人間の尊厳とデモクラシー -1-

2013.12.31

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらっています。11月号の第9回のものです(12月311日記)。

 「デモクラシー」は、ギリシャ語のdemocratia(「人々(英語ではpeople)」を意味するdemosと「支配・統治」を意味するkratosが合成された言葉)に由来します。つまりもともとは、"少数の権力者に政治を独占させず、人々の参加によって政治を営む"という政治の運営のあり方(制度)を指す言葉でした。しかし、近世以後の人間解放及び市民革命という人類の歴史を経て、デモクラシーは政治制度のあり方を指す言葉であるだけにとどまらず、「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉(リンカーン)に凝縮される、政治そのものについての根本的な考え方(理念)を意味するものへと発展したのです。
私たち一人一人の人間のほとんどは政治を職業とはしていません。いわば非政治的市民です。しかし、そういう私たち一人一人が政治を人(政治家)まかせとせず、政治に目を光らせ、様々な形で政治参加することによってのみ、政治は常に生き生きしたものとなり、何よりもそうすることによってのみ、私たち一人一人の尊厳を実現し、全うすることにつながるのです。
しかし、デモクラシーの理念を実現することは決して簡単なことではありません。制度的には実に様々な試み、工夫が世界各国で試みられてきていますが、「これだ!」という答は見つかっていません。そもそも一人一人の人間の考え方は互いに違う(正にそこにこそ人間の尊厳がある)のですから、すべての人間の尊厳を実現し、全うすることを保証する制度的仕組みを作り出すことは人類にとっての永遠の課題です。
丸山眞男はかつて、デモクラシーは理念、制度そして運動という三つの要素から成り立っていると指摘しました。私はこの指摘に出会ったとき、本当に「目からウロコ」でした。
私流の理解で言いますと、デモクラシーについては次のように考えなければなりません。

理念としてのデモクラシーは普遍的価値として確立している。
制度としてのデモクラシーは欠陥だらけである。
したがって私たちは、制度(としてのデモクラシー)を理念(としてのデモクラシー)に近づけるために不断に働きかけていく努力を行わなければならない。

「制度(としてのデモクラシー)を理念(としてのデモクラシー)に近づけるために不断に働きかける」ことこそが、丸山の言う運動としてのデモクラシーです。この働きかけは人類の歴史を通して永久に続けられるべきものです。丸山が「永久革命としてのデモクラシー」と述べたのは正にそういう意味です。
 ところが日本では、デモクラシーの理念についての理解と認識が広く行き渡っていません。むしろ一般的なのは、政治的な制度のあり方に関する数ある主張の一つとして民主主義を位置づける考え方です。ですから民主「主義」なのです。しかも、「民主主義とは多数決のこと」という類の表面的な受けとめ方が幅を利かせています。そのため、制度の機能不全が露わになってくると、「もう民主主義は古臭い」、「戦後民主主義の時代は終わった」とする無雑作な決めつけが横行する有様になるわけです。
 日本において理念としてのデモクラシーについての理解と認識が妨げられ、もっぱら「民主主義」という特定の政治的な主張として受けとめられてきた背景には、いくつかの歴史的な要素が働いています。
一つは訳語としての問題です。デモクラシーは、人権などと同じように、明治維新以後に日本に紹介されました。その訳語の一つとして紹介された「民主主義」が次第に一般的に使われるようになって定着し、今日まで惰性的に(?) 続いているのです。
次に、戦前及び戦後の政治状況という問題があります。天皇主権を定めた大日本帝国憲法の下では、国民(人民)の積極的な政治参加の要求を強調した「民主主義」は、国家の基本を揺るがしかねない一つの政治的な主張でした。また、敗戦後の日本ではいわゆる保革の争いが長く続きましたが、大きな争点の一つが「民主主義」のあり方でした。簡単に言えば、私たちは常に主義・主張の問題としてしか「民主主義」を考えることがなかったし、今もそうなのです。
また、根本的な問題として、歴史認識にかかわる問題があります。それは、日本人が人類の歴史の進歩・発展に無関心、無頓着であり、さらに保守勢力に関して言えば、これに対して敵対的であることです。
第二次世界大戦の最大の人類史的な意義は、人権及びデモクラシーが普遍的価値として承認され、世界的に確立したことにあります。しかし、日本の敗戦を契機に、そのことを認識した日本人は極めて少数でした。その状況は残念ながら今日でもあまり変わっていません。戦後日本の政治を牛耳ってきた保守勢力にとっては、「第二次世界大戦」は屈辱そのものであり、「戦後民主主義」は清算すべき対象でしかありません。
私たちは、何よりもまず「民主主義」という言葉から思考を解放しなければなりません。そして、人間の尊厳を根幹に据えるデモクラシーの理念を我がものとし、その徹底した実現を目ざして歩んでいかなければならないのです。