■緊張の日
6月の頭、僕はあでりーの自宅を訪れた。両親へのあいさつのためである。これまでに何度も訪れたことはあったが、彼女の両親に会うのはこれが初めてだった。
前日遅くまで話す内容を考え、頭にたたき込んだ。なにしろ、世間の常識にとらわれず自分たちのやりたいようにやっていこうという方針のため、イレギュラーな部分が多いのだ。結婚式の場所や内容にくわえ、式よりも前に新婚旅行に行くこと、式の当日に婚姻届にサインするため、旅行や式が終わった後での入籍になること、結納はおこなわないこと、などなど、ひとつひとつが親からすれば顔をしかめかねない内容である。
さらにもうひとつ大きな心配要素は、僕の仕事のことだった。訳あって2001年に退職し、それから今まで定職に就いていない。この年の8月にペットシッターを開業する予定で準備を進めてはいたものの、あいさつの当日はまだ無職の身である。もちろん、結婚の話は彼女から事前にしてあって、賛成してくれていると聞いてはいたが、これからの見通しなどを追求されると厳しいなあと思っていた。
滅多に着ない僕のスーツ姿を見て、あでりーははしゃいでいた。それでも、彼女は彼女なりに緊張していたのだと思う。僕は僕で、出されたコーヒーに砂糖を入れるとき、手が震えてひざの上にこぼしてしまった。
あいさつの場は想像していた以上に穏やかなものとなった。僕の話に二人ともじっくりと耳を傾けてくれ、僕は準備していた内容を、ほぼすっかり思った通りに話すことができた。
ひととおり僕の話を聞いたあと、お義父さんからいくつか話があった。主なところは、入籍の時期だった。新婚旅行の旅先では、正式な夫婦であったほうが何かと都合がよい、旅行前に入籍を済ませてはどうか、という提案である。
式当日に婚姻届にサインするというのは、人前式での結婚証明書の代わりにしたかったからだ。僕は昔から、結婚式と入籍が独立していることに、なんとなく違和感を抱いていた。何も知らない子供の頃は、結婚式を挙げたら夫婦になる、と無邪気に思っていたものだ。だから、結婚式を挙げ、その中で婚姻届にサインをし、招待客の皆様に承認をいただき、その日に役所に届け出るという形が、いわば理想型のように思えた。あでりーもその考え方に賛同してくれていた。
ただ、お義父さんの言い方は、押しつけるようなものではまったくなく、確かにその通りだとも思った。僕は、その点についてはもう一度二人で話し合ってみます、と答えた。
■兵庫へ
7月の終わり、今度は僕の両親へのあいさつのため、兵庫の実家におもむいた。今回、僕のほうは気楽なものである。両親とも、僕の結婚には諸手をあげて賛成してくれているし、問題要素は何もない。いっぽう、あでりーのほうは少なからず緊張しているようで、車で家に向かう途中、もう少しで着く、となった途端に、あーとかぎゃーとか、一人で悲鳴をあげはじめた。
約束の到着時刻よりかなり早く着いてしまったので、僕が通った学校や、昔住んでいた家なんかを巡り、午後4時に実家に到着した。
両親そろってしっかり待っているかと思いきや、いきなり父親が庭仕事をしているところにぶつかり、あでりーは慌てていた。その後も、きちんとした自己紹介などもなく、普通にご飯を食べ、なんとはなしの会話をし、その日は泊まっていった。あでりーが席を外したとき、両親ともに嬉しそうな顔で、いい子だね、とつぶやいたのが印象的だった。