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八戸城 はちのへじょう

別名
中館(前身)
時代
南北朝時代~江戸時代
分類
平山城(丘城)
規模
現状
三八城公園・市街地
場所
青森県八戸市内丸
最終訪城日
2011年5月3日

南部信助によって築かれた中館氏の居館で、江戸時代には南部直房によって改築されて八戸藩の藩庁となった。現在は本丸跡半分が三八城公園で、城址の大部分は市街地に埋もれてしまっている。

城史

年代 出来事
14世紀頃 根城南部氏5代目の南部政長の三男の信助が丘陵端に館を築いて移り住んだのが始まりで、以後は中館氏を称した。
1627年 根城南部氏が遠野へと転封となると中館氏もこの地を離れることになり、居城は一時廃城となる。
1648~51年 南部藩主の南部利直は根城南部氏が去った後の八戸の整備をするため、廃城となった根城と新田城の城下町を中館のある台地に移して新たな町づくりを行った。
1664年 南部藩主の南部重直が亡くなると御家相続問題が発生するが、重直の弟たちに盛岡10万石と八戸2万石に分割相続することで決着し、八戸の中館跡に陣屋を置いて南部直房が移り住み八戸藩が誕生した。
1871年頃 廃藩置県により八戸藩が無くなり廃城となった。

縄張り

城は台地の北端部に築かれており、本丸と二の丸、そして二の丸と城下町は同じ台地上にあって空堀と土塁で仕切られていた。

【本丸土塁】
本丸跡の西半分が三八城公園として整備されており、遺構としては土塁だけが確認できる。なお、本丸東側は住宅地になっている。

【内堀跡】
城址の空堀は市街地化でほぼ消滅してしまったが、本八戸駅から繁華街へと続く道に内堀の跡が見て取れる。

【八戸城角御殿表門】(県指定重要文化財)
八戸城の二の丸角御殿跡には表門が現存しており、今は南部会館の正門となっている。この門は1792年に角御殿を拝領した煙山治部右衛門が1797年に建てたもので、1978年に老朽化で倒壊したが翌年に修繕されて今に至る。棟門としては国内でも最大級の門。

アクセス

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