ヤマブキ

「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞあやしき」・・・・「後拾遺和歌集」

ヤマブキは太田道灌の故事で有名な花である。
江戸城を築城し、歌人としても有名な太田道灌が、現在の埼玉県越生町(おごせまち)付近で雨に遭い、農家で蓑(みの)を借りようと頼んだところ、農家の若い娘がヤマブキ(山吹)の枝を一輪差し出した。
道灌は訳が分からずに憮然として帰ったが、後に、 「後拾遺和歌集」 に上記の和歌が有る事を知り、農家の娘が貧乏で蓑が無く、「実の」と「蓑」を掛けて 「七重八重 花は咲けども 山吹の 蓑(実の)一つだに 無きぞ悲しき」 と表現した事が分かった。 自分の無知を恥じた道灌が歌道に励んだと言う。 越生町(おごせまち)には現在でも 「山吹の里」 がある。
ヤマブキは日本、中国を原産地とし、古くから愛された花で、万葉集に十首ほど詠まれ、源氏物語にも何回も登場する。 万葉集に次ぎの歌がある。 「ヤマブキの 立ちそよひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなくに」 「花咲きて 実は生らぬとも 長き日に 思ほゆるかも ヤマブキの花」。 近年では芭蕉が 「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」 と詠んでいる
歌に詠まれた山吹の多くは八重咲きで、確かに実は出来ないが、現在、山や野原で普通に見られる山吹は五花弁の一重(ひとえ)が多く、こちらの方は実が出来る。

八重のヤマブキ(山吹)

一重(ひとえ)のヤマブキ(山吹)

山吹の名の由来は 「山振」 が転じて山吹になったとされ、しなやかな枝が風にゆられる様子を表現したものとされる。 万葉時代にもしばしば山振の字が当てられている。 この様子を紀貫之は 「吉野河 岸の山吹 吹く風に そこの影さえ うつろひにけり」 と詠んでいる。

枝が風に揺られる山吹

小判の色を山吹色と言った様に黄色を濃くした花を付け、英名でジャパニーズーローズと呼ばれるバラ科の花である。 

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