広島という原石

2013.05.18

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらうことになりました。この「ミク」のコラムで随時紹介させて貰おうと思います。今回は6月号の第3回です(5月18日記)。

 私は広島で2011年3月までの6年間生活し、人間の尊厳について本当に多くのことを学びました。もっとも、「学び」の内容は、孫娘・ミクと広島とでは違いがあります。
前回書きましたように、「私が人間の尊厳を、頭のなかでの理解に留まらず、私の中に溶け込むように我がものにし、私がありとあらゆる事柄を判断する際のモノサシとしてごくごく自然に据えるようになったのは、ミクの存在を抜きにしては考えられない」のです。
広島は、人間の尊厳について考えることを迫る原石が正にゴロゴロあって、私の尊厳の感覚を鍛えてくれました。詳しいことは『広島とヒロシマ』(かもがわ出版)で書きましたので興味ある方には読んでいただきたいのですが、ここでは人間の尊厳を考えさせられた原石の一つを取り上げます。
 私が広島で非常に疑問を感じたのは、広島の人々の多くが一方で「ノーモア・ヒロシマ」、核廃絶を訴えながら、他方ではアメリカの「核の傘」を受け入れ、原発には口を閉ざすという矛盾を抱えている(しかも、その矛盾に気づいていない)ことでした。もちろん、この矛盾は日本人・社会全体が引きずっています。しかし、原爆を投下された広島に住む人々までが同じだということは本当に理解に苦しむことでした。
この疑問を解くカギとなるヒントを、原爆投下の時に兵士として広島にいて被爆した丸山眞男の指摘から学び取りました。そのポイントを私流にまとめてみます。
原爆の開発及び製造が表す現代の機械文明あるいは「核文明」は、それを作り出した人間をいわば「機械の歯車」にし、人間らしさを失わせてしまったのです。「人間らしさを失わせた」ということは、自らの尊厳に対する自覚が失われるとともに、他者の尊厳を尊重する意識も失われるという二重の意味があります。原爆投下のボタンを押したB-29の搭乗員は自分自身を否定することを犯そうとしていることを考えもしませんでしたし、どれだけの人々を殺めることになるかをも考えなかったのです。
前(第1回)に私は、人類の歴史とは、「人間の尊厳という普遍的価値を一人一人の人間にあまねく実現することをめざして歩み続ける歴史」であると言いました。しかし機械文明は、人々の物質的な生活を豊かにすると同時に、そういう人類の歴史を逆行させるという二面性を持っています。原爆投下は、現代の機械文明が人間の尊厳を根こそぎ奪い去る恐ろしさを警告しているのです。
核に代表される科学技術の発展はやみくもに自己肥大を遂げてしまい、それが一体どういう意味を持っているかを私たちは正確に認識できていない。そのことが、一気に大量の人間(尊厳)を抹殺する原爆投下のボタンを押すことになんの痛みも感じない人間を生み、核兵器・核戦争を正当化する核抑止戦略を生みだす精神的土壌になったのです。また、核兵器は人類史上もっとも残虐な兵器ですが、その残虐性を覆い隠すために、「原子力の平和利用」神話がアメリカによって作りだされ、そのシンボルとでも言うべき原発が推進されてきました。
そういう「核時代」において、被爆者である丸山が自らに問いかけたのは、「紙一重の差で、生き残った私は、紙一重の差で死んでいった戦友に対して、いったいなにをしたらいいのか」ということでした。丸山は、被爆者である一人の人間(「個」)として、「核時代」において人間の尊厳を回復するための積極的な生き方とは何かを考えたのです。私の推測でしかありませんが、丸山は広島及び長崎から打てば胸に響く答が出されることを強く期待していたと思います。
私も6年間、広島(及び長崎)の文献を読みあさり、その答の手がかりを探し続けました。峠三吉、山代巴、鎌田定夫(長崎)などの著作にも多くの原石がありましたが、私が特に多くのことを学んだのは、「生ましめんかな」であまりにも有名な詩人・栗原貞子が1960-80年代の内外情勢に関して書いた文章を収めた6冊の著作でした。広島そして私たちすべてにとって不幸なことは、広島の複雑な政治情勢のあおりを食って、彼女の発言・思想が埋もれてしまい、今日に活かされていないことです。
こうして広島では今日、ひたすら被爆者の主観的な体験(被爆体験)を語り継ぎ、継承することにエネルギーが注がれる状況が現れています。人間(「個」)として、「核時代」に立ち向かう積極的な生き方を考える視点は残念ながら稀薄です。そのために、冒頭に述べた矛盾が広島に存在しているのだと思います。広島においてそうであれば、日本社会全体がそうなるのはなんら不思議ではありません。
福島第一原発の人災は私が広島を離れる直前に起こりました。それは、人間の尊厳を根底において広島・長崎の教訓をトータルに学びとることを怠った日本社会の必然的な結果と私は思います。福島の人災を人間の尊厳に直結するものとして考える視点を確立すること、それが福島に広島の二の舞を演じさせないためのカギです。