人間の尊厳と国際社会 -2-

2013.12.31

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらっています。12月号の第10回のものです(12月31日記)。

 「同じ人は二人といない。そうした個性の究極的価値」である尊厳(第7回)を認める人であれば、地球上のどこに生を受けようとも、つまりどの国に生まれようとも、人間は人間として生を受けた瞬間からその人に固有の尊厳を備えていることは自明なはずです。また、人類の歴史とは、「人間の尊厳という普遍的価値を一人一人の人間にあまねく実現することを目指して歩み続ける歴史」(第1回)です。人類の歴史とは、地球という舞台で営まれてきた歴史であり、特に欧州に国家を基本的な構成員(メンバー)とする社会、つまり国際社会が登場してからは、国際社会を舞台にして営まれてきた歴史であるとも言えるでしょう。
 しかし21世紀の今私たちが目にする国際社会は、人間の尊厳というモノサシで測ると、正に問題山積です。ここでは、それらを一つ一つ取り上げるのではなく、私が身近に接した例で考えてみようと思います。
私は近所にある生協の店に買い物に立ち寄ることがあり、その都度耳に入ってくる店内放送があります。生協の募金活動の送り先であるアフリカのアンゴラについての紹介です。「アンゴラは石油、ダイアモンドの生産で近年経済成長がめざましい。けれども、5歳までに命を落とす幼児が4分の1もおり、それは世界で2番目の高さである。」そういう内容です。
 ネットで調べたら、ユニセフ(国際連合児童基金)の「5歳未満児死亡率の順位」の調査結果(2006年)がありました。それによると、出生 1,000 人あたりの5歳未満児の死亡数がアンゴラは260で、シエラレオネの270の次であり、世界で2番目の高さでした。また、日本は4という数字(下から2番目)であることをはじめて知りました。5歳未満児死亡率は「子どもの福祉のきわめて重要な指標の一つ」だそうです。
 店内放送の内容は国際社会の厳しい現実を凝縮していると思います。
アンゴラの石油やダイアモンドの生産を支配しているのは国際資本(多国籍企業)でしょう。これらの企業は新自由主義の市場原理、つまり徹底した儲け本位で動いています。アンゴラのため、ましてやアンゴラの人々のために活動しているわけではありません。圧倒的な貧しさがこの国を覆っていることが5歳未満児死亡率の高さに表れていることは間違いありません。
新自由主義市場経済は、日本の経済を支配し、私たちの尊厳を奪いあげている(第6回)だけではなく、世界経済も支配し、多くの国々の人々を貧困のどん底に追いやり、尊厳を奪っているのです。アンゴラでは実に4人に1人以上の幼児が強いられた死によって尊厳を全うする機会を奪われているのです。
ユニセフの調査結果は今一つ重大な事実を反映しています。5歳未満児死亡率が高い国は途上国・貧困国に集中し、死亡率が低い国は先進国・富裕国によって占められていることです。私は特に、5歳未満児死亡率の数字がアンゴラは260であるのに対して、日本は4であることにものすごいショックを受けました。アンゴラに生まれるか日本に生まれるかの違いだけで、人間の尊厳を全うできるかどうかにこれだけの「違い」が出てしまうという、あってはならない理不尽さにやりきれない感情がこみ上げてきたからです。それが国際社会の紛れもない現実です。
しかし、人類の歴史が「人間の尊厳という普遍的価値を一人一人の人間にあまねく実現することを目指して歩み続ける歴史」(第1回)であることは間違いなく、人類史の一部としての国際社会の歩みも、大きく見れば確実に前進しています。むしろ、国際社会の登場そしてその舞台は、人間の尊厳という普遍的価値の確立を促す重要な役割を担ってきたのです。
その最大の原因は、アメリカ独立戦争、フランス革命を起点として、主権者(国家の主人公)が君主・独裁者から人民(国民)に変わり、国家の性格が根本的に変わってきたことにあります。第二次大戦を経た今日では、国内で人権・デモクラシーが行われない国家は国際社会、そして各国世論の集合体である国際世論の厳しい批判の目に晒されます。国際連合憲章・世界人権宣言から障害者権利条約・子どもの権利条約に至る国際的な人権重視の流れは、国際社会・世論の存在を抜きにしてはあり得ません。
確かに中央政府がない国際社会では、各国の同意・合意・コンセンサスを得ることはままなりません。そのために、アンゴラのケースで見たように、各国間の富の再配分を前提にする南北問題の解決は簡単ではないし、私利私欲に走る多国籍企業の行動をチェックすることも難しいわけです。
私たちに必要なことは、人間の尊厳の実現を目指す人類そして国際社会の歴史に対して確信を持つことです。確かに国際社会の現実には様々な矛盾・問題が山積している。しかし、これまでも人類・国際社会は多くの試練を乗り越え、克服してきたし、これからも紆余曲折は経ながらも前進していく。そういう確信を持つ私たちが辛抱強く働きかけることによってのみ、人類・国際社会の歴史をこれからも前進させ続けることができるのです。