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  03.09.18   Chemical Brothers, Come With Us.  
 

 ああ、これ、最高。特に、It Began in Afrika.

ん。でも、後半、だれるなあ。んー。

Chemical Brothers
Come With Us

Chemical Brothers- Come With Us

  03.09.14   パンク修理  
 

ようやく体調回復。自転車屋にパンク修理を依頼しようかとも思ったが、自分で治すことに決めた。

 で、今日は、自転車メンテhow-to本\1000を渋谷Book1stで、チューブ補修パッチ4枚とゴム糊などの入ったパンク修理セット\250-,タイヤレバー三本セット\320-を渋谷東急ハンズで購入。

あと、ポンプを買えば、自力でパンク修理可能!でも、ポンプは単価が高いので、もう少し、最安値店を探してみよう。

 しかし、あれだねぇ。自転車屋の利益率、めちゃくちゃ高いねぇ。パンク修理の材料は、おそらく、パッチ1枚とゴム糊だけで、この原価は60円程度。これに、道具として使う300円ほどのタイヤレバーと、千円程度のポンプの償却費用を足して、十分ほどの作業の手間賃を加えて、700円とか800円になるとは思えない。やっぱり、自分でやるべし。

* * *

03.09.15

 六本木のドンキは、\680-でフロアポンプを売っていたような記憶が。それで、まず、六本木へ。行ってみると、確かに\680-で売ってはいるものの、英国式バルブ専用だった。米仏バルブに対応したものは、\980-。

 渋谷ハンズでは、全バルブに対応可能なフットポンプを\780-で売っていたような気がして、六本木をあとに。徒歩で渋谷へ。閉店数分前でハンズに飛び込んだものの、フットポンプは\980-だった。しかも、米仏バルブ非対応の様子。フロアポンプで千円以下のものは置いていない。

明らかに、六本木のドンキより条件が悪い。で、買わずにハンズを出て、渋谷のドンキホーテへ。ここは、フットポンプ\780-と、英米仏バルブ対応のフロアポンプ\980-の二種類。買うなら、英米仏対応フロアポンプ\980-だが、結局、六本木のドンキと同じ値段。ただし、六本木のは聴いたことのないメーカーのものだったのに対して、渋谷のドンキは松下電器製。じゃあ、この辺で手を打つか。ハンズでは、同じ松下電器製のフロアポンプ\1500くらいだったし。

 徒歩で帰宅。フクラハギが筋肉痛。

* * *

03.09.16

 あー、だめだー。マニュアル本どおりタイヤレバー2本を差し込んで、グイッとやって気がついた。この自転車、タイヤとチューブが分かれていない。一体だ。と、いうことは、穴にパッチを当てて修復、ってのは無理。

 チューブレスタイヤって、高級車専用だと思っていたのだけど。まさか、ウチの無印良品MTB風が、チューブレスとは?

タイヤのパンクくらい自分で治せる男になりたい、そんなササヤカな男のコの夢は、あっという間に、散ったのでした。

* * *

03.09.17

 無印良品に自転車のパンク修理依頼。30分後、見積もり結果について電話がくる。

 チューブが切れているので、チューブを変えなくてはならないとのこと。

で、見積もり額なのだが。
まず、チューブ代\590-。安い!
ところが、
技術料\1600-。
え?そんなに?

 やっぱり、自分で直せたほうがいいよなあ。直し方訊いておこう。

* * *

03.09.20

 修理完了との電話連絡が無印良品からあったので、思い切って、タイヤのタイプ、直し方、故障状態などについて、質問してみた。店頭だと、レジの女の子の対応になって、修理してくれた方と直接お話できないし。

 すると、チューブレス・タイヤではないとのこと。

 きっと、暑い中、パンクしたままで走ったので、チューブがタイヤとくっついたのだろう。

 今度パンクしたら、何が何でも、自分で修理するのだ!いっぱしの男子になるのだ!

