「人間の尊厳」とは

2013.03.28

*全障研の雑誌『みんなのねがい』に「人間の尊厳を考える」というテーマで12回の連載を1年間書かせてもらうことになりました。この「ミク」のコラムで随時紹介させて貰おうと思います。今回は4月号の第1回です(3月28日記)。

 「人間の尊厳」が大切であることを否定する人はいないでしょう。しかし、この言葉を耳にすると、なんとなく改まった気持ちになる方も多いと思います。
これは、「尊厳」が外国語の翻訳であり、その意味について私たちが直観的に「分かる」とは言えないことに一つの原因があります。しかしそれだけではありません。「人間の尊厳」が改まって感じられるのは、私たちのなかに「個」が確立していないからです。「それってどういうこと?」と思われる方も少なくないでしょう。
欧州では、ギリシャ哲学、キリスト教、ルネッサンス、宗教改革、市民革命などの長い歴史を経る中で、「一人一人の人間が独立した存在(「個」)である」という認識、そして「「個」としての人間に固有の価値(「尊厳」)が備わっている」という認識が生まれ、人々に当然のこととして受け入れられました。
しかし私たち日本人は「個」の認識を育む歴史を持っておらず、集団の中にいてはじめて安心感が得られるのです。さすがに今日では、「一人一人の人間が独立した存在である」ということは頭の中では「分かる」のですが、何かにつけて「周りの目が気になる」と感じる人は多いでしょう。「個」が自分のものになっていないから、「個」と結びついた「尊厳」にも改まった気持ちになってしまうのです。
私自身、人間の尊厳が頭の中での理解に留まらず、私の中に溶け込み、物事を考えるときにごく自然に私の考え方を導くモノサシになるまでには、長い年月がかかりました。
 私は六人兄弟の五番目ですが、部屋数だけは多い家(暮らしは決して楽ではなかった)だったこともあってか、中学生になってからは離れ的な部屋で一人寝起きするようになりました。そんなある日の夜遅く、一人で横になって暗闇を見つめているとき、突然、「いつか自分は消えて、なくなってしまうんだ」という恐怖感に襲われ、慄然としてガバッと跳び起きたのです。そのとき以来大学生一,二年生になるまで、「自分という存在を無にする死」の恐怖に苛(さいな)まれ続けました。この恐怖心を克服したいともがくなかで、私という存在が生を受けたことは無意味ではないことを得心できないかという気持ちが何時しか生まれました。
つまり私は、自己流で「個」についての認識を育んでいたのです。そして、与えられた環境で自分の最善を尽くす生き方(私が尊敬する政治学者・丸山眞男の表現を借りれば「死ぬ時に、俺はやることはやったと思える生き方」)を心掛ければ、死の恐怖を克服することはできなくても、私という存在が生を受けたことは無意味でなかったと納得して死を迎えることはできると思うようになりました。
次の問題は、どうすれば「死ぬ時に、俺はやることはやったと思える生き方」と納得できるだろうかかということでした。そして、これも自己流なのですが、人類の歴史的な発展・進歩の歩みにほんのわずかでもプラスになることを常に心掛けることだ(丸山の表現を借りれば、「絶対的な真理に部分的にせよ参与することだ」)と思えるようになっていったのです。
 人類の歴史的な発展・進歩と言いますと、つかみどころがないように感じられるかもしれません。私もはじめはそうでした。しかし、私なりに人類の歴史の流れをつかむ努力を通じて、その歴史の核に座っているのは、今や普遍的価値として世界的に確立した人間の尊厳であることを確信するに至りました。私の理解では、人類の歴史とは、「人間の尊厳という普遍的価値を一人一人の人間にあまねく実現することをめざして歩み続ける歴史」です。
 丸山眞男は次のように述べています。「人間それぞれが個性をもっているというところに、この社会の発展の原動力がある。同じ人間ばかりだったら、人間も、社会も、進歩などありえない」(『丸山眞男集』第8巻p.320)。「人間は人間として生まれたことに価値があり、どんなに賤しくても同じ人は二人とない、そうした個性の究極的価値という考え方」(『丸山眞男集』第16巻p.60)。私はこれらの文章に出会ったとき、人間の尊厳について自分なりにたどり着いた認識について確認を得た思いがしました。
 しかしそういう認識はまだ頭のなかでのものに過ぎず、私の中に溶け込むというにはほど遠かったと思います。私が人間の尊厳を我がものにする上では、障がいを持って生まれてきた孫娘・ミクとの出逢いそして広島で原爆体験について考える機会がさらに必要でした。
 私がまず自分の個人史を書いたのは、確かに「人間の尊厳」は欧州起源ですが、私たちはそれを自分自身のやり方で体得できることを言いたかったからです。そして一人一人が、それぞれが置かれた環境の下で、人間の尊厳を我がものにするための考える材料を提供したいと思い立ったのです。それがこの連載を書く目的です。
「でもやっぱり身近には考えられない」と思われる方は多いでしょう。この連載では、正にそう感じる方たちを念頭に、なるべく具体的なテーマ(ミク、核、平和・戦争、死刑・尊厳死、人権、障がい、経済)を切り口に人間の尊厳について考え、だんだんと本質に迫っていくつもりです。1年間よろしくお願いします。