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2004年 6月の雑記 |
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2004. 6/1(火) プロテスト・ソング ![]() 先日ネットで、タイマーズの問題ライブというのを見た。タイマーズとは、RCサクセンションのボーカル、忌野清志郎氏が結成したバンドである。ライブは、1989年に当時の人気音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出た時のものである。 番組は生放送だった。タイマーズは突然、リハーサルとはまったく別の曲を演奏しはじめた。 「FM東京 腐ったラジオ FM東京 政治家の手先 なんでもかんでも放送禁止さ」などという、FM東京をさんざんにののしる内容の歌詞だった。あげく、完全に放送禁止である四文字熟語まで歌詞の中で叫んでしまったのだ。スタジオは騒然となった。生放送だからどう隠しようもない。 僕はこの放送を見ておらず、こんなことがあったのも知らなかった。 ネットで調べて、真相が判明した。忌野氏の親友の曲がFM東京で放送禁止処分となったことに抗議するための行動だったらしい。 忌野清志郎は、とかくこういう行動を起こす人である。RCサクセションのカバーアルバム「カバーズ」が発売されたのは、このライブ事件の前年だった。外国の曲に反核・反戦をテーマにした歌詞をつけた作品を集めたもので、当初はレコード会社から発売中止を言い渡され、急きょ別の会社から発売されたといういわくつきの作品だった。 これ以外にも、パンク調「君が代」を歌ったり、宗教を非難してみたり、ととかくお騒がせな歌手である。それでもいまだに活躍を続けているところはすごい。すごいとは思うのだが。 こういう行動自体は、簡単にできてしまう、と思うのだ。曲の出来うんぬんではなく、戦争反対とか核反対、と訴える歌を作って歌う、というのは、言ってしまえば、単なるポーズに過ぎないのではないか、と思えてしまう。本当に戦争や核、原発に反対する意思があるのなら、もっと現実的な行動を起こせるはずだ。政治や企業に働きかけたりすることのほうがよっぽど効果は上がるはずだ。 そういうことをせずにただ、”歌を歌う”。 なんか、カッコつけてるだけに思えてくる。 それに、ただコレがおかしい、アレは間違ってる、と叫んで騒ぎ立てるだけなら、日本の低俗なマスコミと変わらない。原発反対、と簡単に言うが、原発のおかげで我々の生活が大いに助けられている側面は絶対にあるはずだ。手放しで賛成することはできないかわりに、単純に反対することもできない。現実世界においては、子供のアニメのように、絶対善のヒーローと絶対悪の悪者とには物事を分けられない。 僕は、忌野清志郎というミュージシャンは大好きだ。曲制作の能力も、ボーカリストとしての魅力も、日本の音楽界でずば抜けていると思う。それでも最近、彼の言動が幼稚なものに思えてならない。 2004. 6/2(水) あの 9.11 ![]() 5/30の雑記に書いた佐野元春氏は、9.11同時多発テロが起きた日、一夜のうちに曲を書き上げたという。その曲は売り物用ではなく、発表当初は公式サイトから無料でダウンロードできるようになっていた。佐野氏はアメリカに住んでいたことがあり、ニューヨークに友人もいるようだ。だからこそ彼は大きなショックを受け、曲を書く気にもなったのだろう。 いっぽう、長渕剛氏もおなじように、テロに関する曲を書いた。でも僕は、2002年6/23の雑記でそのことを批判した。いかにも何かを訴えていますよというポーズに嫌気がさしたのだ。しかもそこで繰り返されるメッセージはありふれた陳腐なもので、僕の心のどこにも響きはしなかった。 これは大事なことだからはっきりと書いておきたい。 僕は、2001年9月に起きたあの同時多発テロで、とくに何のショックも受けなかった。 連日の報道で、我々は大きなショックを受けました、というコメントが流れた。でも僕は、勝手に僕の気持ちを語らないでくれ、と思っていた。 ニューヨークが大騒ぎになるのはわかる。自分たちの町に飛行機が墜ちて、なじみのある大きなビルがなくなれば、衝撃は大きいだろう。さらに、ニューヨークに知人のいる人にとっても事件の意味合いは大きかったと思う。知人が巻き込まれていないかに気を病み、流されるニュースを食い入るように見ていたに違いない。 でもなぜ、ニューヨークに何の関係も思い入れもない、行ったことさえない日本人が、あの事件でショックを受けることがあるのだろうか。戦争勃発を予感し、恐怖したという人もいるかもしれない。でも僕は、ほとんどなにも感じなかった。思いやりの心がない、危機感が足りないとそしりを受けるかもしれない。それでも僕の頭に浮かんだのは、あの貿易センタービルが燃えている、そういえば旅行に行った時に登ったなあ、という野次馬的考えでしかなかった。 世界中で毎日間断なく人は死に、建物は壊されている。それらの全てについて同じように悲しんでいる人はいない。なのに、同時多発テロには、多くの人が多大な関心を持ち、涙し、怒った。なぜか? 死んだ人の数が多かったからか? 壊されたのが大きな建物だったからか? 一人しか死なない事件なら悲しくはないのか? 壊されたのが小さな建物だったなら、大きな建物にくらべて悲しみも小さいというのか? 違う。ほんとは違うはずだ。なのに、人々の気持ちは、報道によって作り上げられてしまった。多くの人が死に、大きな建物が壊された”重大な”事件なのだというマスコミや偉い人の意見に”右へならえ”し、自分でも気づかないうちに自分の気持ちを作り上げたのだ。本当はたいして思い入れもないくせに、みんなが騒ぎ立てるもんだから、「ああ、ここは怒っとかないとまずいんだな」というポーズを取ったのである。 もちろん、あの事件で本当にショックを受けた人もいる。そういう方を非難するつもりは全くない。同時に、ショックを受けなかった人を非難するつもりもない。物事をどう受け止めるかは、人それぞれで違っていいはずだ。 人が死ぬことは悲しいことだ。でもそれは他の事件でも同じように言えることであって、あの事件だけを取り立ててピックアップする理由は僕にはない。事件をどう受け止めるかは、自分がそれとどの程度関わりがあるかで変わってくる。当たり前の話だ。 たとえば僕にとって重大な事件とは、僕に関係の深い事柄のことだ。知らない人がどれだけ多く亡くなろうと、僕の知人が一人亡くなることのほうが衝撃が大きい。前にも書いたが、命の重さには違いがある。僕にとっては、見知らぬ他人の命よりも自分の親の命のほうが重い。友人の命のほうが重い。でもそれは、誰だって同じはずだ。そこをごまかした議論はいくら言葉を重ねたって、しょせん実のない嘘にしかならない。 だから僕は、あの事件のことをさも大事なことのように語る人をあまり信用しない。それはたいてい、「嘘」か、あるいは考えの押しつけである。あの事件のことをちゃんと考えろ、などと詰め寄る人があれば、「あなたにとって大事なことが、僕にとって同じように大事だとは限らない。そしてそれは、逆の場合もあるでしょう」と、胸を張って答えたい。 2004. 6/3(木) 野鳥の宝庫 ![]() 川の工事は、一段落した。2000年の9月にみまわれた集中豪雨以降、川のあちこちで護岸工事が行われており、僕がいつも通っていたコースは半年ほど前から寸断されてしまっていた。通行禁止の場所は、いったん堤防を降りて迂回し、ふたたび堤防を越して自転車道へ戻ることになるので、非常に面倒だった。 そこがようやく通れるようになり、さわやかな空気を切って快調にペダルを漕いだ。冬にたくさん見られた水鳥たちはもう、ほとんどいなくなった。わずかにカルガモの姿があるくらいで、道沿いはムクドリの天下だった。 