憲法第9条について考えること Page.1

2005.04.23

*この文章は、2005年2月25日に開催された日本生協連医療部会・2004年度教育責任者会議における講演をもとに加筆・修正したものです。中身については、これまでの文章で取り上げたことと重複する内容も多々あるのですが、憲法問題、特に第9条改憲に関する私の最近の問題意識を包括的に述べていますので、そのまま掲載します(2005年4月23日)。

はじめに

ここでは、まず第1に、日本国憲法第9条の「戦争放棄」について、第9条が私たちにとってどういう意味を持っているのかということを考えます。近頃は、「9条はもう古いのではないか」、「軍事的国際貢献をやるうえで、9条を改正するのもやむをえないのではないか」ということが、国連がらみでいろいろ議論される状況があります。まず、そういう議論が的を射ているのかについて解説するつもりです。そのうえで、第9条が戦後の日本の政治においてずっと争点になってきたわけですが、第9条が争点になってきた事情を、改憲派の側から見た場合の問題点と国民の側からみた場合の問題点という2つの角度から検討しようと思います。

第2のテーマは、アメリカの対日改憲要求と集団的自衛権という問題です。つまり、改憲派が進めようとしている現在の改憲に向けての動きは、アメリカからの強い要求・圧力のもとで起こっていると、私は判断しています。その点をしっかり押さえる必要があると考えます。そのかかわりで、集団的自衛権の問題についても改めて考えておきます。そして、そのアメリカの要求に対して、小泉政権を含む改憲派がどのように対応しようとしているかという点について検討します。

第3番目のテーマは、世界とくにアジア諸国にとっての第9条の意味という問題です。ここでは、中国の問題が近年急浮上しておりますので、その点についても触れたいと思います。

第4番目のテーマは、第9条に代表される平和憲法を守るために、私たちに求められている課題は何かということです。私は、いろいろな集会に伺っていますが、改憲反対を訴える自分たちの声が多くの国民の中になかなか広がっていかない、という悩みや疑問に接します。私自身もなかなか納得できる答えが見つからないでいる問題ですが、そのことについて考えていることをご参考までに述べたいと考えます。とくに、私たちの周りにいる多くの人々に積極的に反応してもらえるようにするためにはどうしたらいいのか、ということについて、いくつかの具体的な提案を行いたいと思います。

1 第9条の「戦争放棄」と私たちにとっての意味

(1)「戦争放棄」の第9条が持つ意味

最初に、第9条の「戦争放棄」は、私たちにとってどういう意味を持つ規定なのかということについて、確認の意味を込めて、考えておきたいと思います。

・第9条の出発点:軍国主義の過去との徹底的な訣別

「9条の意味はどこにあるでしょうか」と聞かれた場合、多くの方の答えは、「そんなことは分かりきっているではないか。9条の意味は反戦平和だ」ということになるのではないか、と思います。その答えには、一見疑問の余地がないように感じられます。

しかし、私が常々問題を感じるのは、「反戦平和」という言葉にどういう意味が込められているか、ということです。多くの方と話してきた私の体験からいいますと、「第9条=反戦平和」という受け止め方の中身が、「戦争はこりごり」とする素朴な国民感情の次元にとどまっているように感じられてなりません。

確かに、日中戦争から太平洋戦争に至るいわゆる15年戦争は、多くの国民に大変な犠牲を強いましたし、言葉に言い尽くせない傷跡を残しました。ですから、「戦争こりごり」という戦争の被害者としての気持ちが、「第9条=反戦平和」という国民的な受け止め方の支えになってきたことは、ある意味では自然なことだと、私も理解するのです。

しかし、「戦争こりごり」という戦争被害者としての素朴な国民感情だけに基礎をおく「第9条=反戦平和」という受け止め方には、大変な落とし穴があると思います。つまり、戦争の傷跡がいやされ、戦争についての生々しい記憶が薄れていけば、「戦争こりごり」の気持ちも次第に弱まっていく運命にあるということです。

戦後の日本で起こったこと、そして今もなお進行中の事態は、まさにそういうことではないでしょうか。日本経済が急速に復興し、国民生活が豊かになるにつれて、時間の流れとともに、国民の間で戦争の記憶が薄れていくこと、そして戦争の記憶に基礎をおく「戦争こりごり」の感情も弱まっていくことは避けられないことです。

