ヤマユリ

ヤマユリ(山百合)は日本を代表するユリである。 1873年のウイ−ン万博に出品され、その花の大きさと芳香性でヨ−ロッパ中の注目を浴び、大正時代まで主要な輸出品の一つであった。
ヤマユリをベースにヨ−ロッパやアメリカで種々のオリエンタルリリ−が作られ、カサブランカ等近年では逆輸入されている。
風通しが良く、直接日光の当たらない半日陰を好み、筆者の散歩道の途中の観音山と呼ばれる古墳程度の大きさの山裾に咲く。 神奈川県の県花であり、群馬県、山梨県でも町花や村花にする所も多い等、特に関東方面に自生種が多く、この地方を代表する花である。


ユリ(百合)はその美しい花姿から現代では観賞用の花として見られることが多いが、元来、薬用、食用の花である。
ヤマユリやオニユリの鱗茎(ユリ根)は漢方では百合(ひゃくごう)の名で滋養、強壮、解熱等に用いられる薬となり、又、古代からこの鱗茎(ユリ根)は食用とされ、縄文時代から既に食用にされていたとする研究結果もある。( 「オニユリとユリ根」 の項参照)
もちろん、花としても愛でられ、万葉時代から多くの歌が残されている。 万葉集に 「 さ百合花 ゆりも逢わなんと 思えこそ 今のまさかも うるわしみすれ 」(今後も会いたいと思うから只今、貴女がいとおしいのです) と大伴家持が詠み、十首ほどが掲載されている。

万葉時代はヤマユリを含めたユリの事を 「さ百合」、「草深百合」 等 と呼び、どのユリを指すのか断定は難しいが、ヤマユリもその候補である。 又、ヤマユリは地方地方でいろいろな名前で呼ばれ、山に咲くユリとしてヤマユリと一般的に呼ばれるようになったのは近年の事である。
ユリの名の由来も明確ではないが、江戸時代に書かれた日本初の国語辞典 「和訓栞(わくんのしおり)」 には 「花大に茎細くして風にゆるるもて名つくる成るべし」 とあって、風に揺れる事からその名が付いたとする説が有力である。

ユリ科ユリ属の中でもヤマユリは花が最大級でユリの女王と呼ばれている。

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