猫のいなくなったネコ公園を通りすぎ、いったん自転車道をはなれて大通りを越す。しばらく走ったところで、川の中に黄色い足を立てている鳥を発見した。双眼鏡をのぞく。ゴイサギである。 ●ゴイサギ(「Yachoo! オンライン野鳥図鑑」より) ここで見るのは二度目だ。アオサギやダイサギにくらべ、いくぶん小さい。体勢を低くして川面をにらみ、餌をねらっているようである。 しばらく走って、平針の田園地帯に出る。田植え前の田んぼや畑が広がり、景色が一変する。そして、見られる野鳥も一変した。 たんぼのあぜ道を分け入ると、中型の鳥が、地面に数羽とまっていた。ケリである。 ●ケリ(同) この鳥は、一週間ほど前に別の場所で初めて見た。その時はハトだと思った。地上にいると遠目からはハトに見えるのだ。ところが、飛び立つと違いは明白だ。白と黒の鮮やかな翼を広げ、悠々と上空を舞う。甲高い声が独特で、何羽か連れだって飛んでいる一帯に入ると、一種異様な雰囲気がある。僕は、同じように上空を鳴きながら飛んでいた、タンザニアのアフリカハゲコウのことをちょっと思い出した。 田んぼをしばらく観察していると、双眼鏡を持ったおじさんと出会った。一目でバードウォッチャーだとわかったので、声をかけてみた。おじさんは近くに住む方で、時折ここまで歩いて鳥を見に来るのだと言った。このあたりには、セッカやコヨシキリなどがいるらしい。 ●セッカ(同) ●コヨシキリ(同) 僕もとあるサイトで、それらの鳥がいるのを知っていた。今日ここへ来たのもそのサイトを見たからである。そして、一番見たいと思っていたのは、キジだった。僕がその話をするとおじさんは、「ああ、ここらには何羽か降りてくることがあるねえ。あれ、あそこ! あれ、そうだよ」と言う。急いで双眼鏡を向けると、なんと、今話していたキジが、田んぼの脇の茂みに姿を現しているではないか! ●キジ(同) もちろん、動物園では見たことはある。しかし、野生のは初めてだ。興奮しながら、忍び足で近づく。でも、すぐに茂みの向こうに隠れてしまい、たどりついて探しても、もうどこにも見あたらなかった。 おじさんはそれからも、いろんな話を聞かせてくれた。東海豪雨以降、鳥の数がずいぶん減ってしまったこと、この時期には雛を連れたカルガモがいるが、イタチにやられてしまうこと、しろかきの時期になればアマサギもやってくること、などなど。話をしながら、川沿いに出て一緒に歩いた。 ●カルガモ(同) ●アマサギ(同) すこし歩いてから僕が自転車を取りに戻ろうと振り返ったとき、おじさんが、「あ、いたよ!」と声をかける。見ると、今話していたカルガモの親子がすい〜と泳いでいるではないか! この時期、テレビのニュースでもよく映像が流れるが、まさにあの通り、親鳥のうしろにくっついて、一列に並んで泳いでいる。かわいさ爆発である。 さらに上流に向かって歩く。昔はカワセミの巣があったという場所を教えてもらった。以前は岩壁になっていて、すき間に巣があったということだが、今はコンクリートで固められてしまい、その面影はない。しかし、話している最中に一羽、カワセミが一瞬だけ視界を横切った。おじさんは「カワセミだ!」と叫んだが、僕にはうまく視認することができなかった。 ●カワセミ(同) おじさんと別れ、自転車でもうすこし上流まで上ってみることにした。それでも日差しは強く、すこし走ったあたりで疲れ、橋の欄干にもたれて休んでいた。橋の上からは、川べりの茂みが見える。なんとなく「もこっ」とした物体が目に入った。鳥かなあ、でもたぶんハトだろうなあ、と思いながら双眼鏡を向ける。 驚いた。なんとそれは、キジだった。真っ赤な顔が、一目でそれとわかる。大阪の万博公園にある「太陽の塔」の顔を、赤く塗ったようにも見える。急いで橋のそばから茂みに近づく。キジは僕の近寄る気配を敏感に感じ取り、すぐに茂みの奥へと逃げ去った。近寄ったと思った頃には、やはりどこにもその姿はなかった。それにしても今日二回目。このあたりでは珍しくない鳥なのだろうか。 帰り道は、田んぼの中の道を通った。あいかわらずケリが舞っている。ここでは、地面に降り立ってきれいな声でなく小さな鳥を発見した。グレーの地味な鳥なのでわかりにくいが、さっき教えてもらったコヨシキリか、あるいはヒバリだったと思う。 ●ヒバリ(同) 満足して、家路につく。往きに見つけた場所にあいかわらずゴイサギがいた。さらに別の場所で、もう一羽のゴイサギを発見。今度は、アオサギと並んで水中に立っていた。 ●アオサギ(同) こうしてひさしぶりの鳥探索は、大収穫に終わった。天白川をだいぶ下り、もうすぐ家につく、という地点まで戻ってきて、最後に別の鳥を発見。コチドリだ。これも、見るのは初めてだった。もう、おなかいっぱいである。初めての鳥をこんなにたくさん見られたのは、ここ最近ではなかったと思う。昼過ぎにでかけたのに、もう日が傾いていたのだった。 ●コチドリ(同) 2004. 6/4(金) 一本の電話から ![]() 前車を売却した買い取り会社の営業さんだった。雑記に書いたとおり、いろいろな不安を抱えつつも売却を決めた会社である。不安が頭をよぎった。 相手は口ごもるような言い方で、「じつは……」と切り出す。 「来た! やはりなにか問題があったか!?」と、身構えた。 売却に問題はなかった。愛知県警の交通機動隊からの通知が届いた、という知らせだった。3月の頭に、国道のとある場所で速度違反を犯した、というような内容らしい。 オービスである。今まで一度もやられたことはなかったから、設置してあるのを見てもそれほど気にとめてはいなかった。 記憶をたぐってみる。たしかにその日のその時間、書かれている場所を通った覚えがある。その国道はバイパスになっていて、100キロ程度は当たり前のように出す場所だった。 車は既に売却先の会社名義に変更されていたため、通知もそちらに届けられてしまったのだ。 間違いないと思います、と相手に伝え、すぐに通知書をこちらに送ってくれるようにお願いした。相手はなぜか申し訳なさそうな声を出し、わかりました、と言って電話を切った。 その日の夜、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、さっきの電話をくれた営業さんで、なんと、わざわざ家まで届けに来てくれたのだった。礼を言い、通知書を見る。電話で聞いたとおりの内容が書かれてあり、4月末に、北区にある交通機動隊に出頭するように、となっていた。 すぐに、どういう手続きになるのか、ネットで調べてみた。ネズミ取りで捕まった場合ならその場で青切符が切られ、罰金支払い用紙を渡されて終わりだ。しかし今回はそれではすまされないようで、簡易裁判所に行って略式手続きを行わねばならないらしい。罰金はその時に確定するのだが、だいたい10万円ほどかかる、と書いてある。 なんでまた……、と肩を落とす。オービスに撮影されたのは、車を手放すわずか10日ほど前である。最後の最後につまらないことをしてしまった、と悔いが残った。 それでも、言い逃れはできそうになかった。よほどの幸運がないかぎり催促は続くものらしく、果ては逮捕ということにまでなってしまう。面倒だし出費も痛いが、ここはあきらめて素直に従うしかないと思った。 ということで、しばらくこの速度違反顛末記をここで紹介したいと思う。 2004. 6/5(土) 交通機動隊 ![]() 北区の三越配送センターのそばだった。入り口がすこしわかりづらく、一度通り過ぎてから引き返す。駐車場にはラインが引いてないためどこに停めようか思案していると、係員らしき女性が近寄ってきて、ここに停めてください、と場所を示される。素直にしたがい、車を停めて建物の中に入る。 免許証の住所変更とか騒音被害の相談などで、警察署の中には何度か入ったことがある。雰囲気はほぼそれと同じで、人がいるにもかかわらず、やけにがらんとしている印象である。