10.両親を交えて
2005 10
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■加速

 9月28日の打ち合わせ巡りで、いろんなことが一気に動き出した。まずはグランドホテルから、詳細見積もりがメールで届いた。なんと、招待客の宿泊料金をネット割引扱いにしてもらえるという内容だった。これなら料金面でもパレスホテルとほとんど変わらない。これで、ホテルは決まった。

 それから、ウェディングケーキの形について二人で検討した。基本的には2羽のペンギン像とし、モデルとして使えそうな写真やイラストを手持ちの中から探した。いくつかの候補を画像でケーキ屋の「グリフォン」さんに送ったところ、すぐに返事がきた。ペンギン型のケーキだと、入刀時にペンギンを切ることになる。それなら、大きな土台のケーキの上に小さなペンギンが乗っている形のほうがいいのでは、という提案があった。確かにかわいそうかも、と考え、また二人で話し合った。

 ケーキ入刀の代わりに、何かベつの形でのセレモニーができたらなあと考え始めたのは、この頃だったと思う。入刀をしなければペンギンを切ることもなくなる。そして、ケーキはやはりどーんと大きなペンギン像、というイメージが僕らの頭にあって消せない。大きな土台に小さなペンギンという形だと、普通のケーキにペンギン人形を乗せたのと変わらなくなってしまう。やはりペンギン本体がケーキになっていることで、「ペンギンケーキ」になるのだと思った。
 グリフォンさんには、やはりこのままでお願いします、と返事をした。

 プロデュース会社からも見積もりが来た。式の庶務・着付け・音響機器レンタルのそれぞれについて、詳細に見積りがなされていた。金額は、最初に想定していたものから大きく外れてはいなかった。
 僕の着るタキシードについては、Yahooオークションで購入した。ちょっとした細工を施したかったため、これはなんとか購入できないかとネットで調べたところ、あでりーが非常に安い値段で見つけてくれた。黒の燕尾服の上下、それから白のズボンとベスト、これで合わせてなんと7500円ほどである。


■食事会

 10月12日、お互いの両親を交えての食事会を開いた。兵庫の両親は、前日に僕のマンションに到着し、夜は久しぶりに三人で食事をとった。二人ともとても嬉しそうだが、少し緊張していた。
 当日の朝、車であでりーの実家へ向かった。両親はやはり緊張している様子だったが、あでりーの着物姿を見て、とても喜んでいた。この日のためにと、あでりーは早起きして着付けに行ってくれたのだった。
 家の中で簡単なあいさつをし、あでりーの淹れてくれた抹茶を飲んだあと、あでりーの親戚の経営する料理屋さんに場を移した。食事のはじまる前に、僕のほうから簡単に話をした。

 結納を交わさないことにしたのは、けっしてめんどくさいからという理由ではない。結婚が決まってから僕は、結納にどのような意味があるのか、いろいろと調べてみた。僕なりにまとめると、大きく分けて二つの意味がある。一つは結婚についての両家の正式な承認、もう一つは互いの両親の顔見せの場を設けるということだ。前者については、お互いの両親にあいさつをし、そこで承認を得たはずである。後者については確かに必要だと思ったので、今日のこの場を設けた。
 僕は、九品だとか七品だとかを並べ、「幾久しく〜」などとやるのは絶対に嫌だった。これは、封建的かつ男尊女卑的な考えが根強かった時代に行われた、男が女をお金で買うための儀式だと僕は考えていた。僕はあでりーを決してお金で買うわけではない。だから、お金のやりとりをすることだけは絶対に嫌だった。

 こうした話を、できるだけ簡潔にさせてもらった。その後は、父親は父親同士、母親は母親同士でテーブルをはさみ、話に花が咲いていた。僕は、あでりーのお祖母さんと長くお話をしていた。あでりーは長い間お祖母さんと一緒に暮らしており、結びつきが強い。かねてからそういう話は聞いていたが、実際に会うのは今日が初めてだった。中国やインドを旅した話など、聞き応えがあり、楽しく時間を過ごすことができた。

 2時間ほどを料理屋さんで過ごした。終始なごやかな雰囲気で、食事会は終わった。
 僕は両親を駅まで送っていった。二人ともかなり疲れていたが、やるべき義務は果たしたという感じで、ほっとした様子だった。


■二度目の食事会

 10月24日、今度は兵庫の僕の実家で食事会を開いた。当日の朝早く、僕はあでりーの実家まで電車で行き、そこからお義父さんの運転する車に乗せてもらった。お義父さんは車の運転が大好きな人で、高速ではかなりのスピードで飛ばし、正午過ぎには実家に着いていた。
 僕の両親はもう、それほど緊張はしていなかった。初対面と二回目とでは、会うまでの気持ちの余裕はまったく違うことだろう。ましてや今回は、自分の家で迎える立場である。逆にあでりーの両親は、僕の実家に入る直前、すこし表情が硬かったように思う。それでも前回に増して話は弾み、いい雰囲気で食事を終えることができた。酒の入ったお義父さんの代わりに、帰りは僕とあでりーが運転をした。両親は後ろの席で、安心した顔で眠っていた。


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