ヒガンバナ


 「曼珠沙華咲いて ここが私の寝るところ」・・・・山頭火

ヒガンバナは秋の彼岸(ひがん)の頃咲くので彼岸花と呼ばれ、この世とあの世(彼岸)結ぶ花とされ、又、マンジュシャゲ(曼珠沙華)とも言い、梵語でも天界の花を意味する。
山頭火の句にもあるように、墓所と切っても切れない花であり、「曼珠沙華 抱くほどとれど 母恋し」 と中村汀女の句にもあるように、死と深く関わってきた。
そんなイメージが有るせいか、そこはかとなく寂しさを漂わせる花ではあるが、秋の田の畦や土手を鮮やかな真紅の色で飾り、日本の秋を代表する野の花で、特に埼玉県日高市の巾着田には大群落があり、有名な観光スポットとなっている。
ヒガンバナ科ヒガンバナ属の花で普通は真紅の花であるが、ショウキズイセンとヒガンバナの自然交雑で生まれたとされる白色の花もある。
日本のヒガンバナは総て3倍体で球根で増え、種は出来ず、自然交雑で白花のヒガンバナが生まれる事は不可能であるが、中国には2倍体のヒガンバナも有るという事なので、生まれは中国であろうか。

ヒガンバナと交雑種の白花

この花が田の畦や土手に多い事には理由がある。 彼岸の時期は稲刈りの準備の時期でもあり、又、先祖を迎えるため、田の畦や、土手の雑草を刈り取る事が古来より行われてきた。 雑草を刈り取った後にヒガンバナの花芽が伸び、雑草に邪魔される事なく花を開き、その後、雑草が枯れる頃に葉が出て、日を浴びながら栄養分を取り込めるので、ヒガンバナにとって田の畦や土手は生殖に最適地であった事が理由の一つである。
又、飢饉の時食料として役立つ植物を救荒植物と呼び、中国明代の書物 「救荒本草」 には約400種に及ぶ植物が記載され、その中にヒガンバナが含まれており、有毒の地下茎(球根、正確には鱗茎)を洗って、澱粉として食用にする為、ツルボ等と共に田の畦や土手に植えたと考えられる。( 「ツルボは救荒植物」 の項参照)
又、野ネズミを寄せ付けない為とも言われるように、毒草であるが、去痰、解毒の薬にもなる。
「彼岸花 花は葉を見ず 葉は花を見ず・・・・」 と言われた様に、花の咲く時期に葉がなく、その形からユウレイバナ、墓所に多い事からシビトバナ、全草に毒をもつ為ドクバナ等々、全国各地に様々な呼び名があり、普通あまり良い名では呼ばれない。
稲作と同じ頃中国から渡来し、万葉集にもイチシの名で読まれ、 「路の辺の イチシの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻を」 とある。 「いちしろく」 は著しくの意で 「いちし」 と掛詞になっており、 「あなたの事を皆に知られちゃったよ」 と言う恋歌になっている。 彼岸と関連付けられるようになったのはずっと後世の事であろうか。

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