私の挑戦

永田 敏男

私は今年の5月で72歳になる。体は衰え、特に記憶力の低下は著しいものがある。

私の母親は、恥ずかしいながら、認知症がひどく、晩年は病院に入院してほとんど監禁状態におかれていた。
私もその血を引く息子である。おそらく認知症がまともにdnaに組み込まれていることだろうと思う。
そんな徴候がだんだんと我が身を襲って、最近特に感じるようになった。
そこで、どの程度能力・知力が衰えているのかを試したくなった。

以前から英会話をラジオの番組で聞き続けてきた。ほとんどは夢の中の子守歌ではあったが、その番組を聞くきっかけとなったのは、もう20年くらい前のことであった。
私の治療室に外人の女の人がきて、患者として施術したことから、始まった。

その外人はカナダの人で、このあたりの人を集めて英語を教えていることが彼女の仕事であった。
私は、患者と友達を誘って、我が家で一ヶ月に1回のわりあいで、1時間勉強を始めた。

先生は日本語がまだ十分でなく、生徒の私たちも英語は初めて、奇妙な教室が始まり、1年くらい続いたと思うが、彼女が結婚され、カナダに帰った後、変わりのアメリカ人が引きついでくれたが、その先生も1年近くで帰国されてしまった。

前置きが長いが、こういう英語との出会いをきっかけとして、基本となる考えは、私の脳の衰退が、どの程度あるものか、あるいは、なんとかその衰退を食い止めたいという要求を、英検の3級を受験することで挑戦してみようと思った。

お金はないし、海外へ行く心配もない。受かったからといって、自慢するだけの英語能力でもない。かえって物笑いになるのが自然な結果であろうと思う。

ともあれ、4月の始めに本屋さんへ行き、書類を2500円で購入し、所定の用紙に必要事項を書き、英検本部へ郵送した。

第1次試験は、5月十日に名古屋の南山大学で受ける通知がきて、当日でかけた。
緊張と、暑い日のため、汗は出る、昨夜は眠れず、ひどく疲れた状態で試験場に入った。
なんと3級は私一人であった。係にお聞きすると、視覚障害者は他にもきているが、級が違うということで、一人でうけた。

筆記試験は、35問、点字で表記されていた。視覚障害者は、一般の人より時間がやや長く、40分のところを1時間与えられた。
25問くらい進んだ時に、「後15分ですよ」といわれ、緊張の上にせかされて、馬鹿があわてるのだから、良いはずはない。
なんとか35問が終わって、次にリスニング。
これは、3部に分かれていてやはり30問ある。疲労と、それに伴う眠気がきて、英語の意味が聞き取れなくなった。
おそらく失敗になっただろうと思い、重い足取りで帰宅した。

2次試験は、7月の8日に、やはり南山大学で行われ、試験管と対面であい対し、会話をする試験で、始めに与えられた原稿を黙読し、20秒後に音読する。
そして、それにたいする英語での質問が1問、あるいは日本語で書かれた写真の説明が2問与えられ、後の2問は、生活の中から題材をとり、質問される。計5問で、時間的には一人5分程度だろうと思う。

私は、この試験の合否がどうあれ、私の弱さと記憶力の弱体化をいやというほど感じさせられ、私の目的とする能力の低下を見た挑戦であった。
しかし、誰が笑おうと、誰に見下げられようと、この挑戦が少しは私の脳を鍛えたことは私の利益である。

皆さん、笑われることをおそれず、人は無駄だと言うかもしれませんが、何かに挑戦することは何かを得ることであるのは確かです。
こうして、私が恥を忍んで私の挑戦を書いてみて、皆さんのパワーアップのきっかけとなれば嬉しくおもいます。

皆さんが、パソコンでも良いし、どこかの言語でも良いし、挑戦をしてみるのも良いと思います。私よりも若くて能力も盛んなときですし、なんでも良いと思いますので、是非何かに挑戦をしてみてください。