武隈の松
 ● おくのほそ道 本文
 岩沼に宿る。
 武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。先能因法師思ひ出。往昔、むつのかみにて下りし人、此木を伐て名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、「松は此たび跡もなし」とは詠たり。代々、あるは伐、あるひは植継ぎなどせしと聞に、今将、千歳のかたちとゝのほひて、めでたき松のけしきになん侍し。
 「武隈の松みせ申せ遅桜」と、挙白と云ものゝ餞別したりければ、
    桜より松は二木を三月越シ
 ● ぼくの細道
 武隈とはもともと地名で、この地を流れる「阿武隈川」と同義だ。武隈(たけくま)はさらに転訛して「たけこま」となり、この近くにある竹駒神社の社名ともなった。
 竹駒神社はご承知のように「日本三大稲荷」に数えられる稲荷社で、神の使いはキツネ。阿武隈川は、もともと大熊川、すなわち「あふくまがわ」で、「あふくま」が「あぶくま」となったわけだから、大熊が竹駒(キツネ)になった。 (^O^)

 わが芭蕉先生は、こういう言葉遊びにかけては専門家?みたいなものだが、さすがにあたしらみたいな低劣な遊び方でごまかさない。掛け合いのような作品のやり取りながら、きちんと文学としての品は保っている。

 ところで、やだねえ。電柱、電線。 (>_<)
 能因法師の時代から800年、芭蕉翁の時代からでも300年。文化文明が進んだはずだが、ここまで見てきた限りでは古来の歌枕は全滅で、文明のほうはともかく文化が発展したとは到底いえない状態だ。どの角度から撮っても電柱、電線が無様な姿をさらしてしまう。
 いや、電線電柱が悪いわけではない。現代文明を享受しようとすると電線ごときは我慢しなければならないのだろう。
旅程索引 碑めぐり 仙台→