海と風の詩 act.2 |
(あー、あちいなー・・・・・。) 真昼の太陽の熱に焼けた砂浜に転がって、取りとめも無く小さかったゾロのことを思い出していたサンジの耳に、かすかに砂を踏みしめてこちらに向かってくる足音が聞えてきた。 それが誰なのか、考えなくても分かる気がした。 「おい。」 かけられた声を聞いて、サンジは仰向けに転がったまま、目を閉じたまま、 (やっぱりな・・・。) そう思った。 少し低くて、自分よりもずいぶん年下なはずなゾロの声は、いつでも、どうしてかサンジの耳には心地よく、安心させてくれるように優しく響いてくる。 だが、その声を聞いて、今は少し胸が痛かった。 声を聞けば、目を閉じていてもゾロの姿が浮かんできて、それが連想ゲームのようにさっき見たあの光景を思い出させる。 なんで、ただそれだけのことにこんなに混乱している自分がいるのかも分からずにいたサンジは、どうしてもいつものように笑って返事をすることが出来なくて、かろうじて出たのは、自分でもおかしいくらいに掠れたような小さな声だった。 「んだよ・・・。」 「メシ、まだ食ってねんだよ。」 その声と同時に、サンジの頭の横に、どっかりとゾロが腰を下ろす気配を感じた。体の横に放り出したままだった紙袋がガサガサと開けられる音がする。 (今日のは、ちっと自信作だったんだけどな・・・。) 無残に偏っているだろう弁当箱の中身のことを思って、サンジは余計に気が滅入りそうだった。 小さい頃から、サンジはゾロを本当の弟のように可愛がってきた。 ゾロを引き取った、サンジの家の隣に住んでいた夫婦も、実際はサンジの家と同じように夫婦共働きの家庭で、会社勤めとはいえ、日中は小さなゾロを一人置いて仕事に行かなければならない。 さすがに、ゾロを引き取った当初はゾロの義母の方は育児休暇を取っていたようだったが、それも暫くの間の事で、ゾロが一人で歩けるくらいの歳になった頃にはゾロは近所の保育園に預けられる事になった。 そして、そのゾロの手を引いて、送り迎えをしてやったのは、ずっとサンジだった。 サンジの両親が迷惑なんじゃないかと心配するくらいに小さなゾロにかまっていたサンジに、ゾロはもちろんなついていたし、「仕事が忙しいから助かるわ。」そう言って、もともとさばけた性格のゾロの義母は笑ってサンジにゾロの世話を任せてくれた。 そして、ゾロが学校に上がるくらいの歳になった頃から、仕事の忙しい両親に代わって食事の支度をするようになったサンジが、土曜日の午後だとか、ゾロの両親も食事の用意が出来ないときにはかわりに食事の世話までするようになっていた。 小学生の頃に剣道のクラブ入ったゾロに、もともとは、暇のあるときにだけ作ってやっていた土曜日の午後の弁当も、ゾロが中学に上がる頃には習慣になっていた。 約束したわけでもないのに、サンジはゾロのためにいつも腕によりをかけて弁当を作ってやって、部活の合間の休憩時間に校門の前で待っているゾロに手渡しにやってきていた。 まだまだ成長期の体が、サンジとほとんど変わらない身長になって、鍛えられた体格は痩せ型のサンジをすっぽり覆ってしまうくらいになっても、サンジにとってゾロはいつでも「可愛い弟」で、思春期に差し掛かって、だんだん無口になってくるゾロが、それでもサンジが弁当片手に学校にやってくるのを待っている姿を見るのは嬉しかった。 その関係が、ずっといつまでも続くと思い込んでいたのは、自分だけだったのか・・・。 何も言わずに、黙ったまま弁当を食べているゾロの気配を感じながらそう思った。 本当は、もう作ってこなくても良い。ゾロはそう思ってるのかもしれない。 あの髪の長い女の子が作ってくる、たどたどしい可愛らしい、女の子らしい弁当の方がいいのかもしれない。 でも、ゾロの好みは自分の方がよく知っている。