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  03.08.26   全然アル  
 

―「全然」という言葉は否定の強調に使われるのであって、肯定の強調には使わない。しかし、「全然ある!」などと言うケシカラン若者が最近増えてきた。日本語の乱れにあきれるばかりだ。

なーんていう評論家が多いけど、こんなの見つけた。

「…場合においてのみ、全然選択の自由を有するのである。」
「 全然自然の必然的法則以外に存する者である。」
           (西田幾多郎『善の研究』p139,145、初版は明治44年)

 肯定文で使ってますねー。「全然」。
 それとも、直後の名詞を修飾する形容詞?「全然」な選択、とか、「全然」な自然とか。

後日談。 
 9/20午後。NHK第一放送の山根基世の番組を聴いていた母親によると。
 社会言語学者が出ていて…。
 「全然」は、大正くらいまでは、否定の強調以外にも使っていた、らしい。
 漱石先生も使ってるんだってさ。
 では、いったいいつから、どのようにして、「全然」は否定でのみ使わなくてはいけない、などという言説が流布していったのだろう。知りたい!これぞ、言語や倫理の政治。

西田幾多郎『善の研究

 

 

  03.08.xx   終わりの始まり・始まりの始まり  
 

 午後、共産党の区議会議員が回ってきて、港区コミュニティバスの実現を求める署名をしてくれといってきたという。 

 「わたしは必要だとは思わないので。」という母親に対し、彼は「困ります」。そして、なんだかんだ言われて、面倒はやだなーと思う母親は、納得せぬまま、署名したという。

 母親は、結構共産党に投票してきた人なのだが(護憲派だからだかなんだかで)、「もう二度と共産党には選挙でいれない。いったいなんだと思ってるんだか。押し売りと一緒じゃない?わたしは必要ないって言ってるのに。」とのこと。

港区コミュニティバス

 

 

  03.08.21   冷夏で風邪  
 

日曜から頭がガンガンして、三日ほど寝込んでいた。熱はないが、風邪らしい。この寒さだからねー。 
しかし、寝込んだおかげで、じっくり読書できた。よかった。

  03.08.16   大田記念美術館  
 

 浮世絵の傑作を収集した美術館。ラフォーレ原宿のすぐ裏。客の半分は欧米人。

 作品に関して。思っていたより、断然すごい。フランス印象派は浮世絵から影響を受けたといわれるが、たしかに、似たところがある。日本で印象派の絵に人気があるのは、自分でも気づかぬうちに、浮世絵の感覚を求めて、そのような要素のある印象派にひきつけられているいるからかもしれない、なんて思うのだ。

 なにより驚かされるのが、構図の奇想天外さ。日本橋の風景画を描くのに、橋の欄干の隙間から見えた風景を書いてみたり、日本橋を渡ってくる大名行列を描くのに、大名行列そのものは書かず、太鼓橋のてっぺんに、先触れの棒の先端が見えてきた瞬間を描いてみたり。

 こういった構図の斬新さは、現在の日本の漫画や写真にも相通ずるところがあるように思うのだが、どうだろう?

東京・原宿  太田記念美術館

 

 

 
03.08.01
  国立近代美術館  
 

 はじめて、国立近代美術館へ。たいへん素敵な場所でした。常設展は学生130円と、これまた、すてきなお値段。

 常設展の展示内容も、いろいろ考えさせられるものでした。歴史のなかに埋もれ、忘れられていった精神を発掘した気分。昭和初期に、あんなモダンで革命的・前衛的なカルチャーがあったとは知らなかった。

MOMAT 東京国立近代美術館

     

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