その結果が、「戦争こりごり」の感情に基礎をおく「第9条=反戦平和」という受け止め方にとどまった護憲派の訴えが、次第に国民に対する説得力を弱めることにつながってきたのではないか、と私は考えています。

私は、戦争放棄の第9条はもっと積極的な意味内容を持っているのではないか、と思います。

すなわち日本は、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏しました。ということは、敗戦後の日本は、ポツダム宣言に盛り込まれた対日要求を実現することが義務づけられていたということです。ポツダム宣言は、敗戦国・日本が徹底的に軍国主義と決別すること(第6項)、日本が民主国家、基本的人権を尊重する国家に生まれ変わること(第10項)を要求していました。

ポツダム宣言には、中国が当事国の一つとして加わっていました。日本が軍国主義と決別することを受け入れたということは、日本が二度とアジア(及び世界)に対して侵略戦争をする国家とならないことを国際的に誓ったということなのです。そういう誓いであったことがもっとも重要な点であって、その点を私たちは片時も忘れてはならないと思います。

その点さえしっかり踏まえている限り、ポツダム宣言をふまえて作成された平和憲法、とくに第9条は、単純な「戦争こりごり」の感情に基づ

「反戦平和」の立場の表明にとどまらない、徹底して軍国主義の過去と決別するという中身を持っていることが分かるはずです。

ポツダム宣言で受け入れた侵略戦争をしないという約束の重みをしっかりと受け止める私たちであったならば、第9条についての受け止め方ももっと違ってきただろうし、そういう受け止め方が定着していたならば、今日現実になりつつある第9条をおろそかにする議論が易々と力を得るような状況にはならなかったのではないか、と私は考えるのです。第9条改憲が公然と唱えられるようになった今、私たちはなおのこと第9条の意味を再確認する必要があると思います。

・戦争放棄を約束した主体は国家の主人公である「日本国民」

次に重要なことは、第9条で戦争放棄を約束した主体は、民主主義の下で国家の主人公となった日本国民であり、政府ではないということです。前文でも第9条でも、「日本国民は」という書き出しです。けっして「日本政府は」ではないのです。そういう基本的なところを私たちがしっかり押さえるだけの主体的な自覚があるならば、今、改憲派の人たちがあたかも自分たちが憲法を変えるのだと盛んに動いていることに対して、主権者である私たち国民が受け身的にそれを呆然と見守ることは到底許されることではないということを、しっかり認識してかかる必要があるということを申し上げておきます。

・国連憲章と第9条

第9条の意味を、以上に述べましたように、非常に積極的に、対外的に日本のあるべき姿(再び軍国主義の道を歩まないこと)を約束した条項であるということを確認したとしても、国連といういわば「正義の味方」(そのような存在として国連を受け止める日本人が多い)が武力行使をする、あるいは武力行使を容認するケースには、その国連が決めたことについて日本が参加する、いわゆる軍事的国際貢献をするのはやむをえないのではないか、あるいは当然ではないのか、という議論が出てきます。その問題に対して、私たちはどういうふうに考えるべきなのでしょうか。

ここでまず確認しておかなければならないことは、第9条は徹底して「力(武力)によらない」平和を目指すという点で、国際の平和と安全が損なわれる事態が起こった場合には、「力(武力)による」平和を実現する立場にも立っている国連憲章とは、根本的に性格を異にしているということです。

ともすれば私たちは、「国連憲章も恒久の平和を目指す立場に立っている」、「恒久の平和を目指す点で、国連憲章と日本国憲法は同じだ」と考えがちです。たしかに恒久の平和を目指すという点では、国連憲章と日本国憲法の立場は同じです。

しかし、その恒久の平和を実現するうえでの道のりにおける身の処し方という点では、日本国憲法と国連憲章は根本的に違うのです。すなわち、日本国憲法は、過去の侵略戦争の反省に基づいて、いかなる場合にも固く自分を縛る、すなわち戦争放棄という立場に立っています。これに対して、日本、ドイツ、イタリアの侵略による被害者であった国際社会、及びその国際社会を代表する国際組織としての国連は、侵略者、平和を破壊するものが現れたときには、それに対して軍事力をもって対抗しなければならない場合があるという立場です。ですから、国連憲章は武力行使を容認する内容になっています。私たちは、このような第9条と国連憲章の間の基本的な違いを明確に理解しなければならないのです。

