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南部信助によって築かれた中館氏の居館で、江戸時代には南部直房によって改築されて八戸藩の藩庁となった。現在は本丸跡半分が三八城公園で、城址の大部分は市街地に埋もれてしまっている。
年代 | 出来事 |
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14世紀頃 | 根城南部氏5代目の南部政長の三男の信助が丘陵端に館を築いて移り住んだのが始まりで、以後は中館氏を称した。 |
1627年 | 根城南部氏が遠野へと転封となると中館氏もこの地を離れることになり、居城は一時廃城となる。 |
1648~51年 | 南部藩主の南部利直は根城南部氏が去った後の八戸の整備をするため、廃城となった根城と新田城の城下町を中館のある台地に移して新たな町づくりを行った。 |
1664年 | 南部藩主の南部重直が亡くなると御家相続問題が発生するが、重直の弟たちに盛岡10万石と八戸2万石に分割相続することで決着し、八戸の中館跡に陣屋を置いて南部直房が移り住み八戸藩が誕生した。 |
1871年頃 | 廃藩置県により八戸藩が無くなり廃城となった。 |
城は台地の北端部に築かれており、本丸と二の丸、そして二の丸と城下町は同じ台地上にあって空堀と土塁で仕切られていた。