「和」・「絆」の日本社会と人間の尊厳

2014.01.01

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらっています。2月号の第11回のものです(1月1日記)。

 私はこれまでに個と尊厳を押さえ込み、抹殺さえする日本社会の「精神的土壌」について2度触れました。そこでは次のように書いています。

「私は、…集団の中にいてはじめて安心感が得られる(「群れる」ことに安住する)日本人が多い一つの大きな原因は、幼稚園時代に始まる集団生活で、「個」を押さえ込むルールにがんじがらめにさせられる環境(日本社会の精神的土壌)にあるのではないかと常々思うのです。」(第2回)
「集団で群れる日本社会に根強い「他者を気にして自分を押し殺す」精神的土壌の働きが、個・尊厳を抹殺する力として、私たちの思考を強く縛っている……。」(第5回)

 最近、医療関係の仕事の若い人中心の新人研修でお話しする機会(仙台)がありました。本誌で書いてきたことを素材にして、個・尊厳をモノサシ(価値基準)にして物事を考え、判断し、行動することの重要性をお話ししたのです。私が伺う集会は年配の方が圧倒的に多いのが常なので、若い人が多いことに私も思わずアツくなってしまい、後で主催者から「盛んに煽っていましたね」と苦笑いされるほどでした。
55人の人から感想文をいただきました。私の激しい口調の語りかけに対して、共感を示す反応は圧倒的に少数でした。ショックを受けたとか、考え込まされたという、私がある程度予想した感想が半分ぐらいでした。しかし、次のようなコメントを書いた人もいました。

 「日本人は「和」を大切にする国なので、個性を前面に出していくのは難しいと思いました。自分の意見をもっと言いたいけど、「言ったらどう思われるんだろう」と思う国になっているのは、もうしようがないのかな、と思いました。」
 「みんながみんなそれぞれの個を主張し合うとぶつかり合ってしまうため、みんながまとまるためには、時には自分の意見も抑える必要があるのでは……と感じました。」
 「自分の意見や考えを前面に出していくだけでは、自己中心的な人々が増えてしまう(そういう世の中になってしまう)と思う。きれいごとかもしれないが、絆はやっぱり大切だと私は思います。」
 「個がないと言われるけれども、個だけを持ち、自分の主張を出し続けていたら、…日本を変えることができるのか。自分の思いを表出することも大切であるが、集団の和も大切でないのかと私は思いました。」
「入職間もない私たちが先生の「絆」についての見解を伺った時は、特に震災後の私たちにとっては、「絆」という合い言葉を頼りに"がんばっぺ"とここまでやってこれた気がして、受け入れがたいものがありました。」

年配の方のコメントであれば、私も日本社会の精神的土壌の働きを確認するだけで、胸がザワザワすることはなかったでしょう。しかし、個・尊厳の大切さを力説する私の話に対して、参加者の10人に約 1 人が個をストレートに押し出すことについては抵抗感が強く、全体の調和を重視する「和」・「絆」について肯定的な受けとめ方をしていることには複雑骨折の思いを味わわされました。
私が何よりも「そうではないよ」と言いたいのは、以上の受けとめ方の底流に働いている「自分らしさは大切だが、個を強調しすぎると、わがまま・自分勝手に走りやすい」、したがって「個をほどほどに抑えるために集団の「和」・「絆」が大切」という理解についてです。
尊厳は一人一人の人間に生まれつき備わっています(第7回)が、個の意識を我がものにしない限り、尊厳を自覚できません(第1回参照)。個に対して抵抗感が働く限り、私たちが尊厳を我がものにすることはできず、理念・制度・運動の統一体としてのデモクラシー(第10回)の政治に対して、主権者として主体的に働きかけようがありません。逆に権力は、「和」・「絆」を強調して私たち一人一人の個と尊厳を押し殺し、私たちを「知らしむべからず、よらしむべし」の愚民に仕立て上げようとするのです。
その結果はどうなるか。かつては侵略戦争に走った軍国・日本であり(国家レベル)、集団心理が暴走した南京大虐殺そして敗戦後の強いられた「一億総懺悔」でした(民衆レベル)。今日で言えば、安倍・自民党政権が強行する秘密保護法、集団的自衛権行使、改憲策動(国家レベル)であり、権力に迎合することなかれ心理(民衆レベル)です。この二つのレベルが合体すれば、いつ何時戦前の政治が復活しても不思議ではありません。
「今の日本は昔と違う。浅井は心配しすぎだ」と言う人がいるかもしれません。しかし、上記の若い人たちのコメントは、戦後60余年も経つのに日本社会には個と尊厳が根づいていないこと、むしろ権力の思いどおりに動いてしまう精神的土壌が相も変わらず作用していることを示しています。
「和」・「絆」という伝統の呪縛を解き放つことは、個と尊厳を確立するために避けて通ることのできない課題です。そして、そのことが同時に日本社会を根本から変えるためにどうしても向きあわなければならない課題です。百歩譲って「和」・「絆」という伝統に今日的な意味を認めるとしても、それはあくまで、個と尊厳の実現を100パーセント保証するものでなければなりません。