人間の尊厳と人権 -2-

2013.09.23

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらっています。10月号の第8回のものです(9月23日記)。

 皆さんは、人間の尊厳と基本的人権(以下では「人権」と略します)とがどのような関係にあるかをお考えになったことがあるでしょうか。あるいは、「そんなことをどうして考えるの? どんな意味があるの?」と思われるかもしれません。
 まず、人間の尊厳と人権とはまったく同じものというわけではないことを、分かりやすい例で確認します。
 人間の尊厳とは、「人間は人間として生まれたことに価値があり、同じ人は二人といない、そうした個性の究極的価値という考え方」(丸山眞男)であることは前に言いました(第1回)。つまり人間の尊厳は、人間として生を受けた瞬間から、赤ちゃんであろうと、子どもであろうと、大人であろうと、すべての人にその人だけのものとして備わっています。他の誰によっても、何ものによっても代わりがきかない価値だからこそ、その尊厳を否定することはもちろん、部分的に制限するなどということもあり得ないし、あってはなりません。
 しかし例えば、子どもに対しては「身体的及び精神的に未熟である」(子どもの権利条約前文)ことに基づく人権の制限が必要な場合があります。例えば、選挙権・被選挙権は与えられない、結婚に関して制限がある、等など。
また、罪を犯した人についても、その人権を制限することが必要な場合があります。日本国憲法は、そのことを「何人も…、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」(第18条)と定めています。
このように、人権については、尊厳とは異なり、一定の場合にはその制限が認められるのです。
次に、人間の尊厳そして人権の本質からその違いについて考えます。
私は哲学には縁がありません。しかし、「我思う、故に我あり」(デカルト)、「人間は考える葦である」(パスカル)という有名な言葉は人間の尊厳を言い表しているものだと受けとめます。
人間を含む動物すべてが環境から受ける刺激に反応して生きます。しかし、人間が他の動物と根本的に違うのは、動物が刺激に対して本能で反応するのに対して、人間は刺激に対して考え、決断した上で反応するという点にあります。そして、一人一人の人間がすべて異なる考えと決断を行うことにこそ、「同じ人は二人といない。そうした個性の究極的な価値」としての尊厳を備えている所以があるのです。丸山眞男はそのことを、「われわれは刺激と反応の間にある距離において、悩み、迷いつつ、選択して決断する。そこに人間の尊厳がある」とも言っています。ですから、人間の尊厳という言葉が使われるようになったのは近世欧州においてですが、尊厳そのものはホモサピエンスが地上に出現して以来、一人一人の人間に備わっているものです。
では、人権とは何でしょうか。尊厳と人権との間にはどのような関係があるでしょうか。
固有の尊厳を持つ一人一人の人間は、自分だけで生き、尊厳を全うするわけではありません。すべての人間は、他の人間とともに社会の一員として生き(社会的動物)、そういうものとして自らの尊厳を実現し、全うします。自らの尊厳を社会的(対外的)に主張し、実現し、全うする権利、それが人権です。つまり人間の尊厳は、人権という権利を社会的に行使することを通じて実現され、全うされるのです。
しかし日本国憲法は、人権は「侵すことのできない永久の権利」(第11条)であるとしながら、その権利は「濫用してはならない」のであって、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(同第12条)と定めています。憲法はまた、人権は「公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」(第13条)とも定めています。どうしてこのような念入りの規定があるのでしょうか。そもそも「公共の福祉」とは何でしょう。
尊厳は人間が生まれながらに備えているものであり、他者との関係で摩擦を起こすことはそもそもあり得ません。しかし、尊厳を実現し、全うするための社会的な権利である人権は、濫用されること、つまり、尊厳を離れて勝手に一人歩きしてしまい、その結果として他者の尊厳を犯すことが往々にして起こります。他者の尊厳を犯す権利の濫用、一人歩きは許さない、という原則・ルールを表すのが「公共の福祉」です。
「公共の福祉」という日本語は、ともすると誤解を生みやすい表現です。特に「公」あるいは「公共」は「お上」を連想させます。しかし、「公共の福祉」という言葉は英語public welfareの訳語です。publicとは個人の集合体のことであり、「お上」的な意味合いはありません。ですから、public welfareとは、一人一人の人間すべてがその尊厳を実現し、全うできること(またできる状態)を意味する言葉です。人間の尊厳という普遍的価値を承認し、public welfareの正確な意味を踏まえれば、憲法の二つの規定の意味も素直に理解できるのではないでしょうか。
人間の尊厳と人権とはとても深い結びつきがあり、切り離してバラバラに理解することは間違いです。しかし、必ずしも「人間の尊厳=人権」というわけではないことを正確に認識する必要があることは、以上のことからお分かりいただけたのではないでしょうか。