ソバ

「蕎麦(ソバ)はまだ 花でもてなす 山路かな」・・・・芭蕉

6月も半ばになると、散歩道の道端のところどころに可愛い花が現れる。 ハルソバ(春蕎麦)のこぼれダネから咲いた花である。
通常、ソバと言えば秋蕎麦が主で、9月に蕎麦処に行くと一面の白い花畑が見られるが、「香りの春蕎麦 味の秋蕎麦」 と言われるように春蕎麦も多く栽培され、特にこの地方では春蕎麦をあちこちで見る事ができる。 収穫が夏に入るので夏蕎麦ともよばれ、散歩道のところどころにも小さな蕎麦畑が見られるが、この近隣の荒川村では6月に一帯が一面の春ソバの花畑になり、多くの見学者が訪れる。
又、秋蕎麦の季節に小鹿野、秩父方面を訪れると赤蕎麦の花畑も見る事が出来る。

赤蕎麦

蕎麦の歴史は古く、縄文式時代の発掘現場にソバの痕跡が有ることから、数千年前から日本に存在していた事が定説になりつつある。
文献に現れるのは奈良時代で、 「続日本紀」 によると、天正天皇が諸国の国司にあて飢饉に備えて蕎麦の生産を奨励する詔(みことのり)を出したとある。
14世紀になると、蕎麦が年貢として納められるようになり、ソバガキ、ソバガユとして広く食べられていたようであるが、いわゆる粉食で、現在の形のソバではなかった。
現在のソバの原形は15世紀の寺院で作られたのが最初であるとされ、一般庶民の間で食べられるようになるのは江戸時代である。 寛永年間に朝鮮僧元珍が 「つなぎ」 に小麦を使用する事を伝えて以来、急速に普及したとされる。
江戸時代に蕎麦はひとつの食文化を形成し、あちこちに蕎麦処(そばどころ)が現れた。 一茶の句に 「信濃では 月と仏と おらが蕎麦」 があるが、これはでき過ぎで、後世の人が作ったとも言われる。 ただし、正真正銘の一茶の句に 「そば時や 月の信濃の 善光寺」 や 「そば所と 人はいふ也 赤蜻蛉(あかとんぼ)」 があり、いずれにせよ信濃は蕎麦処として名があったことが分かる。
「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」 と芭蕉が詠み、又、唐では白居易が 「月明らかにして 蕎麦の花 雪のごとし・・・」 と詠い、日本、中国を問わず蕎麦は花でも愛された。


一面に咲く蕎麦畑も見事であるが、道端で葉も茂らない内に花を付けるほうが可愛いタデ科の花であり、花びらのように見えるのは実際はガク片でこれがタデ科の特徴をなしている。

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