最終日は11時40分のフライトに合わせ、いつもより早く起きた。2階にある部屋から1階の食堂の中が見えるのだが、起き出した時刻にはまだ明かりがついておらず、降りようかとしかけた頃に、ぱっと電気がつくのが見えた。
いつもの席に座り、最後の食事をとる。ロンドンでもパリでも朝食はバイキング形式で、パンと飲み物以外に、ハムやフルーツ、ヨーグルトなんかが付いてどちらもとても美味しく頂くことができた。
食事のあと、8時過ぎにフロントに降り、チェックアウトを済ませる。4日間を過ごしたホテル「アブリアル」に別れを告げる時だ。タクシーを呼ぶと、女性の運転手がやってきた。フロントの若者にお礼を言ってチップを渡し、タクシーに乗り込む。
道路が込むかと思って早めに出たのだが、実際はガラすきだった。高速道路を正に高速で飛ばしたため予定よりもかなり早く、30分もかからないぐらいでシャルル・ド・ゴール空港に着いてしまった。KLMオランダ航空のカウンターはまだ開いておらず、ベンチに座ってチェックイン時間を待つ。
9時40分頃になり、ようやくカウンターが開く。チェックインを済ませ、身軽になった体で、最後の買い物のために地下のショップに向かう。両親は主に会社関係用にと、チョコレートなど買っているようだ。僕も、ミシュラン製のパリの地図、それからロンドンの地図と、サッカーの記事が載っている新聞などを購入した。
それからゆっくりお茶を飲んだ後、ゲートをくぐる。搭乗口まで続く、長い長い「動く歩道」に乗った先に、KLMの青い機体が見えてきた。旅の終わりだ。後は、来た時と逆のルート、アムステルダムに寄ってから、関西空港への飛行機に乗るだけ。
今回の旅で、親と一緒というのはまた独特の感情を自分の中に引き起こすものだということを発見した。一番予想外だったのは、出発前はあれほど乗り気だった母親が、いざ着いてみるとそれほど精力的に動く訳でもなく、すぐにホテルに帰ろう、という感じになってしまったこと。僕としては、親の体力を考えながらも、出来る限りいろんな所に連れていってあげたいと思っていたのだが、その気持ちが空振りに終わることが多かった。疲れともあいまって、僕も少しピリピリした気持ちになったりもした。
今回の旅行のことは、もう5年ほど前ぐらいからうっすらと考え始めていた。いつも一人で海外に出掛け、その写真やビデオを両親に見せていたが、一度一緒にそれらの景色を生で見てみたい、見せてあげたい、ずっとそう思い、その時のことを心に描いて僕自身もすごく楽しみにしていた。そして、出発までの期間も、あと何日かとカウントダウンしながらその日の来るのを待ち続けた。
それが、実際に行ってみると、思い描いていたイメージとは異なることが多かった。あれほど楽しみにしていた旅行が、こんな感じになってしまうのかと落胆したりもした。もちろん全てがではないけれど。そして同時に強く感じたのは、二人とも、やっぱり年をとったんだなあ、ということ。少し歩くと、「疲れた」を連発し、注意して見ると、何となく動きも弱々しくなった気がする。小さなリュックサックを背に負った母親と、その母親よりも背の低い父親が並んで立ち止まっているのを振り返るたび、強烈な「老い」というものを感じた。こうやって、3人で海外の地で過ごすという非日常的な時間を、また持つことはできるのだろうか。色々なことを考え、時差のためか早朝に起きてしまうベッドの中で毎日、ひどく辛い気分を味わっていた。
それでも旅のあと、「本当にいい旅行だった」と二人して言ってくれた。もう、あんなに遠い所に行くことはないだろうね、と言う。
僕は、口には出さないが、「そんなことはない」と心で反論する。二人が良く口にする外国にオーストラリアがあることは知っている。
次はそこだ、と秘かに考えている。