クマガイソウ

「知勇兼備の将なれば 敦盛の首打ちかねて 無常の嵐 胸をかむ」・・・・直実節

クマガイソウはこの地の武将、熊谷次郎直実の名を冠したラン科の多年草で、別名ホロカケソウ(母衣掛け草)と呼ばれる様に、熊谷直実が背負った母衣(ほろ)に花の形を例えたものである。
源平時代の戦では、当時の武将は後ろからの矢を防ぐ為、母衣(ほろ)を背負って馬にまたがったが、その形から命名されたようにふっくらとした花姿が母衣(ほろ)を連想させる。


熊谷直実は現在の熊谷市出身の源氏の武将で、源平合戦に功があり、頼朝の覚えもめでたかったが、無常を感じて出家し、法然上人の弟子となり、京都に多くの寺を残した。
上の直実節にあるように、出家して敦盛(あつもり)の霊を弔ったと言う。
従って、クマガイソウに対しアツモリソウがあり、同じような形をしたラン科の花であるが、平家の若い公達を表わしてクマガイソウより派手である。 山の草原や明るい林内に咲くが、盗掘や自然環境の変化もあって、絶滅寸前にあり、この近くでアツモリソウを見る事は難しい。
熊谷、深谷地方は古くから都を遠く離れた田舎で、江戸時代でも中山道を日本橋から北に、板橋宿、蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿を経てやっと熊谷宿、深谷宿にたどり着く位置づけにあり、有名人は少なく、熊谷は熊谷次郎直実、深谷は渋沢栄一に止めを刺し、それぞれの銅像が駅前に建つ。
そういう意味ではクマガイソウは市を代表する花であり、日本の野生蘭の中では最大の品種で有るものの、アツモリソウと同様、絶滅が危惧されている品種で、なかなか見ることは難しいが、散歩道の途中に幸安寺というクマガイソウで有名な寺があり、そこに咲く。
針葉樹林や竹林等に自生し、地下茎で増えるが、盗掘等で、年々その数を減らしており、保護に努めている幸安寺や武蔵丘陵等、咲く場所は限られる。

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