通知書を持ってきた人はこっち、という標示のとおりに2階に上がり、奥にある受付まで歩く。愛想よく受付をしてもらうと、しばらくお待ちください、と言われ、待合室を示された。 その部屋は煙草の煙で霞んでいた。廊下のベンチにも人は座っていたので、僕もそちらに座ることにした。廊下をはさんで受付の前に待合室があり、廊下のつきあたりに個室のブースがいくつか並んでいる。待っていると一人ずつ名前が呼ばれ、その個室に入って話をする。相手はもちろん警察官であり、よってこれは立派な”取り調べ”だ。 個室からは、声が筒抜けで漏れてくる。僕のようなスピード違反なら別にどうということもないが、ここに来ている理由は人それぞれだ。「よくわかんないんでえ〜」と、間延びした声を出す若い女性もいれば、やけに笑ってばかりのお兄さんもいる。事故の人に対しては口調も異なってくるもので、「いやあ、無免許でこういう事故を起こすとねえ」などと、諭すような重たい警察官の声も聞こえてくる。 20分ほど待たされて、僕の名前が呼ばれた。指定されたブースに入る。相手は50歳を越えたくらいの、柔和な感じの男性だった。 「それではこれから調書を取りますので」 と切り出される。まさに取り調べである。とはいえ、じたばたしても無駄だから、なるべく素直に従い、反省していることを示そうと最初から決めていた。 まず、オービスで撮られた写真を見せてもらう。白黒だが、車のナンバーと僕の顔が、それはそれははっきりと写されている。普通、オービスで撮影されるとフラッシュが光り、それとわかるらしいが、僕にはその時の記憶はない。 なんにせよ、これでは言い逃れはできない。ここに写っているのはあなたで間違いないですね、と聞かれ、はい、間違いありません、と答える。 写真には、スピードも印刷されていた。99キロ、と出ており、60キロ制限の道だから39キロオーバーである。機械に温情があるのかどうかは知らないが、あと1キロ多かったら罰金の額が変わるところである。 なんのための運転だったか、どこから帰る途中だったのか、などの質問に続き、スピード違反を犯した理由を聞かれる。このあたりは、まさに裁判を想定しての手続きだ。スピード違反を犯したのがたしかにこの人であると確認すること、そしてその理由を確かめることが、取り調べの主な目的なのである。 そうは言っても、通常の犯罪とは違って聞くほうも事務的である。普通、スピード違反に明確な理由などない。それでももし、親が危篤で病院に急いでいたとか、ストーカーから追われていて逃げていたというような理由があれば、許されたり罰金が減額されたりするのかもしれない。 いやあ、そんな、理由があるわけじゃないですけど……、と僕は苦笑いをし、相手も苦笑いで答える。 「まあ、飛ばせる道ですし、流れが速いから知らないうちにスピードが出ますし」などと僕が言うと、 「でもそれは理由にならないからね。そういう道でもスピードを守って運転する義務が、我々にはある」と、お題目のように警察官は言った。はい、と首をすくめてみせる僕。それでも調書には理由を書かなければいけないようで、「帰宅を急いでいたため、でいいか?」と聞かれ、うなずく。 最後に警察官が、書き上げた調書を読み上げ、間違いがないことを確認する。僕はうなずき、調書に署名して印鑑を押す。 あとは、今後の手続きの説明を受け、裁判所に行く日時を決めるだけだった。これは、一定の期間内で自由に決めることができる。それから、「免停の処分のほうは別途で通知書が来るからそれを待つように」と言われ、取り調べは終了した。 2004. 6/6(日) ちょっと説明 ![]() オービスに引っかかって通知が来た場合、大きく分けて次の二つの処分を受けることになる。 (1)刑事処分……罰金 たかが交通違反といえども、重大なものは立派な罪となる。殺人や窃盗と同じで、前科もつく。罪を犯した者には、制裁を加えなければならない。制裁とは罰金を払うか刑務所に入るかのいずれかだが、交通違反の場合は普通、罰金で処理される。つまり、法律を破る悪いことをした報いを受ける、ということだ。従って、通常の犯罪と同様、裁判所で裁かれて刑が確定し、検察庁により刑が執行される(罰金が徴収される)。 ただし、裁判は正式なものではなく略式手続きで進められ、すぐに刑(罰金額)が確定する。もちろん本人が望めば、正式な裁判を受けることもできる。 それから、「前科」とは言っても、就職や賃貸契約など、通常の生活において不利益になることはない。交通違反の前科者は膨大な数になるし、公務員など特定の職業における前科条件でも、交通違反によるものは除かれるという条件が付いている。 (2)行政処分……免停(免許停止処分) 重大な交通違反を犯した人間をそのまま町で運転させておくと、また何かやらかすかもしれない。そこで、一定期間免許の効力を停止したり、あるいは完全に取り消したりという処置をほどこす。つまり、今後の運転での危険を防止するための処置である。これは、運転免許を発効した公安委員会により行われる。 つまり、罰金と免停というのは、扱いも別であり、それぞれが独立して実施される。だからどちらが先になるかはわからない。 呼び出しや出頭場所など実際の執行手順においては、各都道府県により若干の違いがあるようだ。昨日書いた通り、僕は最初に交通機動隊に呼び出され、そこで調書を取られた。これで裁判の日が確定し、同時に公安委員会に連絡が入って行政処分の手続きが開始されたのである。 それからついでに、よく聞く「赤切符」「青切符」という言葉についても説明しておこう。 (1)赤切符 今回の僕のような、30キロ以上の速度超過、あるいは無免許運転、酒酔い運転などの重大な違反、具体的には、点数において6点以上の違反に適用される。紙の色が薄い赤色をしているため、こう呼ばれる。上記のとおり、刑事処分と行政処分の両方を受けることになる。 (2)青切符 30キロ未満の速度超過や駐車違反などの軽微な違反に適用される。点数において3点以下の違反である。紙の色が薄い青色をしているため、こう呼ばれる。 青切符の違反では刑事処分を受けず、即座に所定額の反則金の支払いを命じられる。言うなればこれは、刑事処分を行政側が肩代わりする格好になっている。 これを読んで、4〜5点の違反はどうなるんだと思われるかもしれないが、そういう点数の違反は存在しない。免許書き換え時にもらう資料などの点数表を見てみると、すぐにわかる。 (参考のため、愛知県警のサイトにある違反点数一覧をリンクしておく。この表の中で、「物損事故の場合における措置義務違反(あて逃げ)」が5点となっているが、これは事故を起こした場合に、事故そのものの点数にさらに付加されるものである。したがって合計すると当然6点を超えることになり、赤切符確定となる) なお、こちらのページのQ3によれば、オービスが作動するのは、一般道で30キロ以上の速度超過、高速で40キロ以上の速度超過の場合らしい。つまり、オービスによる速度違反の通知が来たら、赤切符はまぬがれないということになる。 2004. 6/7(月) 裁判所 ![]() 庁舎は最近建てかえられたものらしい。真新しい建物をながめ、入り口を探していたら、僕と同じような空気を漂わせた男性が後ろから近づいてきた。たぶん同じように交通違反でここに呼ばれたのだろう。地図を確認する僕を追い越し、建物に沿って反対側へと歩いていく。僕もそのうしろについていく。 入り口を発見し、中に入る。受付がいくつかあってわかりづらく、赤切符を持って来た人はこちら、と書いてあるのをみつけ、奥へ奥へと進む。 しかしたどりついた果てにはエレベーターがあるばかりで、しかたなくエレベーターに乗り、2階で降りる。そこには債権者がどうこうという表示があり、人もいない。明らかに違うと思い、もう一度一階に戻る。 なんのことはない、受付は入り口入ってすぐのところにあった。