ちなみに、民主党の改憲に関する中間報告を見ますと、私が以上に申し上げた国連憲章と日本国憲法の根本的な立場の違いをことさらに曖昧にして、憲法と国連憲章は同じ考え方に立つものだとして両者を結びつけています。そして、日本は国連が行う武力行使については積極的に協力することができるように、第9条を変えるという議論にもっていこうとしています。しかし、第9条と国連憲章の間には根本的な違いがあるのだということを踏まえれば、私たちは民主党の提案に込められたからくりと欺瞞をすぐに見破ることができます。

また、私たちの中にも、「国連安保理が決めたことは正しく、それには従う必要があるのではないか」という受け止め方があります。しかし、私のこれまでの国連研究の一端を申し上げれば、そういう理解はまったく誤解に属するものです。

たしかに、安保理決議が決定した措置については、加盟国にはそれを守る義務があります。それは国連憲章25条に書いてあります。軍事的ではない非軍事の措置については、この決定に日本は無条件で従わなければならないということになります。典型的な例は、南アフリカがアパルトヘイト政策をとっていたときに国連安保理が経済制裁決議を行ったことがありますが、そのときに日本政府は直ちに南アフリカに対する禁輸措置をとりました。それは無条件であります。

*第25条【決定の拘束力】 国際連合加盟国は、安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾し且つ履行することに同意する。

しかし問題は、国連が武力行使を決めたときに、日本はそれに参加する義務があるのかということです。この点がポイントなのですが、軍事的措置については、加盟国が自分でどうするかを決めることを国連憲章自体が定めているのです。安保理が決めたことでも、各国(当然日本も含む)は、自分の行動を自ら決めることができることを規定しているのが国連憲章の第43条、とくにその第3項です。

第3項は、安保理と加盟国との間で兵力提供についての協定を行うことを定め、その協定については、「署名国によって各自の憲法上の手続きに従って批准されなければならない」と規定しているのです。

ということは、国連加盟国である日本の憲法第9条は、あらゆる武力の行使・威嚇を禁止しているわけですから、日本はそもそも安保理との間で兵力提供の協定を結ぶいわれはないし、ましてや兵力を提供する義務はないのです。ですから、国連憲章上、安保理が武力行使を決定しても、日本がそれに参加しなければならないということはまったくないわけです。

*第43条【特別協定】

  1. 国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
  2. 前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。
  3. 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。

近年の例でいえば、1990〜91年の湾岸戦争において、イラクに対する武力行使を認める決議が安保理でなされました。しかし現実にアメリカと一緒になってイラクに対して戦争する多国籍軍に参加したのは、わずか24ヵ国にとどまりました。国連加盟国数は180を超える中で、それだけの数の国しか武力行使に参加しなかったということです。その理由は、武力行使に参加するかどうかについては各国の判断に委ねられているからでした。各国の判断について、アメリカは何もいうことはできないし、国連安保理としてもどうすることもできないのです。

まして、国連安保理決議のお墨付きも得られないままにアメリカが強行した2003年のイラクに対する戦争では、当のアメリカですら、「有志連合の国々による多国籍軍」という表現を使わざるを得ませんでした。「有志連合」というのは、要するに、「武力行使に関する安保理決議というお墨付きを得ていない(つまりは、違法の戦争である)ことには目をつぶって、アメリカのいうことを聞いてくれる国々」ということです。

以上からお分かりいただいたと思うのですが、要するに、日本としては、安保理決議があろうとなかろうと、武力行使に参加しなければならないという義務はまったくない。このことをまずしっかり確認しておきたいと思います。

日本の国際的な「軍事貢献」を主張する側からは、「国連憲章上の規定はそうであったとしても、今や日本は大国であるから、なにもしないわけにはいかないではないか」とか、「国際社会の重要な一員である日本が、国際社会の努力に対して何もしないで黙って見ぬふりをするということで許されるのか」という議論もよく行われます。

