仙 台 |
● おくのほそ道 本文 |
名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて、四、五日逗留す。爰に画工加右衛門と云ものあり。聊心ある者と聞て、知る人になる。この者、年比さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるゝ。玉田・よこ野、つゝじが岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。猶、松島・塩がまの所々画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ、風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。 |
● ぼくの細道 | |
![]() だからさっそく曾良と手分けして紹介状を届けた。「手分け」するほどだから決して少ない数ではなかったのだろうが、句会を開いて風流の世界に浸ろうとするものも、芭蕉を後援しようという有力者も現れなかった。 現れたのは、画工。加右衛門という名で俳句にも心得のある人物だった。「画工」というからには、芭蕉と同じ、しかるべき有力者を後ろ盾にして糊口をしのぐ立場の芸術家仲間だったのだろう。 が、決して裕福とは思えない加右衛門の心遣いは芭蕉の落胆を埋めて余りあるものだった。連日、付近の名所や埋もれた歌枕などに案内し、精一杯もてなしてくれた。別れに際しての餞別は、行く手の歌枕を描いた案内図と、紺の染め緒をつけたわらじ2足だけだった。 翁は見抜いていた。「2足3文」と安物の代名詞のように使われる「わらじ」だが、そこにこめられた加右衛門の心遣いを。すでに述べたように、旅には欠かせないわらじだが、一日もたずに打ち捨てられる存在なのだ。そのわらじに、「染め緒」をつける。しゃれてもいるし、何よりも足に優しい。 その心遣いがうれしかったのだろう。芭蕉翁は、この章段で大都市仙台の様子には触れず、画工「加右衛門」を描いた。世に埋もれた芸術家と心が触れ合った瞬間といえるだろう。 |
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