さっき見た表示は僕の思い違いだった。 赤切符を差し出すと、すぐに受理される。横長に置かれたベンチに座り、呼ばれるのを待つ。 見渡せば、若い人が目につく。そのほとんどが携帯に見入っていて、待合室は静かだ。裁判所とは言っても、いわゆる法廷はここにはなく、みかけはごく普通の事務棟である。 それでも、非日常の香りは確かにした。さっき僕が入りかけた債務関係の受付と間違えたのか、「借金かえすのはここか?」という大声が急に聞こえてびっくりしたりする。 さらに、うなだれた中年男性が、奥から歩いてくる。彼に寄り添って歩く立派な身なりの男性は、おそらく弁護士だろう。二人が通り過ぎる時、話している内容が耳に入る。 「免責が決まれば楽になりますからね」 「……はい」 男性が力なくうなずく。 笑えない現実だ。いろんな立場の人がいるんだなあと、改めて思う。 10分ほど待たされて、僕の名前が呼ばれた。 入った部屋はかなり大きかった。中にあるベンチで、またしばらく待つ。交通機動隊と同じく、パーティションで仕切られたブースがいくつか並んでいるが、こちらのほうがずいぶん広くてきれいだ。目の前のブースにはブラジル人らしき若い男性がいて、向こう側に座った女性係員が言い聞かせるような口調で説明をしている。彼は無免許運転らしい。今後の手続きがどうなるのかが話の中心だった。椅子にだらしなく腰掛け、男性はよそを向いている。 すぐに名前が呼ばれ、僕もブースの一つに入る。この部屋はつまり、検察官の取調室だ。警察の作った調書をもとに、ここでふたたび検察の取り調べを受ける。つまり僕は、”送検”されたのと同じことになる。 交通機動隊で受け取った赤切符には、略式手続きの説明が書いてある。通常の裁判ではなく略式手続きを受けることに異議がなければ、出頭する前に署名捺印をせよ、となっていたので、僕は事前にそうしておいた。 検察官は穏やかな人で、やさしく僕に話しかけてくれた。略式手続きで異論はないことを確認すると、すぐに話は終わった。1時間ほどで罰金額が確定します、2階に上がってお待ちください、と告げられる。 2階のベンチには、あふれるほどに人がいた。まるで、病院の待合室そのままの風景だった。4列くらいに並んだベンチが同じ方向に向いており、その先にいくつか窓口がある。刑が確定した人は窓口の一つに呼ばれ、罰金の額を告げられる。赤切符をもらって隣の窓口にいき、現金があればそこですぐに支払い、帰ることができる。まさに病院の会計窓口、処方箋窓口とそっくり同じ見かけだ。 この造りには驚いた。てっきりまたブースに分かれているのだと思い込んでいた。 これまでの取り調べでは、いちおうのプライバシーは守られていた。それがここでは罰金額まで丸聞こえで、待っている全ての人間の視線にさらされながら自分の判決内容を知り、罰金を払うことになる。僕のようにスピード違反の人ばかりではないため、20万、30万という金額が遠慮なく言い渡される。 じつはひとつ、確認したいことがあったのだ。赤切符には、罰金を支払うかわりに労役場の作業で償うこともできる、ということが書いてあった。1日5000円として、必要な期日をそこで過ごせば、罰金を支払わなくて済むのだ。 ネットで調べたところによると、労役場とはつまり、拘置所のことである(都道府県によって違いはあるかもしれないが)。それから作業とは、封筒を作ったりするようなごく簡単なものらしい。しかし、”通い”ではない。拘置所に入れられているのとほぼ同じ扱いで、そこに”監禁”されるのだ。たとえば3万円の罰金だとすると、1日5000円換算だから6泊7日の監禁となり、翌朝解放される。 僕は、今なら時間には余裕があるので、この労役をやってみてもいいかなと思った。そこでさらにネットで調べてみたが、労役の実態というのはなかなか出てこない。実際に体験した人というのは少ないのだろう。それでも、労役の体験を本にして出版した人はいた。「交通違反ウォーズ!」という作品である(AMAZONでの紹介はこちら)。 書店で探し、立ち読みしてみた。それによると、作業自体は本当に簡単なもので、中での生活もそれほど厳しいものではないようだ。ただ、私物は基本的に持ち込み禁止なので、中で好きな本を読んだり、書き物をしたりということは難しい。本は希望すれば、置いてある官本のうちから選んで読むことはできる。 名前の代わりに番号で呼ばれることに抵抗はない。部屋は個室で、食事等の受け渡し用に小窓が開いている。日中は横になったりすることも禁じられているのが少々辛いところだ。また、収監時のチェックで尻の穴まで指を入れられる、という噂もどうやら本当のようだ。 拘置所の様子は「刑務所の中」という漫画にも詳しく書かれている(AMAZONでの紹介はこちら)。この作品はお薦めだ。 というわけで、労役場の作業で代償にすることが本当に可能なのか、聞いてみようと思っていたのだ。ただ、待っている人全員が見ているこの場所で聞くのはためらわれる。どうしようか、これならさっきの検察官の取り調べの時に聞いておけばよかった、などと後悔が頭をもたげる。 しばらく窓口の様子をうかがっていると、現金の持ち合わせのない人は、別の窓口で説明を受けるようだ。これは廊下の先を奥へ回り込んだあたりにあるらしく、そこなら人々の視線も避けられる。念のため、と10万円を持ってきてはいたが、とりあえず持ち合わせがないことにして、そちらで聞いてみようと思った。 やがて、僕の名前が呼ばれた。 罰金額、7万円也。 ネットで調べて見当をつけておいた通りの金額だった。予定どおり、現金がない、と告げて、別の窓口まで歩く。 聞いてみると、労役で支払うのは可能だということだった。作業内容はやはり封筒を作ったりする簡単なものらしい。どうするかはあとで考えて連絡すればいい、と言われ、わかりました、と答えて僕は振り込み用紙をもらい、帰路につく。 2004. 6/8(火) もうすぐ ![]() サッカーのヨーロッパ選手権だ。ワールドカップと同じく4年に一度の祭典で、ワールドカップの合間の年に開かれる。試合のレベルはワールドカップと同等とも、それ以上とも言われる。これまで2大会見てきたが、その評判に嘘はない。 サッカーの強豪国は、ほとんどがヨーロッパに集中している。ワールドカップとはつまり、ヨーロッパ列強国+ブラジル+アルゼンチン、という大会だと言ってしまってもいい。とくに最近のワールドカップは、出場国が増えたせいで国ごとのレベル差がありすぎ、試合も多くてだらける。そのうえ、地域ごとに出場国数が制限されるから、ヨーロッパの強い国も出られなくなってしまう。2002年の日韓共催大会では、僕の応援するオランダが出られず、おかげで僕のテンションは上がらずじまいだった。日本なんか出なくていいから、ヨーロッパのチームをもっと見たいと心底思った。 その点、このヨーロッパ選手権では、16チームが本大会に出場できる。レベルも揃ったチーム同士がライバル心むきだしで争うため、好試合になりやすい。人々の関心も高く、優勝国は多大なる栄誉を手に入れることができる。 もちろん僕が応援するのはオランダである。ワールドカップに出られなかったぶんも含めて、暴れ回ってもらいたい。次に応援するのはポルトガルだ。豊富なタレントをそろえ、魅力的なサッカーを見せてくれることを期待したい。 2004. 6/9(水) 免停講習 ![]() 当日、平針にある交通安全教育センターにおもむく。免許書き替えのたびに来る運転免許試験場の隣にある建物で、こっちの建物は何をするところなんだろう、といつも思っていたら、疑問は解けた。ぜんぜんうれしくないけれど。 免許停止は、手続きが行われるこの日から適用されることになる。僕の場合、39キロオーバーで6点の違反だから30日免停となり、希望者は講習を受けることで最大29日までの期間短縮ができる。講習料は13800円で、たいていの人はこれを希望する。