このような議論に対しては、まず私が指摘したいのは、1990年以降、国連によるあるいは国連が認める武力行使は増えてきたけれども、その武力行使によって円満に解決された国際問題あるいは地域紛争は、ほとんどいっていいほど、ないということです。要するに、武力行使が国際紛争、国際問題の解決の手段として有効であるということはまったく証明されていないのです。逆に、武力行使に訴えることによって大きな後遺症を残すことがしばしばであるということは、イラク戦争後の現地の実情が示しているとおりであって、むしろ武力行使によって傷口を広げることの方が多いという点を指摘しておきたいと思います。

それでは、武力行使以外の手段で問題が解決した例があるのかという疑問が出されるかもしれません。非軍事の取り組みは地味であり、目立たないことが多いのですが、エイズ、貧困、砂漠化など、いろいろな問題において国際社会が全力で取り組まなければならない課題は山積みです。ここでの問題は、先進国が必要なお金を出し惜しみするために事業の進展が阻まれているということです。それは、みんなが分かっていることなのです。今、アメリカはイラクを軍事的に押さえ込むために、1ヵ月で約50億ドル以上のお金を使っていますが、それだけの金額が非軍事の分野の問題の解決に回されるだけでも、相当大きなことができるのではないでしょうか。

国連に関して、もう1点申し上げておきたいことがあります。それは、国連安保理は常に正しい決定を行うのか、という問題です。事実が示しているように、国連安保理はしばしば間違った決定をしてきています。しかも、間違った決定に基づいて武力行使を行って、そのあげく失敗して引き上げることを余儀なくされ、そのあとには惨憺たる後遺症に悩まされる国が残されるという例まで生まれています。その典型的なケースはソマリアです。ですから、国連安保理が決めたからといって、それを無条件で肯定するという姿勢をとることもおかしいということを考えておいていただきたいと思います。

結局、いろいろな紛争の根源をたどっていけば、たどり着くのは貧困問題であります。貧困問題を解決しなければ、様々な国際問題の根本的な解決にはつながらないのだという理解は、国際的に見れば、日増しに増えています。貧困という問題の解決は、およそ武力行使によって解決がつくものではなく、逆に、武力行使をすれば貧困はさらに深まる、ということは幾多の事例が示すとおりです。この点でも、軍事貢献という議論の欺瞞性をはっきりさせることができますし、またしなければならないと思います。

これらのことを確認すれば、日本としては、平和憲法のもとに、力によらない平和という立場に立って、軍事面以外の分野で国際問題の解決に対して協力していくという姿勢を明らかにすれば、国際社会の広い納得と支持が得られる、ということに確信を持つことができると思います。ですから、第9条はまったく古くさくなっていないし、今こそその命を輝かせる、そういう客観的状況にあるということを申し上げておきたいのです。

(2)第9条はなぜ戦後政治の中で揺れ動かされてきたのか

平和国家・日本の代名詞ともいうべき第9条が、戦後政治の中で揺れ動かされてきたのはなぜでしょうか。3つのポイントをあげることができます。皆さんもよくご承知の内容だと思いますので、ここでは簡単にお話しします。

・アメリカの対日政策の転換

第1かつ最大の原因は、日本を占領したアメリカの対日政策が180度変わってしまったということです。

アメリカは、第2次世界大戦後の当初は、中国をパートナーとしてそのアジア政策を進めることを考えていたために、ポツダム宣言に即して日本を非軍事化し、民主化する政策をとっていました。そのことが、平和主義、人権・民主主義を体現する平和憲法の成立を可能にしました。

ただしその政策は徹底したものではなかったことを指摘しておく必要があります。つまり、アメリカは占領支配を容易にするためという便宜的考慮に基づいて、過去の侵略戦争・植民地支配の最高責任者であった昭和天皇の戦争責任を早々と棚上げにし、平和憲法の中にも象徴天皇制を盛り込んだのです。そのことは、日本が主体的に軍国主義の戦争責任を追及し、過去と決別する機会を封じてしまいました。

今日、韓国や中国で厳しい対日批判が起こっています。その根源にあるのは、日本が過去の教訓を真摯に受け止めないで、韓国や中国の人々の感情を傷つける言動(小泉首相の靖国神社参拝、歴史教科書検定問題、「大国」になりたい一心でがむしゃらに推し進めようとする国連安保理常任理事国入りに向けた動き、韓国との間の竹島問題、中国との間の台湾問題や東シナ海での天然ガス開発問題等々)を繰り返していることにあります。韓国や中国の厳しい対日批判を目にするにつけても、敗戦後の日本が過去と徹底的に決別しないまま、ずるずると今日まできてしまっていることの問題の重みを感じないではいられません。