ゾロの苦手なものを食べさせるコツだって分かっているし、どれくらいの量がゾロにとっては丁度よくて、どんなものがゾロの体のためにいいのかだって、あんな女の子よりもずっとよく知っている。 (ヤキモチ焼いてるみてーじゃねぇか・・・、俺・・・。) そんなことを考える自分にかなりな感じで凹みつつも、それでもサンジはゾロにさっきのことを聞くことが出来なかった。 肯定されたら、なんと言っていいのか分からなかった。 「べんとー、うまいか・・・?。」 だから、そんな言葉しか口から出てこなかった。 「あぁ。」 「足りたか・・・?。」 「まぁな。」 「お前、なんか飲むもんとか持ってきたのか・・・?。」 「持ってる。飲むか?。」 断片的な会話を交わしながら、ゾロがサンジの頭の横に何か投げてよこしてきた。 「いらねー・・・。」 頭の横にあるだろうペットボトルの存在を無視して、サンジはまだ目を閉じたまま、煙の立たない煙草を咥えたままそう言った。まだ、ゾロ顔をちゃんと見ることが出来そうに無かった。 「部活、戻らなくていいのかよ・・・。」 サンジのその言葉に、ゾロは返事を返さない。 それから、暫くの沈黙。 静かな砂浜に、ただ波の音だけが響いていて、だが、サンジはその沈黙がひどく息苦しかった。 次にゾロが口を開いたとき、とてつもなく嫌な言葉を聞いてしまいそうで、静かな砂浜で息が詰まりそうな気がしていた。 「なぁ、サンジ。」 小さい頃は「お兄ちゃん」、そうサンジのことを呼んでいたはずだったのに、気が付けばゾロはサンジのことを名前で呼ぶようになっていた。 サンジは無表情に転がったふりをしながらも、心臓が痛いくらいに強く脈打つのを感じていた。 ゾロの言葉が怖い、なぜかそう思った。 だが、ゾロの口から出た言葉は、サンジが緊張して待っていたようなものではなかった。 「来週から部活ねーんだ。だからさ、夜お前ん家行ってもいいか?。どうせ親父もお袋もいねーしよ。」 もしかして、あの女の子のことでも言うんじゃないかと、必要以上に緊張して強張っていたサンジの体と心は、ゾロの何の脈略も無い台詞に一気に弛緩した。 なんだ、まだゾロは自分のことを必要としてくれてんじゃないか。 それが少し嬉しくて、サンジはいつもの「お兄ちゃん」としての自分を取り戻す事ができるような気がした。 「別に構わねぇけど、なんでだよ。」 ただ、あからさまに嬉しそうにして見せるのはさすがに気恥ずかしい。今まで仏頂面で転がっていたのに、いきり飛び起きて「いいぜっ!。」なんて言うのは、さすがに年上としてのプライドもある。 だから、サンジはなるべく冷静に返事をしたつもりだったのだが、それでもさっきよりも幾分声が上ずっているのが自分でもおかしかった。 「テストがあんだよ。べんきょー教えてくれ。」 「あぁ、お前ェ頭悪かったもんな。ハハッ。」 「うるせー。」 「じゃ、学校終わったら来いよ。晩飯も食うんだろ、どうせ。」 「悪ィな、いつも。」 「なに遠慮してんだよ。らしくねーな。」 たあいの無い、いつもの二人だけの間で交わす会話が出来ただけで、さっきまで沈んでいたはずのサンジの心の中に篭っていた、モヤモヤとしたわけの分からない感情はいつ間にか消えていた。 気分が軽くなって、サンジはようやく閉じたままだった瞼を開けて、咥えっぱなしだった煙草の先に火をつけようと、ジーパンの前ポケットに手を突っ込んだ。 丁度その瞬間、横に座ったままだったゾロが小さく零した言葉に、サンジの唇に挟まっていた煙草がポロリと砂の上に転がった。 「俺。早く大人になりてー・・・。」 波の音の合間に聞こえたその言葉は、サンジの心の奥に深々と突き刺さった。 開けようとしていた瞼の裏側に、ゾロが抱きしめていたあの髪の長い女の子の後姿が浮かんでいた。 BACK/ NEXT |