30日くらいなら乗らなくてもなんとかなるかも、という気持ちはあったものの、何事も経験だと思い、講習を受けることにした。 受付で通知状を渡すと、講習を受けるかどうか尋ねられる。「講習は受けますよね?」という、受けることが前提で問いかけられる言葉である。 別の窓口で講習料を支払い、免許証もいったん預けて講習室に向かう。途中に売店があったので、売り切れる前に、と弁当を買っておく。 講習とは、免許書き替え時に行われるようなせいぜい1時間程度の簡単なものを想像していたら、朝の10時に始まって終わるのは午後5時という、みっちり一日しぼられるスケジュールなのだった。1コマ50分の講義が、午前中2コマ、午後に3コマあって、最後に試験を行い、免停期間が決まる。順番に何をやったか、紹介しよう。 ・第1時限(10:00〜10:50) まずは、書類作成。今日の手続きに必要な書類のいくつかに住所氏名などを書き入れる。教官が説明し、そのとおりに書く。じつにゆったりとした雰囲気だ。受講者の中には外国人もいて、教官は彼らに親切に書き方を教えている。 それから今日の予定と、試験結果による免停期間短縮の説明を受ける。試験は40問で、不正解数により、短縮期間が以下のように決まる。 0〜6問…29日 7〜9問…27日 10問以上…25日 6問までの間違いであれば29日短縮で、免停は1日だけ(すなわち、この日だけ)になり、さきほど預けた免許証を受け取って翌日から運転できる。ただし、それ以外の結果だとこの日に免許証を受け取れず、後日取りにこなければならなくなる。ただ、教官いわく、試験はごく簡単なものだからよほどのことがない限り全員が29日短縮になる、ということらしい。ちなみにこの日の受講者は91人であった。 さらに、適性検査とやらをやらされる。「前に遅い車があるとイライラする…<はい><いいえ>」「狭い道では対向車に道を譲る…<はい><いいえ>」などの項目がずらりと並んでおり、「はい」か「いいえ」のいずれかをマークする。これにより、運転の安全度がわかるという。ばかばかしいと思いながら、素直に回答する。ちなみにこの結果は、免停期間の決定になんの関係もない。 あとは、愛知県下の交通事故件数などの話があり、予定時間より早めに講義は終了した。 ・第2時限(11:00〜11:50) ビデオを見る。安全運転の注意事項を、実際の映像で紹介するというものだ。その中でひとつびっくりしたのは、オートマチック車の急発進事故をふせぐための方法として、左足ブレーキが勧められていたことだ。もっとも、ビデオのナレーションではなく、登場している一人の専門家の意見としてだけれど、こうした運転方法が他でもない免許試験場の講義で紹介されるとは思わなかった。それほどに市民権を得ているのだろうか。 第3時限以降については、後日に。 2004. 6/10(木) 免停講習 続き ![]() ・第3時限(13:00〜13:50) 2本目のビデオを見る。今度は、免許書き替えでもおなじみの、悲惨な交通事故のお話である。けっこう僕はこれが好きで、しかも観たあとには、ちゃんと運転しようと思ってしまう素直な僕である。 ・第4時限(14:00〜14:50) この時間は講義室を離れ、運転シミュレーターでの講習となる。シミュレーターとはつまり、ゲームセンターのレースゲームのようなもので、運転席の前にモニターが付いた機械である。ここで、様々なケースにどう対処するかを実際にハンドルを握って習うのである。 90人の受講者は番号順に3班に分けられ、第2〜4時限で、交代でこの講義を受ける。僕は64番だったので、最後のこの班に入れられた。 部屋にあるシミュレーターは16台のため、さらに2つのグループに分かれた。僕は先に乗るグループに入り、指示された機械に向かう。 座席に座ると通常の車と同様、シートの位置を調整し、シートベルトをしめる。ただしバックミラーはなく、モニターの中にコンピュータ画面として映し出される。 ハンドル、計器類、シフトレバー、サイドブレーキなども、通常の車と同じである。シフトはオートマチックだ。 左手前方には上下左右の矢印ボタンと「決定」ボタンがあり、最初にこれで自分の年齢や性別などを入力する。それが済むとエンジンをかけ、シフトレバーを動かしてサイドブレーキをおろす。 まずは、練習である。ガイド音声が、席のそばにあるスピーカーから流れる。スピードを40kmに上げてください、次の交差点を左折してください、というような指示がされる。やはり、慣れないものだからうまく操作ができない。とくにスピード感覚がつかめず、ブレーキが遅くなる。 練習が終わると、左折巻き込み、サンキュー事故など、項目ごとの運転講習が始まる。それぞれの項目は1分ほどで終了し、画面も消えてしまう。そのたびにシフトを「P」に入れ、サイドブレーキを引いてエンジンまで切る。すると、今の自分の運転が、画面にプレイバックで映し出される。 それからすぐに次の項目が始まり、またエンジンをかけてシフトを動かし……、というのが延々と繰り返される。なかなかにせわしなく、焦って操作を間違えそうになる。 僕は最初の項目で、右折時に直進車の影にいた二輪車とぶつかってしまった。ぶつかると派手な音がして、まわりに響く。さらに、次にこの機械に乗る人がすぐ後ろで見ているので、とても恥ずかしい。それでも、僕がぶつかると別の機械からもぶつかる音がいくつか聞こえたので、すこしほっとする。 以降の項目では、衝突こそなかったものの、車を脇に寄せて止める時に歩道にこすったり、飛び出した自転車の直前で急ブレーキを踏んだりなど、成績は思わしくなかった。 自分の回が終わると、後ろに座っている人と交代する。ここからだと、別の機械に座っている人も見えるのでおもしろい。僕と交代したのはまだ若い男性で、「23歳」と入力していた。彼もなんとなく僕の視線が気になるようで慎重に運転していたが、僕と違う項目でやはり衝突事故を起こしてしまった。 斜め前に座っているおじさんがなかなか面白くて、しばらく注目してしまった。彼は最初、操作がうまくいかないのか、スピードを出せと指示されてもなかなか出せず、ずっとのろのろと20kmくらいで走っていた。かと思えば、次の項目では急に70kmぐらいで走り出し、やっぱり止まりきれずに衝突していた。 と、今度は右斜め前方に座っていたおじさんが「すみません」と手を挙げた。スキンヘッドで、ちょっと花村萬月似の強面のおじさんである。 「どうしましたか」 教官が尋ねる。 「気持ち悪いー」 おじさんは答えた。 「じゃ、もういいから、隣の部屋で待っていなさい」 と教官が言う。たしかに、揺れる画面は酔いやすいので体調が悪くなるかもしれないという注意は、最初に受けていたのだ。 両グループの講習が終わり、コンピュータで印刷された運転結果を渡される。僕は、A〜Eの5段階のうち、B(上から2番目)だった。各項目ごとに、自分がどういう運転をしたのかが詳細に書かれている。右折時にぶつかったところと、夜間の運転で注意が足りなかったところで減点されたようだ。 ・第5時限(15:00〜15:50) ひたすら教科書の勉強である。最初に渡された「ルールとマナー」「安全運転ガイド」という2冊の中から、試験に出るところをピックアップして説明を受ける。もろに、試験のための勉強である。教官側もそれを承知してやっている。 長くなったので、試験結果は次回に。 2004. 6/11(金) 免停講習 さらに続き ![]() 5時限の講習をすべて終え、僕は試験がはじまるまでに、これまで習ったところを一通り読み返してみた。2冊の教科書のうち、今日の講義でまったく触れられていない部分があるが、これらは出題はされないのだろう。 4時になると教官が壇上に立ち、机の上は筆記用具だけにしてください、と告げる。別の教官が問題用紙と答案用紙を配り始める。 ここで、この試験がそれほど厳密なものではないとわかることがあった。