話を元に戻します。当初は日本を非軍事化し、民主化することに熱心だったアメリカですが、アジアで冷戦が深まる(中国の社会主義化、朝鮮半島の南北分断)と、日本を反ソ反共の砦として位置づけ、第9条を邪魔者扱いし、日本に再軍備を強いる政策に変わっっていったのです。ただし、アメリカは、邪魔な存在になった第9条を改めることを望んだのですが、再軍備という要求を日本が受け入れる限り、第9条改憲を無理強いすることまではしませんでした。

・保守勢力の日米安保条約受け入れと「解釈改憲」

それでは、アメリカの再軍備に関する要求を満たすために、日本の保守政治がやったことは何だったでしょうか。ひとつは、警察予備隊(後に自衛隊になる)という名目で実質的な再軍備に応じたことであり、もう一つは、独立回復の代償として、アメリカ軍の日本駐留を可能にする日米安保条約を受け入れたことです。

アメリカが日本の再軍備を要求するまでは、当時の保守政権であっても、第9条のもとでは再軍備はあり得ないとしていたことでした。しかし、アメリカの強い要求を前にして、政府は第9条に関するそれまでの立場・解釈を変更するという手段に訴えて、再軍備の道に踏み込んでいったのです。

また、日米安保条約についていえば、軍事力によって平和を守ることができるという「力による」平和の考え方にたっている点で、過去の侵略戦争の反省に基づく「力によらない」平和の実現を目指す平和憲法とは「水と油」の関係にありました。つまり日本の戦後保守政治は、日米安保条約を結ぶことによって、早々と平和憲法の根本精神を突き崩したのです。

安保条約を結んでおきながら憲法は変えない、ということは本来ありえない選択でした。本当に法治国家であるならば、どうしても日米安保条約を結ぶというのであれば、憲法を改正するという手続きを踏むべきです。しかし、憲法は改正できないというのであれば、日米安保条約を結ぶことはあきらめなければなりません。しかし保守政権は、当時の国会の構成などから見て、憲法改正提案に必要な国会の3分の2の議決という要件を満たすことができないという判断の下に、ここでも第9条の解釈をひねくり回すという手段に訴えることによって、法治国家としては絶対あってはならないことを強引にやってしまいました。

この点について、国民の反戦意識が強かったから、とても改憲提案ができなかったのではないかと考える向きもあります。けれども、朝日新聞の世論調査などをチェックしますと、実は国民世論においては、朝鮮戦争の時期(1950年9月と51年9月の2回)には第9条改憲に賛成と答えたものが多数を占めていました。ですから保守政権としては、自分たちの政策的選択(再軍備と日米安保条約締結)に自信があったのであれば、衆議院を解散し、民意を問うという法治国家本来のルールを踏んで、憲法を改正する条件はあったはずなのです。しかし、そうするだけの自信が持てなかった保守政権は、「解釈改憲」という邪道を選択したということです。

この解釈改憲の道を選んだことは、戦後日本の民主主義に大きな歪みをもたらすことになりました。最高法規である憲法、とくに第9条について、政府の都合次第でどんな解釈も可能、ということが横行するということは、国民の間に政治に対する不信感を引き起こさずにはすみません。そして、国民を無視したそういう政治を変えることができないという事態が長引けば長引くほど、国民の間には無力感さらには無関心を生むことになりました。

今日とのつながりという点に引きつけていえば、平和憲法そのものが危機に瀕している今日の状況になっても、多くの国民が長年にわたって蓄積されてきた政治的無関心から抜け出すことができないでいるという事態は、解釈改憲を繰り返してきた保守政治に国民が「慣らされてきた」結果であるということもできるでしょう。

