人間の尊厳と経済 -1-

2013.09.23

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらっています。9月号の第6回のものです。8月にアップするのを失念していました(9月23日記)。

 私は経済にかかわる問題については門外漢です。しかし、学生時代にマルクス経済学をかじり(ほんの少しですが)、外務省で中国問題を扱う一環として同国の社会主義経済のありようを観察してきたものとして、ソ連という国家の崩壊(1991年12月)を「社会主義の敗北」、「資本主義の勝利」と捉える見方がアメリカ、日本を中心に広がったことに対しては、「それは違うのではないのか」という強い疑問を感じました。
 私の疑問は、その後、アメリカを中心とする新自由主義が世界を席巻し、アメリカの言いなりの日本の保守政権の下で諸々の「改革」が推進され、国民生活が深刻に破壊されるのを目の当たりにしてますます膨らみました。
私たちに身近な法律に限って成立順に並べても、介護保険法(1997年)、大規模小売店舗立地法(大店法。1998年)、「改正」労働者派遣法(1999年、2004年)、「改正」健康保険法(2002年)、障害者自立支援法(2005年)、郵政民営化関連法(2007年)などがあります。また農業では、1998年に農林水産省が公表した「農政改革大綱」及び「農政改革プログアム」に沿って様々な規制緩和(企業の参入奨励、農地リース方式の導入など)、大規模経営化が促進されました。
 これらの法律・政策はどういう結果をもたらしたでしょうか。
大店法は、集客力の大きい大規模店に郊外進出の条件を提供し、市内の零細な小売店を廃業に追い込みました。私は多くの都市に伺う機会がありますが、市街地中心部の寂れ方(シャッター街化)はすさまじいものがあります。その結果、地域の生活・文化の重要な担い手である人々の生活と尊厳が奪われています。
また農業における大規模経営化や異業種参入は、零細な農業経営の担い手を締め出し、その生活と尊厳を奪っています。郵政民営化は、儲け本位の統廃合により、過疎地や農村地域において郵便局が果たしてきた社会的、文化的そしてライフライン的な役割を切り捨てました。こうして日本の農村は、高齢化も加わって危機的な状況に陥っています。
労働者派遣法の改正は、人材派遣の自由化という名のもとで、労働者の尊厳や人権を無視した、大企業本位の雇用形態の横行を可能にしました。リーマン・ショック以後の派遣労働者の一斉解雇がいかに悲惨な事態をもたらしたかは、私たちが目撃したとおりです。応益負担原則が持ち込まれた介護、医療そして障害の分野の状況については改めて言うまでもないでしょう。しかもアメリカは、さらに徹底した規制緩和の実現を日本に迫ろうとしているのです。
私流の理解に基づいて表現すれば、マルクスが明らかにしたのは、利潤追求を目的とする資本主義の本質は、人間である労働者を機械と同様に生産要素(労働力)として捉え、限りなく搾り取る(搾取する)ということです。つまり、資本主義は人間の尊厳を無視することを本質としており、その尊厳を奪いあげること(=搾取)によってのみ成り立つ経済体制です。
資本主義に代わるべき経済の仕組みとしてマルクスが展望したのは、いわゆる生産手段の社会的共有・管理によって搾取を廃絶し、労働者が人間としての尊厳と権利を実現できる共産主義(社会主義)でした。私流の理解に即して言えば、共産主義(社会主義)とは一人一人の人間の尊厳の実現を目的とする経済の仕組みにほかなりません。
ところが、世界で最初に社会主義革命を成し遂げたソ連が、アメリカと政治軍事的に対決するだけでなく、社会主義の本家本元を自任してアメリカ資本主義と張り合った(社会主義が何であるかについての解釈も独占し、他国に押しつけた)ために、社会主義の本質についての正確な理解が歪められてしまいました。そのため、アメリカや日本では、「ソ連の崩壊=社会主義の破産=資本主義の勝利=新自由主義市場経済がすべて」という理解が一人歩きしてしまったのです。
しかし、新自由主義市場経済が何ものであるかをつぶさに目撃している私たちは、人間の尊厳という普遍的価値・モノサシに基づいて、資本主義更には共産主義(社会主義)の本質をもう一度見直すべきです。普遍的価値が確立した今日という時代に、経済の分野においてだけは人間の尊厳を踏みにじる旧態依然の仕組みがまかり通る時代錯誤が許されてよいはずがありません。
確かに市場という仕組みは、有限な資源の最適な配分を実現する上で有効です。しかし、経済にかかわるいかなる仕組みも人間の尊厳をあまねく実現するためにあるべきだという大前提を片時も忘れてはならない、と私は考えます。人間の尊厳というモノサシに合格するのは社会主義のみです。そして市場は、人間の尊厳の実現に奉仕するように運用されることが確保されなければなりません。社会保障、労働、農業、教育などの分野については、市場の考え方を持ち込むこと自体が根本的な間違いです。
逆に言いますと、私たちが資本主義、新自由主義市場経済の自己主張をチェックできないでいるのは、人間の尊厳に関する認識が徹底していないためにほかなりません。新自由主義を掲げる経済専門家のオタク的ご託宣にひるむことなく、私たちは社会主義の実現を目ざしたいものです。