たいがいの試験であれば問題用紙は伏せて、または表紙付きで配られ、合図があるまで見てはいけない。それがこの時には、とくにそうした注意はされなかった。 問題用紙はソフトビニールケースに入れられ、両面に問題が書かれている。どうやら使い回しらしく、いつ印刷されたのかわからないような文字が読みとれる。問題用紙を見て、「これ、やってないよー」とか、「わっかんねえ」と、隣同士でしゃべる声が後ろの席から届く。教官は気づいているだろうに、何も注意しない。 用紙が行き渡ったところで、試験開始となる。時刻は4時7〜8分あたりで、教官は、「それでは、試験は25分までとします」と言う。意外に時間が短い。17〜8分で40問を解かねばならない。すこし焦りながら、問題に取りかかる。 言われたとおり、教えられたそのままのような問題が続く。それでもところどころ、すんなり回答できない問題や、教科書をきちんと覚えていないと解けない問題がでてくる。また、今日やらなかったから出題されないと判断していた範囲が、しっかり出題されていた。高速道路や二輪車に関する設問である。ちょっと驚いたが、それでも常識問題レベルである。時間を気にしながら回答を続ける。 ところで、気になったことがひとつ。 机には受講者二人ずつが並んで座っていて、隣の人の進み具合はなんとなくわかる。若い男性で、僕よりも明らかに解くスピードは遅かった。問題は両面にあるので、僕が先にそれをひっくり返して後半の問題に入り、しばらくしてから隣の人もひっくり返した。 僕は、こういう試験において大事なのは、いちど回答を終えた問題をもう一度しっかり時間をかけて確認することだと思っている。いくら簡単な問題だとはいえ、うっかりミスもあるし、回答する場所がずれている可能性だってある。僕はふつう、ひっかかった問題についてもとりあえずスピードを落とさずに回答をし、一通り終わった時点で、じっくりとそれを最初から見直していく。 ところが、横に座っていた彼は、僕が見直している最中に回答し終えたようで、なんとそれをろくに見直しもせず、僕より先にそそくさと提出してしまったのだ。これには驚いた。 じつは今年の2月にも、とある試験を受けた。その時にもまったく同じように、隣の人が僕より解くのが遅かったにもかかわらず、見直しをせずに先に提出していた。 自分の行動で自分の運命、というと大げさだが、もたらされる結果が明らかに向上できるのに、それをやらないのは僕には不思議でならない。じっさいこの時、僕は問題のひとつを無回答のままにしてあることに気づき、慌ててそれを埋めたくらいだ。 文章などでも、原稿用紙数枚のうちで3つも4つも間違いをする人がいる。仕事で使う書類や、ネット上の文章などでも見受けられる。たぶん、見直しをやらない人というのは案外多いのだろう。 僕は、「試験問題は、回答し終わったあとに必ず見直さなければならない」という規範に基づいて行動しているわけでもなんでもなく、ただそうしたほうが自分に得になるからそうしているだけだ。それは他の人にとっても同じことが言えるわけで、それをやらないというのは僕にはちょっと理解しがたい。だって、ささいなミスで免停期間が長引いたり、試験が不合格になったりするのは、本人が一番イヤなことのはずだろうに。 そういうわけで僕は、制限時間ぎりぎりまで時間を使い、一通り見直しを終えて提出した。91人の受講生のうち、残り15人くらいに入っていたと思う。 さて、ここからが不思議な話である。最初の講義の時に聞かされたのは、試験で間違えた数により、免停日数が決まるということだった。その時同時に、今日は4時半過ぎには帰れる、という話も聞いた。 しかし、試験が終わったのは4時25分である。これから全員の採点をして結果を出すには30分はかかるだろう。せいぜい5時前くらいだな、と答案を出し終えた僕は思った。 が、違った。最初に聞いた話は嘘ではなかった。 全員が答案を出し終えた直後、教官がなにかの用紙を配り始めたのである。 「はい、それでは免停期間通知書をお返しします」 教官はそう言った。免停期間通知書、というと、試験結果により確定した免停期間が書いてある用紙のはずだ。今終わったばかりなのに、結果が出ているはずがない、と咄嗟に僕は思った。 しかし、手元に渡ってきた用紙には、しっかりと、「運転免許の効力の停止を29日間短縮し、平成16年6月4日までの停止としました」と書いてある。裏面には、「受講結果:A」というところに印鑑が押してある。 つまり、まあ、そういうことである。とくにそれを非難するつもりもない。なにはともあれ、今日一日だけ我慢すれば、明日から大手を振って運転することができる。免停期間通知書を受け取ると、確認書に署名捺印をして提出をした。 最後に免許証を受け取り、僕らは解放された。たしかに時刻は4時半過ぎだった。これで僕のスピード違反による一連の手続きが、すべて終了した。罰金の支払いは済み、点数は元に戻った。 ただ、行政処分における”前歴”は付く。前歴とは、たとえば免停になる点数に影響する。普通は6点で30日間の免停となるが、一度前歴がつくと、4点で同じ免停となる。制限が厳しくなるのだ。この前歴は、1年間消えない。これから1年間無事故無違反を続けることで、ようやく普通の人と同じになるのだ。 2004. 6/12(土) お笑いとしてのマジック ![]() 僕が彼を最初に見たのは手品番組で、本格派の前田知洋の対極として彼のおどけた出し物が紹介されており、独特のポジションを得ていた。そこで僕は、彼のことを将来有望な若手マジシャンと認識した。 しかし、テレビ界が彼に求めたのは正当なマジックではなかった。昨今のお笑いブームにあわせ、マギー審司と同じ扱いで受け入れられてしまったのだ。 僕が思うに、彼はけっしてお笑いではない。これはお笑いをバカにして言っているわけではなく、別物だと思うのだ。たしかに、演目の最中に笑いは起こる。本人もそれを意識してやっている。ただしそれは付随的なもので、本筋はあくまでも手品だ。お笑いは単なる味付けの一部に過ぎない。これがマギー審司の場合とは決定的に異なる。 マギー審司の師匠は、言わずとしれたマギー司郎だ。彼はその昔、「お笑いスター誕生」でも人気を博し、以来、基本的にお笑いの場で活動を続けている。観るほうも彼に本格的なマジックなど求めていない。彼が演じるのは「手品を題材にしたお笑い」であり、弟子のマギー審司も、同じ路線を歩んでいる。 いっぽう、ふじいあきらが演じるのは、「お笑いを味付けに加えた手品」だ。自信なさそうに演じるのもわざとやっていることだろう。じっさい中身の手品は、マギー審司などとは比べるべくもない本格的なものである。 まあ彼がこれからどういう路線でいきたいのかはわからないが、今のテレビの流れに乗せられるのは決していいことだとは思えない。テレビの世界は使い捨てだから、彼がコケても、代わりはいくらでもいる。テレビが求めているのは常に”刺激”であり、基本的に目新しい物が好まれる。磨き上げた芸はテレビには合わないのだ。物珍しさだけで使われた人々はすぐに飽きられ、次の物珍しいものに取って代わられていく。 これを書きながら調べてみたら、ふじいあきらが所属している事務所はあのマセキ芸能社だった。ウッチャンナンチャンを筆頭に、出川哲朗、さらにマギー審司も所属している、基本はお笑い中心の事務所である。ということはやはり……。 2004. 6/13(日) ネタ番組 ![]() ・笑い飯 二人両方がボケ合うという、かつてないスタイルの漫才コンビ。ちゃんと見たのは「M-1」の一度きり。「かわいそうなゾウ」を延々と展開するネタが最高だった。 ・2丁拳銃 人気があるのは知っていたが、「笑いの金メダル」で初めて見た。割にオーソドックスな漫才だけれど、小堀のおとぼけキャラと川谷のツッコミはともにレベルが高く、安心して笑える。 ・フットボールアワー M-1グランプリ獲得の、正当派漫才コンビ。