笠 嶋 |
● おくのほそ道 本文 |
鐙摺、白石の城を過、笠島の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、「是より遥右に見ゆる山際の里を、みのわ・笠島と云、道祖神の社、かた見の薄、今にあり」と教ゆ。此比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、簑輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、 |
● ぼくの細道 |
![]() 中学か高校か忘れたが、初めて「奥の細道」に接して以来、私はこういう区切りで読んで、大好きな句のひとつとしてきた。笠島を探し回っているうちに日が暮れて、月明りが雨上がりのぬかる道を照らす…… 心細さが見事に表現され、ちょっと滑稽味もあるすばらしい句だと思ってきた。(^^; それがとんでもない間違いだとやがて気づいたが、今でも無意識に読むとこういう区切りをしてしまう。幼い日の刷り込みってやつは恐ろしいものだ。 さて、前にも述べたが、「おくのほそ道」は単なる旅行記ではない。したがって、訪問先が前後したり、見てもいないものをあたかも見たごとく書いたりしていることがよくみられる。 それに対してここでは、行くべきだったところへ行かなかった無念さがほとばしっているようにみえる。 深読みかもしれないが、私は、笠嶋は「おくのほそ道」の目的の一つだったと思う。というのは、翁はこの書の冒頭に「そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず」と述べているのである。 「道祖神の招き」とは何だろうか? 一般的に旅の神としての道祖神、と解釈しても間違いではないと思うが、私はもっと重要な暗示を感じるのである。というのは、芭蕉にとっては文学の道の大先輩、藤原実方にまつわる奇っ怪な話しのことだ。 中将実方は、左遷されて奥州の旅に出るが、この地の道祖神社の前を騎乗のまま行き過ぎようとして神の怒りに触れ、蹴飛ばされて馬ごと転倒して死んだ、というのである。笠嶋は、単なる歌枕ではない。その実方大先輩の墓がある。 その道祖神が招いている。旅に死すこともよしとする芭蕉翁にとって、西行法師も訪れたとされるこの先人の墓は何が何でも詣でたかったのではないか。 だが願いむなしく、折悪しく雨の中、道を間違えてたどり着けなかった。そりゃそうだろう。今でもこのあたりは目印となるようなものは何にもない、ただの田舎なのだから。 |
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