死刑と尊厳死

2013.07.15

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらっています。今回は8月号の第5回です(7月15日記)。

 私は幼い頃から死の恐怖に苛まれた体験を持つ者として、またそれ以上に、人間の尊厳が「頭の中での理解に留まらず、私の中に溶け込み、物事を考えるときにごく自然に私の考え方を導くモノサシ」(第1回)となっている者として、死刑制度及びいわゆる「尊厳死」の問題は他人事ではありません。
  私はテレビの報道番組を見ているとき、例えば、いじめを苦にして自殺した子どもを悼んだり、DVや交通事故の加害者を非難したりするときに、「命の尊厳」とか「命ほど大切なものはない」とかの関係者の発言がお決まりのように、しかも番組の締めとして使われているとき、とても違和案を覚えます。それは、死刑制度を肯定する世論が圧倒的多数という事実とのギャップが大きすぎるからです。
  内閣府大臣官房政府広報室の「基本的法制度に関する世論調査」によれば、「死刑制度の存廃」に関して、次の結果が出ています。
 1994年9月:「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」(13.6%)、「分からない・一概に言えない」(12.6%)、「場合によっては死刑もやむを得ない」(73.8%)
 1999年9月:(8.8%、11.9%、79.3%)
 2004年12月:(6.0%、12.5%、81.4%)
 2009年12月:(5.7%、8.6%、85.6%)
 死刑制度とは国家が暴力的に人間の尊厳・生存権を奪うことです。人間の尊厳・人権の世界的確立を背景に、20世紀の70年代以後、死刑制度廃止国が一気に3倍以上増えました。アムネスティ・インタナショナルによれば、2010年現在で96ヵ国が死刑制度を全面廃止しています(死刑制度存置国は58ヵ国)。欧州共同体(EU)は、1998年にEU加盟の際の条件の一つとして死刑制度廃止を決定しました。
 ところが日本では、昔ながらの「人を殺したら、自らの命で償うべきだ」という考え方が当然視されているのです。上記世論調査に示されるとおり、死刑を肯定する人は圧倒的に多く、しかも増え続け、2009年には実に10人に9人弱という有様です。私たちの尊厳・人権感覚がいかに貧しいかが如実に示されています。
 私はまた、尊厳・人権の意識が確立している欧米諸国で広まっているいわゆる「尊厳死」(death with dignity)にかんする日本国内の議論に関しても、日本人の尊厳・人権感覚の怪しさを考えないではいられません。
 厚生労働省が出した「「終末期医療に関する調査」結果」(2008年10月)は、「治る見込みがなく、死期が近いときには、延命治療を拒否することをあらかじめ書面に記しておき、本人の意思を直接確かめられないときはその書面に従って治療方針を決定する。」(リビング・ウィル)という考え方について、あなたはどのようにお考えですか」という設問及びその回答を紹介しています。
 1998年:「賛成する」(47.6%)、「患者の意思の尊重という考え方には賛成するが、書面にまでする必要がない」(34.8%)、「賛成できない」(2.9%)、「その他・分からない・無回答」(14.7%)
 2003年:(59.1%、25.2%、2.4%、13.2%)
 2008年:(61.9%、21.8%、2.4%、14.0%)
 「賛成する」と「考え方には賛成だが、書面にまでする必要がない」は、「本人の意思を尊重する」点では一致しています。二つを合わせると、1998年:82.4%、2003年:84.3%、2008年:83.7%で、3回の調査を通じてほぼ5人中の4人強です。死刑肯定と同じく実に高い数字です。
 くせ者は「本人の意思」及びこれを「尊重する」の中身です。人間の尊厳という普遍的価値が確立している欧米では、「本人の意思」とは「本人自身の尊厳ある意思決定」であり、その「尊重」として「尊厳死」が扱われる土壌があります。
 しかし、人間の尊厳が物事を判断するモノサシとして確立していない日本では、「本人の意思」が、「家族に面倒をかけるのは心苦しい」という類の、尊厳とは無関係な要素の働きである場合が多いでしょう。本人の意思を「尊重する」という人(つまり本人の死を看取る側)も、尊厳というモノサシに照らした判断ではなく、打算的な場合が多いでしょう。
 要するに、「尊厳」に名を借りた尊厳否定の実が行われる危険性が高いということです。いわゆる「尊厳死」にかかわる上記世論調査結果は、死刑制度に関する結果と並べてみると、尊厳に関する私たちの意識の稀薄さを裏付けるものなのです。
 人間の尊厳というモノサシに照らして、死刑制度は廃止しなければなりません。死刑制度を肯定する私たちは間違っていることが明らかです。
 いわゆる「尊厳死」にかかわる「リビング・ウィル」関する世論調査結果は、死刑制度に関する調査結果よりも深刻な問題を浮き彫りにしています。それは、集団で群れる日本社会に根強い「他者を気にして自分を押し殺す」精神的土壌の働きが、個・尊厳を抹殺する力として、私たちの思考を強く縛っているという問題です。
 私たちはまず、この精神的土壌を日本社会からきれいさっぱり洗い流し去り、個・尊厳というモノサシを確立しなければなりません。日本社会で冷静に「尊厳死」について語りうる日がいつか来るとしても、それは遠い先です。