真っ当なネタを真っ当にやって面白い芸人というのは少ないのだ。 ・エレキコミック 第1回「笑いの金メダル」ではあまり評価が高くなかったが、僕は面白いと思った。「変なキャラ」だけに寄りかからず、ちゃんとネタを作っているところに好感が持てる。 ・つぶやきシロー 「笑いの金メダル」での鮮やかな復活劇はすごかった。いっとき売れてからバラエティで多用され、搾取されたのちに捨てられた典型的な芸人だ。僕は彼の売れる前のネタをすこしだけ見たことがあり、ちゃんとネタをやればいいのになあとずっと思ってたら、知らない所でライブはやっていたらしい。久しぶりに見るネタはどれもよく練られていて、いい出来だった。今こそ活躍の場が与えられたのだから、がんばってほしい。 ・ホリ お笑い芸人の物真似など、他人がやらない分野を開拓し続ける物真似芸人。物真似は基本的に大好きなので、消えないでほしいと思う。 ・田上よしえ つい先日の「笑いの金メダル」で見たが、これはすごいと思った。女性ピン芸人というのも最近は数多く活躍しているが、個人的には青木さやか、だいたひかる、友近よりも気に入った。基本的には一発ネタの連続だが、レベルがどれも高く、しかも滑舌がよくて演技力もあるから、見ていて違和感なく楽しめる。 2004. 6/14(月) あまたの芸人たち ![]() FUJIWARAは、割と好きだ。原西はなかなか愛すべきキャラクターなので売れてほしいけれど、いかんせん古い芸風なので、今のテレビ界からは呼ばれることはあまりないだろう。 はなわは、人としてはあまり好きになれないもののネタは結構いい。名古屋のテレビでよく見かけるスピードワゴンは既に中堅どころかとも思わせる貫禄が出てきたが、だからこそさらなる芸の磨きをかけなければ、これ以上の飛躍は難しい気がする。 ドランクドラゴンについては、「めちゃイケ」でやってた塚地氏の一人芸はかなりレベルが高かったのに、二人でやる本来のネタはあまり面白くない。ちょっと人気が先走りしていると思う。 青木さやかやだいたひかるも同じく、皆が言うほどたいしたことはない。友近は、芸人として腕があることは認めるものの、笑いの量は少ない。なによりあのギラギラしたような芸風が個人的には苦手だ。女性のピン芸人では、昨日書いた田上よしえが一番好みである。 東京03はなかなか個性的で興味深い。毎回おもしろいわけではないのだが、当たれば大きい。狙って書ける台本ではないところに才能を感じる。佐藤祐造一人でもってるインスタントジョンソンよりは大化けする可能性を秘めていると思う。 アンジャッシュも独自路線のネタを見せているが、こちらはまだ狙いがわかりやすい。ただ、その個性にこだわるあまり、肝心の笑いが少なくなる傾向にあるのが残念だ。 それから、二日前にも書いた、マギー審司について。「笑いの金メダル」で彼を見た時、あまりいい印象を受けなかった。そこそこ売れてCMにも出ている。ただ、ネタのほぼ全てが、「えへ、えへ」と自信なさそうに演じることで笑いを取るというものならば、すぐに先が見える。今の彼には芸人としての向上心がみじんも感じられない。 さて、現在のようにたくさんの芸人が出てくれば、キワモノ的な存在も現れる。カンニング、安田大サーカス、マイケル、などなど。いまさらだがダンディ坂野もこの範疇に入れられよう。つまり、ネタの面白さではなく、”いかに人と変わっているか”という部分で笑いらしきものを引き起こす。言うなれば存在自体が”出オチ”である芸人だ。はじめのうちはテレビからもちやほやされるが、すぐに飽きられてポイ、という運命をほぼ確実にたどる人たちである。 カンニングは好きだから残ってほしいけれど、難しいだろう。何度かネタを見たが、ほとんど同じ内容だった。ただ、ボケの竹山の「死ね、このくされ芸人!」という言葉に、ツッコミの中島がうなだれて本当に落ち込むという前代未聞のネタには笑った。 2004. 6/15(火) 規則 ![]() 今大会では、ゴールを決めた選手がユニフォームを脱いだ場合、即警告(イエローカード)となるらしい。なんだか、中学校の生徒会規則のようである。相手が怪我をするような危険な行為に警告を与えるのは順当だと思うけれど、実害がそれほどないこうした行為をなぜそれほど厳しく取り締まる必要があるのかわからない。サッカーは紳士のスポーツで神聖なものだなんていう幻想を、いまだに抱いている人がいるのだろうか。 審判に暴言を吐いたら即警告、というのもどうかと思う。試合中の選手というのは通常の状態ではない。勝ち負けで責任が重くのしかかる試合ではなおさら熱くなるから、納得のいかない裁定には不満の言葉も出てしまうだろう。いったん注意を与えてそれでも止めない選手に対して警告を与える、というくらいでいいはずだ。現に、そうしているレフェリーもいる。 これは思い切りファンの立場からの意見になってしまうが、いい選手のプレーを見られないというのは、とにかく残念なことである。つまらない警告で出場停止になるのは、まったくもって忍びないもので、それが疑惑の判定だったり、それほど悪質だとも思えない行為の警告だったりすると、さらに収まりがつかない。 ところでイタリアの名物レフェリー、コッリーナ氏は、今大会をもって国際試合から引退するそうだ。国際大会でのレフェリーの定年は45歳らしい。そんなに若くして引退しないといけないのか、という思いと、コッリーナさんってまだそんなに若かったのか、という思いが同時にわいた。 2004. 6/16(水) トレンド ![]() それが今や、どこへ行ってもマガモかカルガモが数羽見られるくらいで、冴えない。天白区にある荒池などは、プランクトンのようなものに水面を覆われてしまい、見るも無惨などぶ池の様相を呈している。もちろんこれは一時的なもので、寒くなる頃には冬を越す鳥たちが集まってくるのではあるが、なんとも寂しい。 ところが、最近になってわかった。今のトレンドはずばり、田んぼ、である。5月末に長良川沿いにサイクリングに行き、その道ばたの田んぼで、ケリを初めて見た。そのあと6/3の雑記に書いたとおり、平針の天白川沿いの田んぼで、さまざまな鳥を見た。じつはあれからもう一度同じ場所に行き、野鳥ざんまいの時を過ごしたのである。なわばりを主張して頭上を舞うケリは数えきれず、キジさえ片手で足りないくらいいたし、セッカのさえずる声も確かに聞いた。さらに、ここに来ればいつか見られると思っていたアマサギに、帰り間際に初めて遭遇したのだった。 これほど多くの鳥に出会える場所は、今は田んぼしかない。車ででかけるたび、近くに田んぼはないかとチェックする毎日である。 2004. 6/17(木) 会話 ![]() 今回のヨーロッパ選手権は、WOWOWと、地上波のTBSとで放送されている。地上波民放のサッカー中継というと、有力チームや有名選手だけをやたら持ち上げるだけの場合が多いので、僕はWOWOWで観戦している。WOWOWは放送開始当初からイタリアのセリエAなどの放送でサッカーに力を入れ、実況のできるアナウンサーを育ててきただけに、地上波民放とは質の高さが違う。ところが、このWOWOWの実況でも気になることがある。 実況のスタイルは、他の局と同様、アナウンサー一人と解説一人、という組み合わせだ。アナウンサーは試合を正確に伝え、さらに、観ている人の気持ちを盛り上げるという役割を担っている。大事な場面になれば、それを描写して言葉に出さなくてはならない。いっぽうの解説者はというと、よりサッカーに詳しい立場の人間が直前のプレーその他についてコメントを加えるのが仕事である。 そこでときおり不快に思うのは、解説者が話をしている最中に実況が割って入る時だ。これがゴール前でチャンスになるシーンならば、わかる。ゴール前はもっとも盛り上がる局面だから、これを実況しないわけにはいかない。