(3)保守政治の目の敵にされてきた第9条

戦後の保守政治は、以上のように「解釈改憲」によって第9条の中身を実質的に空洞化することに成功してきましたが、それだけで満足するということはありませんでした。彼らにとっては、第9条の存在そのものがじゃまであり、いわば「目の敵」だったのです。それはどうしてかといいますと、最大の問題は、天皇以下の保守勢力がポツダム宣言を受け入れたのは、「原爆投下でもはやこれまで」という諦めからであって、自分たちが侵略戦争という悪いことをやったことを反省した、ということではなかった点にあります。

そのことを端的に示しているのが昭和天皇の「終戦の詔書」です。詔書の中で天皇は、日本が太平洋戦争をやったのは、「帝国の自存と東亜の安定を望むからであって、他国の主権を排し領土を侵すというようなことはもともと私の志ではない」と言いはっているのです。つまり、自分たちがやった戦争を侵略戦争だったと認めているわけではないのです。

「終戦の詔書」(抜粋)

「米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」
「朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」

この詔書に代表されるように、昭和天皇以下の保守勢力は、自分たちがとんでもないことをしたということを率直に認める気持ちはまったく持ち合わせていないのです。アメリカのトルーマン大統領が、広島、長崎の原爆投下のあとも日本が降伏しないのであれば、さらに原爆を投下するぞという脅しをかけたので、彼らは「もはやこれまで」と頭を下げたにすぎませんでした。

そういう過去を反省していない保守勢力にとって、ポツダム宣言の対日要求を体現し、過去との決別を集中的に表現する第9条は、自分たちの過去を否定するに等しい存在と受け止められるのです。まさに「目の上のたんこぶ」であったということです。ですから、対米追随を対外政策の基本方針にしながら、1955年の保守合同で自民党ができた際に、「自主憲法」制定をいち早く掲げたのは、まさにそういう彼らの歴史認識、過去を美化しようとする姿勢によるものであったということがわかります。

さらに、日米軍事同盟の下で正真正銘の「戦争する国」になるうえでも、第9条は邪魔者以外の何ものでもありません。したがって解釈改憲というのは、保守勢力にとってはあくまでも一時しのぎの「次善の策」という位置づけであって、解釈改憲ではもう立ちゆかなくなれば、必然的に第9条改憲という日程を政治にのせてこなければならない。そして、それが今の状態であるということです。

(4)いま国民は第9条をどのように見ているか
・朝日新聞の世論調査結果

いま国民は、第9条をどのように見ているのでしょうか。いろいろな調査がありますが、2004年の5月1日付の朝日新聞の世論調査の結果が多くの判断材料を提供していますので、ここでは、その内容をふまえながら考えることにします。

近年では、2001年の調査で第9条改憲に賛成17%、反対74%だったのに対して、2004年の調査では賛成が31%、反対が60%を記録しています。傾向としてみてみますと、第9条改憲賛成は、83年12月の調査以来右肩上がりで増えてきている。それに対して9条改憲反対は、90年12月に最高80%を記録して以来、ずっと右肩下がりの傾向を続けてきています。

次に、とくに若年層の政治に対する無関心ということがよく言われることをふまえ、年代別の数字について見ておきます。2004年の調査では、第9条改憲賛成は、20代が33%、30代が30%、40代が28%、50代が33%、60代が33%、70才以上が30%です。他方、第9条改憲反対は、20代が62%、30代が64%、40代が65%、50代が59%、60代が57%、70才以上が54%となっています。つまり、賛成派については年代によって差が顕著でないのに対し、反対派については40代を頂点にして、それ前後の年代では、年代ごとに数字が小さくなっていることが分かります。

しかし総じていえば、年齢差はあまりないといっていいでしょう。政治に無関心だといわれがちな若者層も、ほかの年代とそれほど違いがないということです。

・9条改憲反対の60%は安心材料とはいえない

ここで私がとくに考えておきたい問題は、2004年の5月1日の調査における第9条改憲反対が60%という数字をどう見るかということです。「減ってはいるけれどもまだ60%もいる」というように安心材料としてとらえるのか、それとも「この60%には何か不確実要因があるのではないか」として、もう少し慎重に見るべきなのかという問題です。

この点について私自身は、この60%という数字に安閑としてはいられないという見方を持っています。

多くの国民は、「第9条があったから、日本はこれまで平和で来られた」と感じ、第9条を肯定的に見ていると思います。いわゆる護憲派の人たちの間でも、戦後日本が戦争をしないで済んできたのは第9条があったおかげだ、と理解している人は結構多いのではないでしょうか。最近もいろいろな集会で、私はそういう反応に出会いました。