自転車修理マニュアル本 
困ったときのMTBメンテナンス』(エイ出版社、¥600)
MTBメンテナンス完全保存版』(エイ出版社、¥1143)

  03.09.11   画鋲テロ  
 

 六本木のドンキに買い物に行かなくてはならないのだが、躊躇した。なんたって本日は米国同時多発テロ事件二周年のanniversaryですからねえ。米軍関係者の多い六本木で何かあったら、やだもん。六本木ヒルズ森タワーの六本木通り向かいには、米軍ヘリポートがあるしねえ。あそこに押し入って米軍ヘリをジャックして、テロ二周年記念で向かいの森タワーに突っ込めばいいだけだからねえ、簡単だよなぁ、あそこの場合...なんて、勝手に膨らました想像におびえる自分。

 でも、まあ、いいや、そんなことないだろう、と、今日も自転車で元気にドンキホーテへ買い物に行った。問題なく、買い物を済ませた。再び自転車に乗った。10メーター走ったところで気づく。前輪のタイヤの空気がゆるい。よくみると、ガビョウがうまい具合に刺さっていた。なんで、こんなところにガビョウが?

暑い中、パンクした自転車をフーフー言いながら一生懸命でこいで、どうにか帰宅。帰宅時に家の外壁をみたら、ヤモリがいてびっくり(こんなところにヤモリがねぇ。はじめてみたよ)。しばらく勉強して、夕食の少し前、なんだか、右の胸の調子が悪い。大きく息をすると、体の内側で風船が今にも割れそうに圧迫してくる感じ。

 自転車のタイヤに加えて、俺の肺もパンクか。やっぱり今日は出かけなければよかった…。

 しかし、あんなところに画鋲落ちているものかねえ。故意に落としたか、僕のいない間に故意に刺したか?テロっぽい。

 

 

 

 

  03.09.09   親子同等化の法則  
 

生まれたばかりの子供とその親には、親/子というだけの違いを感じる。でも、年寄りの親子には、親/子というだけの違いを感じない。なぜだろう、と思う。彼らを観察している僕との年齢差だろうか。

思うに、親子の年齢差(親−子)は一定でも、親子の年齢比(親/子)は縮小してゆくということと関係があるのではないだろうか。

子を生んだ時の親の年齢を a と置く。
そして、現在の子の年齢を t とおく。
すると、現在の親の年齢は ( at ) 歳。
親子の年齢差は当然、永久にt歳だが、
親子の年齢比

は、時の流れにのって、移り変わってゆく。

子供が生まれた直後、つまり、子の年齢tが限りなくゼロに近いときは、親子の年齢比は限りなく大きい。
正確に書くと、

しかし、しだいに、この比は小さくなってゆき、
親が子を生んだ年齢に子供が達すると、
親子の年齢比は2まで落ちる。
すなわち、

そして、仮に、この親子が死なずに生き続けるとすると、親子の年齢比は、1に向かって限りなく落ちていく。

もちろん、死なない親子はいないので、親子の年齢比が1になることはありえない。だが、親子の年齢比は、1へ転がり落ちる過程につねににあることは確かである。

一年の経験が誰にとっても同等であると仮定するならば、親子の年齢比は、親の人生経験が子の人生経験の何倍あるのかを意味している。そうならば、この計算結果は、以下のように解釈できよう。

 〜 生まれたばかりの子供にとって、想像できないほど無限の経験と知識をもっているのが親だが、成長するにつれ、子供にとって親の人生経験はそれほどでもなくなり、子が親の年齢に達するときには、親の人生経験は自分の経験のたかが二倍に、そして、年をとるにつれ、親子の経験と知識は、限りなく同等になっていく〜

と。

もしも、一年の経験が人によって異なるならば、そして、親よりも子の方が豊かな経験を得たならば、人生の終盤に至って、子の経験が親の経験を追い越す可能性もないとはいえまい。この辺が、年寄りの親子に、親子というほどの違いがない理由ではないかと思うのだが、どうだろう?

 

 

 

 

 
03.09.03
   
 

一番最後に死んでゆく蝉。
彼を取り巻く世界は、
彼の眼に、
どのように
映るのだろう?

 

 

一番最後に死んでゆく蝉

     

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