭の中も永六輔みたいなタイプで、なんだか、60-70年代風、文化的教養水準も高そうな口ぶりなので、ジャズ喫茶はちょうどいいだろうと思った。しかし、これが失敗だった。
かれは、最もやってはいけないことをしてしまった。彼は、大きな声で、しゃべりだしたのだ。小声で遠慮がちに話すのなら、まだよい。大きな声で、議論をぶつのだ。ジャズを聴きに来ていた周りの席の客が帰り始めた。ボクが、婉曲に、たしなめると、驚いたことに、彼は怒った。しゃべっちゃいけない喫茶店なんてあるか、喫茶店はしゃべるところだ、とかなんだか。何にもわかっちゃない...。ただ独善的なだけ。いや、彼を連れてきたボクが、彼を見抜けなかったボクが、そもそも悪い。
わずかの期間だった。あのときから「響」が閉店するまでのあいだは。
まさか、あの件だけが原因だとは思わないが、原因の一つになったのではないだろうか。
ぼくは、神保町の「響」という名を聞くたび、いたたまれない気持ちに襲われてしまう。いまだに。
彼はその後も永六輔口調で、自分のことには気も留めず、「最近の若者は...」「ワカモノじゃなくてバカモノじゃ」などといい続けていた。まったく…。
そういう彼も、最近は早稲田で非常勤講師などしているらしい...。 |