ところが、なんでもないプレーの最中、解説の方が丁寧に説明をしているような場面で実況者が、「○○がボールを持った」などと解説者の話を平気でさえぎってしまう。 僕はこの二者のやりとりを、基本的には「会話」として聞いている。なので、会話としてのルールやモラルが守られていないことに対しては不快感を覚えてしまう。WOWOWの実況は基本的に他のどの局よりも素晴らしいのに、これだけがいつも不満だ。日常生活においても、相手がしゃべっているのをさえぎったりすることはやはりモラルとして避けるべきだと思うし、どうしてもそうしたい場合は「ごめんね、話の最中に」などと断りの一言を最初に入れるべきだと思う。 もちろん、展開の速いスポーツでそうした断りが入れられないシーンはある。だから僕が問題にしているのは前述した通り、なんでもないシーン(つまり、いくらでも話ができるシーン)なのに、断りさえ入れずに相手の話をさえぎる、という点に限られる。 2004. 6/18(金) な、なんだこれは…… ![]() これである。 な、なんだこの生き物は……。 強烈ないでたちに、一歩退くほどインパクトを受けてしまった。 ハシビロコウ、という名前の通り、コウノトリの一種だ。コウノトリといえば普通、ツルに似たクチバシの長い鳥を思い浮かべる。僕がアフリカで見てきたアフリカハゲコウやキバシコウなどは、多少の差こそあれ、似たようなスマートな姿形をしていた。 ところがこのハシビロコウはどうだ。同じくアフリカに生息していながら、とても同じ仲間とは思えない強烈な顔。子供から、「赤ちゃんってどうやって生まれるの?」と聞かれて困った時、間違っても「この鳥が運んでくるんだよ」とは答えたくないものだ。 一気にこのハシビロコウに興味がわいてしまった。調べてみると、日本には、上野動物園と千葉市動物公園、伊豆シャボテン公園くらいにしかいないらしい。どれも名古屋からすぐに行ける場所ではないのが残念だ。「TOKYOZOO NET」というサイトに、高画質長時間の動画が置いてあるので見てみたら、さらに興味がつのった。ちなみに「TOKYOZOO NET」には他にも質の高い動物動画が百本ちかくも紹介されていて、どれも面白いのでお勧めである。 ・ハシビロコウの動画ページ ・TOKYO ZOO NET 「うごく!どうぶつ図鑑」 2004. 6/19(土) 恋愛エンターテインメント ![]() そこに、電車男の登場である。 最近はネット上のいろんな所で評判になっているので聞いたことがある人はいるだろう。次のようなサイトである。 ●電車男 これは、2ちゃんねるの書き込みを抜き出して構成された、いわば恋愛エンターテインメントである。独特の言い回しに慣れるまで時間がかかったが、僕はこの長い長い”お話”をついに最後まで読んでしまった。そして、評判になる理由がわかった。文章がうまいとかストーリーが素晴らしいとか、そういう評価ではない。これは要約して語るべきものではなくて、まさに書き込み全体がひとつの作品となっているのだ。 一体なんのことやらわからない、「2ちゃんねる」も見たことがないという人のために、とっかかりを紹介しておく。 まず、「2ちゃんねる」とは、掲示板だけで構成されたWebサイトのことであり、様々な話題についての掲示板が山のようにあるところだ。 ●2ちゃんねる この「2ちゃんねる」の中に、独り身の男性が語り合う掲示板がある。そこに、とある書き込みがされた。電車で泥酔したおじさんに注意をし、周囲の人から感謝をされたという若い男性からの書き込みだった。彼に感謝をした人の中にきれいな女性がいて、後日その女性から贈り物が届いた。青年は動揺し、それでもこれを機に彼女と仲良くなりたいと願った。彼の気持ちに賛同した掲示板の常連たちは、様々な書き込みで彼にエールを送り始める……。 とまあ、こういうものだ。興味のある方は、以降の成り行きを実際に読んでみてほしい。上に掲げたリンクから、トップページに飛ぶことができる。動画があるが、最初はそれは見なくてもいい。上段にある「Misson.1 めしどこかたのむ」から読み始めてもらいたい。「2ちゃんねる」独特の言い回しやルールがあって最初は読みづらいかもしれないが、最後まで読んでみれば、胸を揺さぶられる結果に自らが驚くことになるだろう。 もちろんネットの掲示板だから、書かれていることが全部嘘、ということもあり得る。しかし、これが嘘だとすると書いた人は本当に素晴らしいエンターテイナーだ。時間に沿って、それは細かく事の次第を伝えている。真実だと想像するのだがどうだろう。 2004. 6/20(日) 駄目監督 ![]() あちらでも書いたとおり、オランダは予選リーグ第2戦でチェコに敗れ、決勝トーナメント進出に黄色信号がともった。この試合でのアドフォカート監督の采配は、多くの批判を浴びている。 6/18のイタリア−スウェーデン戦、1−0でリードした時点でイタリアのトラパットーニ監督は、活躍していたフォワードの選手を中盤の選手と交代させた。1点を守りきるためだ。しかし結局スウェーデンの攻撃に耐えきれず、同点弾を浴びてしまった。 今日のオランダも、2−1でリードしている局面で、攻撃の要だったロベンを交代させ、ディフェンス要員を投入した。僕はイタリアの二の舞だけはイヤだと思ったし、テレビの実況陣も同じ懸念を話していた。果たして、悪い予想は当たった。しかも同点弾だけでなく逆転弾まで浴びてしまい、オランダは敗北の苦汁を舐めさせられた。 昨今のサッカーでは、守備一辺倒で守りきるような戦法は通用しなくなっている。それに何より、オランダは”守る”チームではない。どんどん攻撃をしかけ、攻撃することで相手の攻撃の時間を減らし、リズムを奪い、結果として最大の防御となるのだ。 だいたいアドフォカートが采配を振るう時というのは、なにかと問題が起きる。1994年のワールドカップの時には、人種問題が表面化した。オランダは白人と黒人とが常に半々の割合となり、いつもこれがチーム作りの上で障害となる。この大会は、僕の大好きな選手、ルート・フリットの出場する最後のワールドカップになるはずだった。しかし彼は監督のやり方に疑問を持ち、ついに代表招集を拒否してしまった。僕にとって、大きな落胆だった。 それに比べ、1998年ワールドカップのフース・ヒディンク監督は素晴らしかった。あの時、オランダは久しぶりにベスト4まで進出できたのだった。そしてその後、ヒディンクは韓国の監督に就任し、2002年日韓ワールドカップで、それまで1勝さえしたことのなかった韓国チームをやはりベスト4にまで導いた。彼は韓国で、英雄となった。あのような監督をふたたびオランダにと、心から願う。 2004. 6/21(月) 雨のなか ![]() 昼を過ぎるまで、雨と風が吹き荒れた。どのテレビ局でも、画面の一隅に台風情報を流し続けていた。よみがえった記憶は4年前の東海豪雨だ。あの時はたちまちのうちに道路が浸水し、マンションの玄関先もあと十数センチで沈むかというところまで来た。 今回の降りは、瞬間的な勢いはすさまじかったものの、夕方頃には落ち着いた。暗くなる前に窓から見てみると、すでに地面は乾いていた。 まだ激しい雨風が続いていた頃、外の様子を確認するため部屋からマンションの玄関に出てみた。ドアのすぐそばに一人のおばあさんが立っていて、閉じた傘を手に外の様子をうかがっていた。僕はその横に立ち、「すごい降りですよねえ」と声をかけてみた。おばあさんは、すぐ近くにある家まで帰りたいのだけれど、この降りようじゃあねえ、と笑った。 しばらく並んで、雨が斜めに降りかかるドアの外をながめていたら、「でも戦争の時はもっと大変でしたけどねえ」と、おばあさんが言う。それからおばあさんの戦時の頃の話をひとわたり聞いた。それでも雨風はなかなか弱まらず、僕はおばあさんに、よかったら部屋の中でお待ちになりませんか、と言ってみた。おばあさんは丁寧にそれを断ると、玄関のドアを開け、雨の中を傘もささずに出て行った。 |