しかし私は、このような第9条認識はまったく事実に合わないと思っています。

1972年の本土復帰までアメリカ軍の占領支配に置かれていた沖縄の現実、朝鮮戦争やヴェトナム戦争、さらにそれ以後のアメリカの数々の戦争において、日本が発進・中継基地としての役割を担った事実を考えれば、日本人は戦争に直接手を染めていないからといって、「日本は平和であった」と言いきれるでしょうか。アメリカの戦争の相手国となったヴェトナムや朝鮮の人々、最近ではイラクの人々にとっては、日本がアメリカに基地を提供しなかったら、自分たちに対してアメリカは戦争できなかったではないか、と思っても当然です。

つまり、客観的に見れば、日本は戦争をしていない平和な国であったわけではないのです。むしろ、第9条があったにもかかわらず、アメリカに協力するという形で日本は戦争してきた、と認識することが求められているのではないでしょうか。「第9条のおかげで平和で来られた」といって現実から目を背けるのは、正しい第9条理解ではないと、私は強く思います。

そういう点で、戦争責任の反省の上に、「力によらない」平和の考え方に立って国際関係にかかわることを方針とすることを指し示している第9条の本質と、いわゆる護憲派を含めた多くの国民の第9条に関する受け止め方の間には、非常に大きなズレがあると思います。

・国民が支持している第9条とは何か

私たちが率直に認めざるをえないのは、多くの国民が支持しているのは、解釈改憲で次のように歪められた第9条ではないかということです。つまり、第9条改憲反対の立場をとる人々の多くが理解する第9条の中身は、実は本来の第9条ではなくなってしまっているのではないかということです。

もう少し具体的に、私が何を言おうとしているかについて説明しておきます。例えば、「自衛隊は現在の第9条の下で合憲である」と理解している人が、各種世論調査によっても国民の多数を占めている現実があります。1990年代以降になりますと、「自衛隊による軍事的国際貢献は第9条の下でも認められる場合がある」、したがって「自衛隊の海外派遣も、第9条の下で認められる場合がある」と理解する人が、これまた各種世論調査で国民の過半数を占める状況が生まれております。最近では、「国連安保理決議の『お墨付き』があれば、自衛隊が海外で活動するのも違憲ではない」という第9条理解すら浸透しつつあります。

このように、いまの第9条の下でも「自衛隊は合憲である」、「軍事的国際貢献が認められる場合がある」、「国連のお墨付きがあれば自衛隊が海外で活動するのは違憲ではない」という理解を前提にしたうえで、第9条をそれ以上いじる必要はない。このように考える第9条改憲反対派が、実は上記世論調査の60%という数字の中のかなりの部分を占めているのではないかということを、私は指摘する必要を感じているのです。

つまり、第9条改憲反対の立場をとる人々の第9条についての認識は決して一枚岩ではない可能性が大きいということです。私たちが考えているような自衛隊の存在そのものが憲法(第9条)違反、軍事的「国際貢献」も違憲、自衛隊の海外派遣ももちろん違憲、という理解・認識に立って第9条改憲反対という立場ではなくて、現状を肯定して、その肯定した現実を動かさないという意味で第9条改憲反対をいう人がかなりの数あるのではないかということです。

この問題を私が重視するのには理由があります。つまり、自民党をはじめとする改憲派は、現状肯定にたったうえで第9条改憲反対の立場をとる人々の抵抗感をできる限り和らげる表現で改憲案を工夫しようとしていることが明らかになってきているからです。

例えば、改憲派も「平和主義は堅持する」といっています。具体的には、現在の第9条の第1項(戦争放棄条項)はそのままでいい、としているのです。しかし、自衛隊は合憲の存在であることをはっきりさせるために、現在の第9条第2項については改める、という言い方です。軍事的「国際貢献」については、まだ様々な主張が行われていて集約されていませんが、少なくとも何らかの国際貢献を行うことを認める趣旨の規定を盛り込むという方向で、改憲派の議論は進んでいます。

