カタクリ

春になると雪をかき分けるようにして芽を出し、一面の花畑を作って、かげろうの様にはかなく、あっという間に消えていく花の一群があるが、ヨーロッパではこれをスプリングエフェメラル(春のかげろう)と呼び、カタクリはその呼び名に似つかわしい花の一つである。
北半球温帯に25種程生育するユリ科の花で、日本にも一種生育し、古来からカタカゴ(堅香子、傾篭)として愛でられ、大伴家持が国司として富山に赴任した時に 「もののふの 八十娘(やそおとめ)らが 汲みまがう 寺井の上の 堅香子(カタカゴ)の花」 と詠んでいる。 「もののふの」 は 「多く」 の枕詞で、清水を汲みに来る大勢の乙女達の笑い声や、その周りに乙女を象徴するような可憐なカタクリの花の咲く情景が目に浮かぶ。
カタクリは7−8年の一枚の葉の時代を経て二枚葉となり、やっと花を付ける。 片葉の頃には葉の表面に鹿の子(かのこ)模様が目立ち、その為、 「片葉の鹿の子」 からカタカゴになったとする説や、花の形が傾いた篭に見えるので 「傾篭」 からカタカゴになったとする説がある。 カタクリの名もカタカゴが転化してカタクリになったとする説や根の鱗片の形が栗の片割れに見える為、片栗からカタクリになった等諸説ある。
種子にエライオソームと呼ばれるアリが好む成分を付け、アリに種子を運ばせて分布を広げる特性を持つが、スミレ、ホトケノザ、イカリソウ等、野の花にはこのような花が多い。


かっては、若い葉はゆでてお浸しや、和え物として食べられ、鱗茎からは上質の澱粉がとれ、片栗粉として用いられた。 江戸時代の記述によると片栗粉(かたくりこ)は病後に食の進まない人の滋養として推奨されていたようであるが、葛粉(くずこ)のように多くは採れず、希少な食品であったようである。
生活に密着した花として少し前までは何処にでも咲いていた花であるが、現代では見ること自体が難しくなりつつあり、埼玉県の絶滅危惧種に登録され、又、片栗粉と称されるものもジャガイモの澱粉から作られたものである。
幸いな事に筆者の散歩道の途中に観音山と呼ばれる古墳程度の大きさの山があって、標高97.5m、周囲1キロメートル程度の丘で、周囲の土地より僅か40m程度高いに過ぎないが、麓の竜泉寺の寺社林になっている為、開発や乱獲から免れて、昔の里山がそのまま残されていて、この花が咲く。  地元有志の方々が下刈り等、保護に努めておられ、群生が見られる。
この地方(熊谷市、深谷市近隣)は日照率日本一を誇り、特に冬から初春にかけては晴天が続き、空気も澄むが、そんな日に散歩道の途中の田の中に立つと、北東に日光連山、北に赤城山、谷川岳山系、北西に浅間山、秩父連山、西に雲取山系等、実に日本百名山の内の十峰以上の頂が一望の下に見える(写真下)。 場所を変えれば富士山も見る事ができる。
ただ、散歩道は関東平野の真っ只中にあるので、山らしい山は無いが、唯一観音山と言う古墳程度の大きさのものがある事でこの花が咲き、有志の方々の手厚い保護のお陰もあって散歩がてらに見る事が出来るのはありがたい事である。

日光白根、男体山       赤城山          上州武尊山

苗場山、谷川山系         浅間山              両神山

       雲取山          龍泉寺          観音山          

次へ

最初のページへ戻る