有り体に言えば、改憲派の人々が言う「平和主義」とは、軍事力によって平和を守るという「力による平和」のことです。そのような考え方・立場は、前にも言いましたように、過去の反省にたったうえでの「力によらない平和」の考え方・立場に立つ平和憲法の平和主義とまったく相容れないものです。

改憲派の人々が第9条第1項はそのままでいいということも、額面通りに受け止めたら、とんでもないことになるのです。彼らのいう「戦争放棄」とは「侵略戦争の放棄」ということであり、「侵略戦争」でない戦争はやっていいのだ、という含みが込められているのです。一切の戦争を放棄するという第9条の本来の趣旨はかき消されてしまっています。古今東西を通じて、侵略戦争をするときでも、自分から公然と侵略戦争をするというようなケースはない(例えば、日本の軍国主義が行った数々の戦争も、すべてが自衛のための戦争として正当化されました)わけですから、改憲派のいう「戦争放棄」では、戦争の可能性が無限に広がるということになります。

したがって、改憲派の人々が「平和主義」及び「戦争放棄」という言葉を残すことに応じているからといって、素直に喜ぶわけにはいかないことがお分かりになると思います。しかし、メディアの報道姿勢から判断するとき、改憲派のいう「平和主義」「戦争放棄」と、平和憲法にいう平和主義と戦争放棄とは180度違う中身であることを、第9条改憲反対の立場をとる国民のうち、どれだけの人が見破ることができるか。私は、はなはだ心もとない気持ちにさせられます。

自衛隊の軍隊としての合憲性をはっきりさせる趣旨で第9条第2項の規定は変える、あるいは、軍事的「国際貢献」ができるようにするための新たな規定をおく、という改憲派の主張については、現状肯定の趣旨から第9条改憲反対の立場をとる多くの人々にとっては、それほど警戒心を呼び起こすものではないのではないか、という危惧感を私は抱きます。

しかし、ここにも重大な問題が潜んでいます。まず、「自衛隊」という言葉は、文字通り「自衛のための実力」というのが本来の意味です。そこには、過去の侵略戦争の反省にたって海外で活動することに対しては極力自制的であるべきである、という意味が込められています。そうであればこそ、自衛隊の海外派遣の合憲性が議論されてきたのです。しかし、改憲派は、自衛隊が「軍隊」であるという点を強調することによって、日本の軍隊が海外で自由に活動することができるようにすることに目的があります。改憲派は、わずかに表現・言い回しをいじることによって、現状肯定の観点から第9条改憲反対の立場をとる人々の警戒心を取り除きながら、自らの目的は実現しようとしているわけです。

何らかの軍事的「国際貢献」を可能にするための規定をおく、という改憲派の主張についても、同じような問題が潜んでいます。ここではとくに「国際貢献」という言葉の中身が問題になるでしょう。先ほども指摘しましたように、改憲派の間でもこの点についての議論はまだ集約されていないので、断定的なことを申し上げることは控えます。しかし、後で取り上げるアメリカの対日要求の中身を前提にすれば、問題の所在はある程度つかむことができます。

問題は、アメリカの対日軍事要求にどこまで応じることを可能にする内容あるいは解釈の幅を持たせる規定にするか、という点にあることは間違いありません。もっと率直に言えば、アメリカが要求することには何でも応じることを可能にする規定にするか、それとも、アメリカの要求といえども、そのすべてに無条件に応じるわけにはいかない(それでは国民には受け入れられない)から、何らかの歯止めを設ける趣旨の規定にするか、ということを巡っての改憲派内部での争い、という形になると思われます。

いずれにしても改憲派の人々は、現状肯定の観点にたった第9条改憲反対派の警戒心を招くことがないような規定ぶりにすることに最大限の努力を払うであろうことは、容易に想像がつきます。「寝た子を起こす」ことになれば、第9条改憲そのものが水の泡になってしまうのですから。逆に言えば、改憲派が本音を簡単に国民に見破られるような動きをとるとは考えにくいわけで、現状肯定の観点にたった第9条改憲反対派の人々が「これならいいか」と受け止めてしまうことになる危険性が大きいと見ておかなければならないでしょう。

以上に述べたことからお分かりいただけたと思うのですが、私は、第9条改憲に反対が60%という数字に対しては、大いに警戒心を持つ必要があるのではないか、ということを申し上げておきたいと思います。

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